昭和の名曲、赤いスイートピーは純愛なのか不倫なのか?考察します。

物語の考察

赤いスイートピーは、1982年1月に発売された、松田聖子の8枚目のシングルです。

作詞は松本隆、作曲の呉田軽穂とは、ユーミン「松任谷由実」のペンネームです。

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった松田聖子さんに、松本隆さんと松任谷由実さんという稀代の才能が楽曲を提供した――その事実だけでも、この曲がいかに特別な一曲であったかが分かります。洗練されたメロディと、情景が鮮やかに浮かぶ歌詞が出会ったことで、後世まで語り継がれる名曲が生まれたのです。

この曲が作られた時代には赤いスイートピーは存在してませんでした、この曲以降に品種改良されて、今では、赤がスイートピーの代表色になっています。

そう考えると、この『赤いスイートピー』という曲そのものが、後の時代の花の色を先取りしてしまった、どこか不思議な縁を持つ作品だと言えるのかもしれません。実在しなかったはずの花の色を歌の中で描いたことが、やがて現実の品種改良にまで影響を与えたとも言われており、一曲の歌が持つ力の大きさを改めて感じさせられます。

「赤いスイートピー」の歌詞の中には「あなたと出逢って 赤いスイートピー 私の胸に 咲きました」というフレーズがあります。

この曲の歌詞は、純愛を歌ったものであり、不倫を歌ったものでないと思っていました。

歌詞の中で歌われる「あなた」という相手が、誰なのかについては説明されていませんが、普通に考えたら恋人同士の純愛を歌った曲に思います。

明るく可憐な松田聖子さんの歌声で歌われると、なおさら甘く幸せな恋の情景が浮かんできます。多くの人がこの曲を「初々しい恋の歌」として受け取ってきたのも、ごく自然なことでしょう。

ただし、歌詞の解釈には個人差があります、人によっては不倫をイメージすることもあるかもしれません。

歌に明確な説明がない分、聴き手は自分自身の経験や想像を重ね合わせながら物語を読み解いていきます。だからこそ同じ歌詞でも、人によって思い描く情景がまったく違ってくる――それもまた、この曲が持つ奥深い魅力の一つなのだと思います。

しかし、この曲が広く愛される理由は、その美しいメロディとともに、純愛を歌った歌詞であることが大きな要因であると言えるでしょう。

発売から40年以上が経った今もなお、世代を超えて多くの人に歌い継がれているのは、その普遍的な恋心の描写があるからこそでしょう。けれども、改めて歌詞を一行ずつ丁寧に味わってみると、ただ甘いだけの恋の歌として片付けてしまうには、あまりにも切なく、そして意味深な言葉が随所に散りばめられていることに気づかされます。

わたしはこの曲が大好きでカラオケでもよく歌います、ずーっと純愛の曲だと思って歌ってましたが、ある日、素朴な疑問が湧いてきました。

よくよく歌詞を読んでみると、純愛への疑念が湧いてきました。

そんな思いから、赤いスイートピーの歌の歌詞、男女の関係をじっくりと考察してみました。

もちろん、これはあくまで一つの解釈にすぎず、明確な正解があるわけではありません。それでも、何気なく口ずさんでいた歌の一節一節に目を凝らしてみると、そこには一人の女性の繊細で複雑な感情の物語が、確かに息づいているように思えてくるのです。

歌のストーリーですが普通にどう聞いても彼女は、おそらく年上であろう男性に好意を持っています。

気の弱い男性は彼女の思いに答えるのは苦手で、落ち着かずタバコを吸いながら気持ちを落ち着かせているように思えます。

彼女の真っ直ぐな好意を前にして、どう応えるべきか戸惑い、視線を泳がせる男性。その煮え切らない態度の裏には、応えたくても応えられない、何かしらの事情が隠れているようにも見えてきます。

そんな二人は列車で海を見に行こうと駅まで来たところで、雨が・・・・。

そして周りには誰も居なくって、気まずくなる

雨という偶然が、二人を人気のない駅のベンチに閉じ込めます。逃げ場のない静かな空間で向き合ったとき、これまで言葉にしてこなかった気持ちや、二人の関係の危うさが、否応なく浮かび上がってくるのです。

わたしの経験上で言えば、この男性は妻子持ちか、彼女がいるのか? どちらかと思います。

一般的に言う二股か不倫だと思います。

もちろん、これは決して下世話な詮索のためではありません。歌詞の端々ににじみ出る「言えない事情」や「触れたくても触れられない距離感」を丁寧に読み解いていくと、二人の関係が決して順風満帆なものではなかったことが、自然と浮かび上がってくるのです。

