「弱さを知る者だけが、人を育てられる」『同志少女よ、敵を撃て』イリーナという教官の孤独と覚悟

物語の考察

「あなたは、戦いたいか。死にたいか」

村を焼かれて、母を撃たれた少女に、その人はそう聞きます。

逢坂冬馬(あいさか とうま)さんの『同志少女よ、敵を撃て』です。二〇二二年の本屋大賞を取りました。

今日書きたいのは、主人公のセラフィマではありません。彼女を育てた教官のほうです。

※後半で結末に触れます。これから読む方はご注意ください。

登場人物の名前

ロシア語の名前が続くので、先にまとめておきます。

  • セラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤ——主人公。村で母と狩りをして暮らしていた少女
  • イリーナ・エメリヤノヴナ・ストローガヤ——狙撃兵訓練学校の教官長。元狙撃兵
  • シャルロッタ・アレクサンドロヴナ・ポポワ——貴族の家の出
  • アヤ・アンサーロヴナ・マカタエワ——カザフ人の猟師
  • ヤーナ・イサーエヴナ・ハルロワ——訓練生の中で最年長
  • オリガ・ヤーコヴレヴナ・ドロシェンコ——ウクライナ出身のコサック

作中ではほとんど下の名前で呼ばれます。この記事でもそう書きます。

デビュー作です。逢坂さんはこの一作で、アガサ・クリスティー賞と本屋大賞を両方取りました。

新人が書いたとは思えない、という言われ方をよくします。

実際、独ソ戦の資料の読み込み方が普通ではありません。

銃の扱い、部隊の動き、当時の食べもの。細かいところが全部埋まっています。

その土台があるから、人の気持ちのほうを信じて読めるんだと思います。

独ソ戦という舞台

一九四二年。ドイツ軍がソ連に攻め込んできた時期です。

セラフィマはモスクワ近郊の村にいました。母と二人で狩りをして暮らしています。

ある日、その村がドイツ軍に焼かれます。

母は撃たれ、村人は殺され、セラフィマだけが生き残る。

そこへ現れるのが、赤軍のイリーナです。

そしてイリーナは、母の遺体を含む村の全部を焼き払います。

これがひどい。セラフィマにとっては、ドイツ軍と同じことをされたに等しい。

その上で「戦いたいか、死にたいか」と聞く。

この最初の数十ページで、読者は完全に捕まります。

戦場はスターリングラードからケーニヒスベルクまで移っていきます。

地名が出てくるたびに、戦況が変わっていくのが分かります。

最初は追われる側だったソ連軍が、だんだん押し返していく。

ただ、押し返しているからといって、少女たちが楽になるわけではありません。

勝っている側でも、人は同じように死にます。

燃える村を背に雪原で銃を構える少女
あの日、村は焼かれた

母を焼かれた日のこと

村が襲われた場面を、もう少し書きます。

セラフィマの母は、狩りの名手でした。娘に銃を教えたのもこの人です。

その母が、目の前で撃たれます。

セラフィマは何もできません。銃は持っていたのに、撃てなかった。

そのあとに来たイリーナが、村を焼けと命じます。母の遺体も一緒に。

理由はあります。感染症を防ぐため、ドイツ軍に利用させないため。軍としては正しい判断です。

でもセラフィマにとっては、母を二度殺されたのと同じです。

この場面があるから、以降ずっと、セラフィマの中でイリーナは敵でもあり続けます。

育ててくれる人を憎み続けながら、その人の教えで人を撃つ。

こんなにねじれた師弟関係を、私は他に知りません。

イリーナという教官

訓練学校のイリーナは、笑いません。

訓練は厳しく、言葉は短く、感情をいっさい出しません。

訓練生たちは最初、この人を憎みます。セラフィマにいたっては、戦争が終わったらイリーナを撃つと決めている。

なぜここまで冷たいのか。

読み進めると分かってきます。

この人も、同じものを失った側の人間でした。

冷たさは、生まれつきではありません。あとから着たものです。

イリーナには、狙撃兵としての実績があります。

ただ、その過去が細かく語られるのは、かなり後ろのほうです。

それまで読者は、この人の中身が分からないまま読み進めることになる。

分からないから怖い。セラフィマが感じているものを、読者も同じ順番で感じます。

作りがうまいと思います。

なぜ彼女は、憎まれる役を引き受けたのか

教官というのは、変な立場です。

育てた相手を、死ぬ場所へ送り出す仕事だからです。

情が移れば、送り出せなくなります。

だから優しくできない。優しくしたら、自分が壊れる。

イリーナが感情を捨てているように見えるのは、捨てないと続けられないからだと思います。

この人は、生徒に嫌われることを選んでいます。

そして嫌われたほうが、たぶん生存率が上がる。

憎しみは、悲しみより人を長く走らせるので。

もうひとつ、教官という仕事の残酷さがあります。

自分が育てた子が死んだという知らせを、何度も受け取ることになる。

