『そして、バトンは渡された』梨花はなぜ説明しなかったのか——音羽が考える、渡すという愛のかたち

物語の考察

瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』を読み終えたとき、いちばん心に残ったのは優子ではなく、梨花という人でした。

四回も名字が変わる女の子の物語。あらすじだけ聞けば、かわいそうな話に思えます。でも読んでみると、まったくそうではない。この記事では、優子を育てた「二番目の母」梨花について、音羽が考えたことを書いてみます。

あくまで、音羽が想像した梨花です。正解でも解説でもありませんが、同じ本を読んだ方と、静かに感想を交わすような気持ちで書きました。

簡単に紹介しておくと、『そして、バトンは渡された』は瀬尾まいこさんの小説で、2019年の本屋大賞を受賞しました。永野芽郁さん、田中圭さん主演で映画化もされています。

主人公の優子は、十七歳までに三人の父と二人の母を持ち、名字が四回変わった女の子。その優子の現在と、彼女を育てた大人たちの過去が、交互に語られていく構成になっています。

※物語の展開に触れています。これから読む予定の方はご注意ください。

梨花という人が、わかりにくい理由

梨花は、優子の実の母ではありません。父の再婚相手として現れ、そのあと父が海外へ行くとき、優子を連れて日本に残ることを選びます。

血のつながりもなく、法的にも手放せる立場だったのに、彼女は手放さなかった。しかもそのあと、また結婚し、また離婚し、優子の名字は変わっていきます。

普通に考えれば、身勝手な人です。実際、読み始めたころのわたしは、梨花のことを少し軽い人だと思っていました。思いつきで動いて、周りを振り回す人だと。

でも読み進めるうちに、その見方がだんだん揺らいでいきました。

梨花は、自分の気持ちをあまり語りません。困ったことがあっても笑って流し、深刻な顔をしない。

その軽やかさが、読んでいるうちに「軽い人」ではなく「軽く見せている人」に変わっていきます。

本当に何も考えていない人は、あんなに周到に行き先を選んだりしない。彼女の選択をひとつずつ並べていくと、すべてが優子の生活を守る方向に向いていることに気づきます。

「捨てた」のではなく、「渡した」のだということ

この物語のタイトルにある「バトン」という言葉が、わたしはとても好きです。

リレーのバトンは、投げ捨てるものではありません。次の走者がしっかり握れるところまで走って、確実に手渡すもの。走者が替わっても、レースは途切れずに続いていきます。

梨花がしていたのは、まさにそれだったのだと思います。自分がずっと走り続けられないとわかっていたから、優子を託せる相手を探し続けた。

森宮さんという人にたどり着いたとき、彼女はようやくバトンを渡せた。あの結婚は、恋愛の結果というより、優子のための選択だったのではないかと、わたしは思っています。

そう考えると、身勝手に見えた行動の順番が、すべて逆に見えてきます。

恋をして再婚したから優子を連れていったのではなく、優子のために再婚した。順番が逆だったのだと気づいた瞬間、この物語の見え方が変わりました。

もちろん、梨花本人がそう言ったわけではありません。だからこれは、読者であるわたしの勝手な想像です。

けれど、そう読んだほうが彼女の行動はすべてつながる。そしてそう読んだとき、この物語はぐっと切なくなります。

梨花が優子を連れて日本に残ると決めた場面を、わたしは何度も読み返しました。

あのとき彼女は、優子に「どうしたい?」と選ばせるのではなく、自分が引き受ける形をとります。子どもに選択の重さを背負わせない。

その配慮の細やかさは、思いつきで動く人にはできないことだと思います。

この物語には、はっきりとした悪意を持つ人物が出てきません。

ミステリーでも社会派でもないのに最後まで引き込まれるのは、「なぜこの人はこうしたのか」という謎が、ずっと静かに置かれているからだと思います。

そしてその答えは、事件の真相のようにはっきり示されるのではなく、読者それぞれが受け取る形になっている。だからこの作品は、人によって感想が大きく変わるのだと思います。