スイートピーの謎解き

行きたかった海

スイートピーが綺麗に咲く季節は四月下旬と言われてます、ゴールデンウイークの頃です。

しかし、この歌では、線路の脇のつぼみ と言っているので二人が会ってる時期は四月中旬で間違いないと思います。

そして花言葉は『門出』や『別離』が代表的な花言葉です。

そのほかにも、『ほのかな喜び』『優しい思い出』などがありますがこの場面では、別れの意味の方が合理性があります。

華やかで可憐な見た目とは裏腹に、別れや旅立ちといった意味を秘めているスイートピー。その奥行きのある花言葉が、この曲の切ない世界観と見事に重なり合っています。

この事から分かるように雨が降る中で、駅のベンチで座ってる二人・別れは、ほぼ確定しています。

スイートピーという花が持つ二つの顔――「門出」という前向きな意味と、「別離」という切ない意味。その相反する両方を併せ持つこの花を、作詞家の松本隆さんがあえて選んだことには、きっと深い意図があったのだと思います。喜びと悲しみが表裏一体となった、まさにこの恋の物語そのものを象徴する花だったのではないでしょうか。

彼女は赤いスイートピーを実際には見てません、実際に見たのは線路の脇つぼみのスイートピーです。

そして心の中、妄想の中で汽車に乗って海に行って、その浜辺で咲いていたのが赤いスイートピーです。

現実に咲いていたのは、まだ花開く前の小さなつぼみだけ。それでも彼女の心の中では、その花がいつか海辺で赤く咲き誇る姿が、はっきりと見えていたのでしょう。叶わなかった願いほど、私たちの想像の中では鮮やかに膨らんでいくものなのかもしれません。

そんな事を、駅のホームで思っていたと推測されます。

つまり彼女が思い描いていた「赤いスイートピー」は、目の前の現実の風景ではなく、叶わなかった未来への憧れが生み出した心象風景だったのかもしれません。線路脇でまだ固く閉じているつぼみと、心の中で鮮やかに咲き誇る赤い花。その対比こそが、この曲に流れる切なさの核心にあるように感じます。

実らない恋

海岸

彼女は海に行きたかったけど、結局は何処にも行けずに、駅でたたずんでただけです。

余談ですが、この二人が出会った時代には赤いスイートピーは存在していませんでした。

一般の人の彼女は、赤い色のスイートピーがこの時代にあるとか無いとかの概念すらなかったと思われます。

そして黄色でも青でもなく、赤いスイートピーとは、色的に 自分=赤 と見立ててます。

そして、赤いスイートピーは雨で行けなかった海岸に咲いてます。

行けなかった海。咲くはずだった赤い花。そのどれもが、二人が手にできなかった「もしも」の未来を象徴しています。歌の中に散りばめられたこうした切ない暗示が、聴く人の胸を静かに締めつけるのです。

要約すると、赤(自分)いスイートピー(別れ)が咲く頃、4月下旬には、別れが、失恋が分かっているから、言葉が詰まり不意に気まずくなる

何気ない沈黙のなかにこそ、言葉にできないほどの感情が詰まっている――この「不意の気まずさ」という表現は、別れを予感した二人の間に流れる、張りつめた空気を見事にすくい取った一節だと言えるでしょう。

男性は他に誰かいる

知り合ってから半年過ぎても手も握らないのは、外で手を握れない事情があるとしか思えません。

人目を気にしてためらい続ける、その慎重すぎるほどの態度。それは決して彼女への気持ちが薄いからではなく、むしろ二人の関係を誰にも知られてはならないという、男性側の切実な事情を暗に物語っているように思えてなりません。

手を繋いで歩いてる所を誰かに見られたら不味い人だと思います。

なぜ手を繋いでる所を見られたら不味いか? これはもう他に恋人もしくは妻子が居るとしたら納得感があります。

男性が時計をチラッと見るのは時間を気にしてるからですよね、時間になれば帰らなくてはならない人だからです。

時間になれば男性は他の女性の元に帰る事を分かっているので、泣きそうな気分になるのです。

そして、この男性の最大の欠点が気が弱さです。

この二人は愛し合ってます、彼女は男性に I will follow you あなたに付いて行く、同じ青春を走っていくと言ってるのに男性の気の弱さから叶わぬ夢となりました。

駅のホーム

両想い?