その数を、この人は数えているはずです。

新しい訓練生の顔を見るたびに、その数を思い出す。

それでも次の班を受け持つ。

こういう人がいたから戦えた、と言えばそれまでですが、私はどうしてもその後のことを考えてしまいます。

戦争が終わったあと、この人はどうやって眠るんでしょうか。

この小説には、味方の中にも危険な人物が出てきます。

同じ軍服を着ていても、安全とはかぎらない。

女性であるというだけで受ける扱いが、はっきり書かれています。

読んでいてつらい場面ですが、ここを飛ばしたらこの小説は成立しません。

セラフィマが最後に何に銃を向けるのか。そこまで含めて、この物語は一本につながっています。

セラフィマとの関係

二人の関係は、師弟という言葉では足りません。

セラフィマはイリーナを憎みながら、この人に認められたいと思っています。

イリーナのほうも、この子には生きていてほしいと思っている。ただ口には出さない。

物語の中で、二人がまっすぐに向き合う場面はほとんどありません。

それなのに、互いのことを誰よりも分かっている。

親子でも友人でもない、名前のつかない関係です。

私はこの距離感が、この小説でいちばん好きです。

二人が最後に交わす言葉を、私はしばらく忘れられませんでした。

どちらも謝りません。ありがとうも言いません。

必要なことだけ言って、終わります。

でもそれで通じている。

通じてしまうくらい、この二人は同じものを見てきました。

蝋燭の明かりで手紙を読むソ連軍の女性将校
嫌われる役を、自分で引き受けた人がいた

「撃て」という言葉について

タイトルにある「敵を撃て」は、命令です。

でも読み終わると、これは別のことを言っているように聞こえてきます。

敵とは誰なのか。

ドイツ兵でしょうか。村を焼いたイリーナでしょうか。それとも、女だからと見下してくる味方でしょうか。

この小説には、味方から受ける暴力もはっきり書かれています。

戦場にいる女性が、誰から何をされるのか。作者はそこを逃げずに書いています。

だから「敵」の輪郭が、読むほどぼやけていきます。

この作品が強いのは、敵側の兵士にも顔があるところです。

遠くから覗いて撃つ、という狙撃兵の仕事は、相手が点に見える仕事でもあります。

でもスコープの中では、相手の顔が見えてしまう。

笑っていたり、手紙を読んでいたり、煙草を吸っていたりする。

それを見てから撃つ。

遠距離なのに、いちばん近くで人を殺す仕事です。

復讐は、彼女を救ったか

セラフィマは復讐のために銃を取りました。

母を殺した兵士を撃てば、何かが終わると思っていた。

でも人を撃つたびに、彼女は別のものを失っていきます。

腕が上がるほど、元に戻れなくなる。

復讐は目的地ではなく、ただの坂道でした。

この小説は、復讐をきれいごとにしません。

やり遂げたところで、母は帰ってこない。

それでも撃つしかなかった人たちの話です。

復讐という言葉は、物語を前に進める燃料としてよく使われます。

でもこの小説は、その燃料が切れたあとまで書いています。

目的を果たしたあと、人は何を持って生きていくのか。

そこを書いているから、ただの戦争活劇になっていません。

戦争がイリーナから奪ったもの

イリーナにも、かつて守りたい人がいました。

笑っていた時期があって、普通の生活があった。

それを全部、戦争に持っていかれています。

だから彼女は、少女たちを兵士にすることに何の疑いも持っていない——ように見えます。

でも本当は、自分がやっていることの意味を、誰より分かっているはずです。

分かったうえで続けている。それが救いのないところです。

この人は、自分を許していません。

イリーナが本当に守りたかったものが何だったのか。

それは最後まではっきり書かれません。

ただ、彼女が選んできた行動を並べると、だいたい見えてきます。

この人は、自分のような人間をもう作りたくなかったんだと思います。

だから厳しくした。生き残らせるために。

矛盾していますが、矛盾したまま最後まで行きます。

ヤーナとオリガのこと

訓練生の中でも、ヤーナとオリガは印象に残ります。

ヤーナは最年長で、子どもを持っていた人です。

だから彼女が銃を取る理由は、若い子たちとは違います。

オリガはウクライナ出身のコサックで、気が強い。最初はセラフィマとぶつかります。

この二人がいることで、部隊は「若い女の子の集まり」ではなくなります。

年齢も出身も立場も違う人間が、同じ班に入れられている。

そして訓練を重ねるうちに、少しずつ形になっていく。

その過程がちゃんと書かれているから、誰かが欠けたときにこちらも痛いんだと思います。

雪に伏せて狙撃する二人の女性兵士
雪の中で、息を止めることから教わる

訓練生たちのこと

シャルロッタ、アヤ、ヤーナ、オリガ。

出身も、育ちも、信じているものも、全員ばらばらです。