▼ 梨花の想いを歌にしたオリジナル曲はこちら


言葉にしなかったのは、優しさだったのか

梨花は、優子に対して自分の事情をほとんど説明しません。

「あなたのためにこうしたのよ」と一度でも言えば、優子はきっと感謝したでしょう。でも同時に、重荷にもなったはずです。

自分のために誰かが人生を曲げたと知ったら、子どもは背負ってしまう。梨花はたぶん、それをいちばん避けたかった。

だから彼女は、明るくて、少し軽くて、よくわからない人であり続けた。説明しないことでしか守れないものが、この世界にはあるのだと思います。

もしわたしが同じ立場だったら、たぶん言ってしまうと思います。「あなたのためなんだよ」と。それを言わずにいられた梨花は、やっぱり強い人でした。

人に何かをしてあげたとき、それを伝えたくなるのは自然なことです。わかってほしい、報われたいと思う。

梨花は、その当たり前の欲を最後まで飲み込みました。感謝されないことを選ぶというのは、想像以上に難しいことだと思います。

わたしはこの人を、明るくて強い人だとは思いません。むしろ、寂しさを抱えたまま笑っていた人だったのではないかと思っています。

誰にも打ち明けられないまま、笑顔で決断を重ねていく。そういう時間が、彼女には長く続いたはずです。

もし梨花に一日だけ会えるなら、大したことは言えないと思いますが、「ちゃんと届いていましたよ」とだけ伝えたい。読み終えてから、ずっとそう思っています。

三人の父と、ひとつの家族

優子には、実の父、泉ヶ原さん、森宮さんと、複数の親がいます。

この物語がおもしろいのは、誰も悪役になっていないことです。

泉ヶ原さんは静かに優子を見守り、森宮さんは不器用なりに全力で向き合う。血のつながりのなさが、この人たちの優しさを損なうことは一度もありません。

特に森宮さんの、朝からカツ丼を作ってしまうような不器用さ。あれを読んで笑いながら、少し泣きそうになりました。

親であることは、資格ではなく、行動なのだと思います。誰が産んだかではなく、誰がその子の朝ごはんを作ったか。この物語は、そこを静かに示してくれます。

森宮さんが優子の進路や恋愛に本気で悩む場面も好きです。血がつながっていないからこそ、彼は「本当の親ならどうするか」を必死に考える。

その必死さが、結果としていちばん親らしい。血縁があれば自然に親になれるわけではないのだと、この人を見ていると思います。

家族というのは、最初から与えられるものではなく、日々の積み重ねで少しずつ形になっていくもの——そんなふうに感じました。

Yaquina Head Lighthouse at Sunset, Oregon, USA

優子が不幸ではない、ということの意味

この小説を読んで、いちばん驚いたのは、優子がまったく不幸ではないことでした。

名字が四回変わった子。境遇だけ切り取れば、同情される話です。実際、周囲の人は彼女を「かわいそう」と見ます。

でも優子本人は、そう思っていない。ひがまず、恨まず、まっすぐに育っている。

これは作者の都合のいい設定ではなく、そう育てた人たちがいたからだ、とわたしは受け取りました。

優子のまっすぐさは、梨花や森宮さんたちが渡してきたものの証明なのだと思います。

「かわいそう」という言葉は、時として本人の実感を否定します。

周囲の物差しで測れば不幸に見える人生でも、本人の中では十分に満たされていることがある。優子は、そのことを静かに証明している人でした。

他人の人生を勝手に採点しない。この小説から受け取ったことのひとつです。

優子が自分の生い立ちを話すときの、あの淡々とした調子も印象的でした。

悲劇として語らないし、笑い話にもしない。ただ事実として話す。その距離感は、彼女が本当に傷ついていない証拠なのだと思います。

人は、まだ痛い場所については、あんなふうに落ち着いて話せません。

学校で、優子が「かわいそうな子」として扱われそうになる場面もあります。

でも彼女はそこで卑屈にならず、かといって強がりもしません。ただ、自分の生活を続けていく。

その姿に、わたしは何度も背中を押されるような気持ちになりました。境遇は選べなくても、そこでどう立っているかは選べるのだと。

それでも、割り切れないものはある

ここまで梨花を肯定的に書いてきましたが、手放しで賛成しているわけではありません。

優子は、何度も環境が変わることに戸惑ったはずです。事情を知らされないまま生活が変わっていくのは、子どもにとってつらいことでもある。

梨花のやり方が最善だったのかどうか、正直わたしにはわかりません。

ただ、この物語は「正しい親のかたち」を教える本ではないのだと思います。むしろ、正しさの外側にも愛はある、と言っている気がします。

もし梨花がずっとそばにいたら、優子はもっと安定した子ども時代を送れたかもしれません。それは確かにそうです。

でも、この物語が描いているのは「最善だったかどうか」ではなく、「その人にできる精一杯だったかどうか」なのだと思います。

完璧ではない大人たちが、それぞれのやり方で一人の子どもを支えた。その不完全さごと肯定してくれるところが、この作品の優しさだと感じました。

もうひとつの主役、森宮さん

梨花について書いてきましたが、この物語のもう一人の主役は、間違いなく森宮さんです。

梨花と結婚したことで、突然、高校生の父親になった人。血のつながりもなければ、心の準備もない。

それなのに彼は逃げませんでした。むしろ、必要以上に真剣に、優子の人生に付き合おうとします。

その姿を見ていると、家族というのは「なってしまったもの」ではなく「なろうとし続けるもの」なのだと思えてきます。

終盤の、あるお願いをする場面。あそこで泣いた読者は多いはずです。わたしもそのひとりでした。

森宮さんは、優子に対して一度も「お父さんと呼べ」とは言いません。

立場を主張しない代わりに、日々の食事を作り、話を聞き、必要なときにそばにいる。愛情を言葉で証明しようとしない人でした。

梨花と森宮さん、やり方はまるで違うのに、二人とも「言わずに渡す」人だった。そこが、この物語のいちばん美しい重なりだと思います。

渡すことは、手放すことではない

バトンを渡した走者は、レースから消えるわけではありません。

コースの外で、次の走者を見ています。声は届かなくても、確かに見ている。

梨花もきっと、優子の人生をどこかで見守っていたのだと思います。そばにいることだけが、愛のかたちではない。

この考え方に、わたしはずいぶん救われました。距離があっても続く関係というのは、確かにあるのだと。

会えなくなった人、連絡を取らなくなった人。関係が終わったように見えても、その人から受け取ったものは自分の中に残り続けます。

渡されたバトンは、渡した人がいなくなっても手の中にある。だからこの物語は、別れの話でありながら、少しも暗くならないのだと思います。

思えば、この物語には「別れ」がたくさん出てきます。それなのに、読後感はとても温かい。

別れが不幸を意味しないからです。関係が終わっても、渡されたものは残る。そのことを、この小説は何度も繰り返し示してくれます。

わたし自身、この記事を書きながら、自分に何かを渡してくれた人のことを何度も思い出しました。

直接お礼を伝えられていない人もいます。もう会えない人もいます。それでも、渡されたものは確かに手元にある。

だとしたら、いま自分にできるのは、それを次の誰かに渡すことだけなのかもしれません。

楽曲「バトン」に込めたこと

この物語をもとに作ったオリジナル曲は、梨花の視点で書きました。

歌詞では、あえて事情を説明していません。梨花が優子に説明しなかったのと同じように、言葉にしないことを大事にしたかったからです。

代わりに、渡すという行為そのものと、渡したあとに残る静けさを描きました。

作っているあいだ、ずっと考えていたのは「言わないでいることの重さ」でした。

伝えたいのに伝えない。その我慢の中にこそ、いちばん大きな愛情があるのではないか。歌の中では、その飲み込んだ言葉を、そっと置くようなつもりで書きました。

もしよろしければ、物語を思い浮かべながら聴いていただけたら嬉しいです。

おわりに ―― あなたも誰かのバトンを持っている

この小説を読んだあと、自分が誰かから受け取ったものについて、しばらく考えていました。

親から、先生から、友人から。名前も覚えていない誰かから渡されたものが、たぶん今の自分を作っています。

そしていつか、それを誰かに渡す番がくる。血のつながりに関係なく、それはできる。

『そして、バトンは渡された』は、家族の話であると同時に、そういう受け渡しの話なのだと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。この記事と楽曲が、あなたにとって誰かの顔を思い出すきっかけになれば嬉しいです。

もし今、家族のかたちで悩んでいる方がいたら、この物語はきっと味方になってくれると思います。

血がつながっていても、うまくいかない関係はあります。つながっていなくても、支え合える関係もあります。

どちらが正しいという話ではなく、目の前の人に何を渡せるか。それだけなのだと、この本は教えてくれました。

この記事と楽曲が、あなたにとって、大切な誰かの顔を思い出すきっかけになれば嬉しいです。

音羽(Otowa)について

音羽は、小説・映画・童話などの物語を題材に、登場人物の心情を歌にしているオリジナル楽曲チャンネルです。

物語を要約するのではなく、「その人は何を感じていたのか」を想像しながら、歌詞と考察記事の両方で表現しています。


▼ 『そして、バトンは渡された』の世界を描いたオリジナル曲


▼ 音羽チャンネルはこちら(チャンネル登録お願いします!)
https://www.youtube.com/channel/UCFrbhcvlbZ7YQn31F5neoDg

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