貴族の娘もいれば、遊牧民の猟師もいる。ウクライナ出身の子もいます。

この時点で、ソ連という国がどういう寄せ集めだったかが見えます。

そして彼女たちは、同じ制服を着て同じ敵を撃ちます。

戦争は、違う人たちを一時的に同じにしてしまう。

終わったあと、また別々に戻れるのかどうかは、書かれていません。

女性だけの部隊という設定にも、意味があります。

実際、ソ連には女性狙撃兵が多数いました。史実です。

そして戦後、その人たちの多くは語りませんでした。

英雄として扱われた人もいれば、なかったことにされた人もいる。

この小説は、その語られなかった側に声を与えようとしています。

だから訓練生ひとりひとりの背景が、丁寧に書き分けられているんだと思います。

全員が、家族を失ってここに来ています。

失い方はそれぞれ違いますが、来た理由は同じです。

帰る場所がないから、前に進むしかない。

戦う理由が復讐しかない人たちを、国が集めて兵士にしている。

そう書くと身も蓋もないですが、実際そういう構造です。

弱さを知る者だけが、人を育てられる

読み終わって残ったのは、この一点でした。

イリーナは強い人ではありません。

壊れた経験がある人です。だから、どこで人が壊れるかを知っている。

知っているから、そこに行く前に止められる。

本当に一度も折れたことのない人は、たぶん教官には向きません。

折れた場所を覚えている人だけが、人を育てられる。

厳しさの中身が、経験なのか性格なのかで、まるで別のものになります。

厳しい人に育てられた経験は、あとから効いてくることがあります。

その場では理不尽にしか思えなかったことが、何年も経ってから分かる。

分かったときには、もう本人に言えない場合が多い。

この小説を読みながら、そういう人のことを思い出しました。

夜明けの雪原を歩く兵士の後ろ姿とオーロラ
戦争が終わっても、朝は来る

結末——セラフィマが最後に撃つのは、誰か

ここから結末に触れます。

セラフィマは、宿敵だったドイツ軍の狙撃手イェーガーを倒します。復讐は、一応果たされる。

でも、この小説はそこで終わりません。

ベルリンで、セラフィマは幼馴染のミハイルを見ます。ドイツ人の女性に、むりやり手をかけようとしているところを。

そして、撃ちます。

味方です。同じ軍隊の、同じ村で育った幼馴染です。それを撃つ。

タイトルの意味が、ここでひっくり返ります。

「同志少女よ、敵を撃て」——敵とは、誰のことだったのか。

最初は、ドイツ兵のことでした。

最後は、違います。

女性に理不尽なことをする人間は、味方であっても敵だ。セラフィマがたどり着いたのは、そこでした。

一方、イリーナはセラフィマに「自分を撃て」と言います。母を含む村人の遺体を焼いたのは、イリーナだったので。

セラフィマは、撃ちません。

嘘をついていたという点では、ミハイルもイリーナも同じです。

違ったのは、何のための嘘だったかです。

ミハイルの嘘は、自分を守るためのものでした。イリーナの嘘は、そうではなかった。

エピローグ——1978年に置かれた、あの問い

物語には、戦後のエピローグがついています。舞台は1978年。

生き延びた人たちは、それぞれの場所で生きています。シャルロッタは、結局パン屋を開けませんでした。それでもパンに関わる仕事を続けた。

そしてセラフィマが、ひとつ問いを置きます。

ロシアとウクライナの友情は、永遠に続くのだろうか。

この本が出たのは2021年11月です。

ロシアがウクライナに侵攻したのは、2022年2月でした。

書かれたときには過去の話だったはずの一行が、出版から三か月で、いまの話になってしまいました。

本屋大賞を取ったのは2022年です。あの年にこの本が選ばれたのは、偶然ではないと思っています。

曲に込めたこと

曲は、イリーナの側から作りました。

戦う歌にはしていません。送り出す側の歌です。

言えなかった言葉だけで作った、という感じにしました。

生きて帰れ、と一度も言わない人の歌です。

サビの前に、引き金を引く前のような間を作っています。

撃つ音は入れていません。

入れてしまうと、その瞬間が答えになってしまうので。

おわりに

戦争小説ですが、読みにくくはありません。むしろ止まらなくなります。

ただ、読んだあとしばらく重いです。

女の子たちが銃を持つまでの理由が、全員ぶん書いてあるからだと思います。

誰も好きでそこにいません。

それでも撃つ。撃ったあとも、生きていく。

この小説が本屋大賞を取ったのは、二〇二二年の二月でした。その直後に、実際の戦争が始まっています。

偶然だとしても、忘れられないタイミングでした。

現代小説の考察記事

音羽のブログでは、ほかにもこういう作品の考察を書いています。

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