本当なら翼の生えたブーツで、と思って居る事から2人で遠くに行きたい思いが溢れ出ています。

彼女は本当に男性の事を愛していたと思います。

だからこそ彼女は「翼の生えたブーツ」を履いて、どこか遠い場所まで二人で飛んでいきたいと願ったのでしょう。現実のしがらみから解き放たれた場所でなら、誰にも邪魔されることなく堂々と手をつなげる――そんな叶わぬ夢を、彼女は心の奥で何度も描いていたのかもしれません。

このまま帰れない帰れない、と言ってますがここは駅、無情にも汽車が来れば男性だけが乗り、彼女は見送った後で帰る・・・・。

そして、心に春が来た日とは気持ちが和らいだとき赤(自分)いスイートピー(優しい思い出)として押し花として永遠に思い続ける事でしょう。

長い時間をかけて、痛みが少しずつ和らいでいったとき。彼女はようやく、この恋を悲しみではなく「優しい思い出」として、そっと心の中にしまうことができたのでしょう。押し花のように色褪せながらも、決して消えることのない大切な記憶として。

結局、彼女は翼の生えたブーツを履く事が出来ずに、そのまま男性との思い出を心に詰め込んで帰りました。

自ら身を引くという選択は、決して気持ちが冷めてしまったからではありません。むしろ相手を深く想うがゆえに、これ以上は踏み込んではいけないと悟った、彼女なりの精一杯の優しさであり、覚悟だったのだと思います。

26年後の新事実

あれから26年後の春、彼女は同じ駅に一人で来ていました。

あの時のスイートピーの押し花を眺めながら、あの時と同じ駅のベンチで一人。

ベンチで一人

続・赤いスイートピー

男性は結婚をしていて幸せに暮らしている、風の便りで知りました。

そして二人の別れに驚愕の事実が発覚しました。

あの時、男性には他に女がいました、その事を彼女は知っていたので、強引になれずに自ら身を引いたのです。

あの時、一緒に海に行っていたら、男性は強引に彼女の腕をつかんでてたと思われます。

もし二人が雨に降られず、予定どおり海へと向かっていたなら、物語はまったく違う結末を迎えていたのかもしれません。たった一度の雨が、二人の運命を静かに、しかし決定的に分けてしまったのだと思うと、やるせない気持ちになります。

そして、同じ青春を走って、一緒に生きていけたはずです。

しかし彼女はその未来を選ばずに、身を引きました。

愛していたからこそ、最後までわがままを通そうとはしなかった。その健気で切ない選択が、長い年月を経た今もなお、彼女の胸の奥で静かにくすぶり続けているのです。

今思い起こせば、もしもわがままを言わずに生きれば、運命は違ったの?

続いてるの?

まとめ

彼女は心の中で、もしもわがままを言わずに生きれば運命は違ったの? と、問いかけています。

この言葉からも分かるように、好きだったけど「わがまま」なところがあり結果的に別れたと言う事です。

「もしもわがままを言わずに生きれば、運命は違ったの?」――この問いかけには、選ばなかったもう一つの未来への後悔と、それでも自分の選択を完全には否定しきれない、揺れ動く複雑な思いがにじみ出ています。

しかし、今思うのは、あの日に戻れるなら、すべて失くしてもいい。

すべてを失ってもいいとまで言い切れるほど、その恋は彼女にとってかけがえのないものでした。手に入らなかったからこそ、その想いはいつまでも色褪せることなく、心の中で美しいまま生き続けているのでしょう。

なぜ、26年経った今、同じ駅のベンチに来ているのか?

四半世紀という時間は、人を大きく変えるには十分すぎるほどの長さです。それでも彼女が再びこの場所を訪れたという事実は、あの日の恋が決して過去のものになりきれていないことを、何よりも雄弁に物語っています。

偶然にでも思い出のこの場所で会えたら、少しおとなびた私をあなたに見せたい 無理な夢だけど。

大人になった自分を見てほしいという願いは、叶わないと分かっていてもなお消えることのない、純粋な想いの証なのでしょう。26年という歳月を経ても、彼女の心の中にはあの日の恋が、あの日のままの形でそっと残されていたのです。

赤いスイートピーは誰もが知っている名曲ですが、続・赤いスイートピーは知らない人も居るかとおもいます。

彼女は赤いスイートピーで切ない恋をして続・赤いスイートピーで今もまだ儚い恋をしています。

赤いスイートピーの花が咲く季節が哀しい

歌の解釈と言うのは聞き手の自由なのでわたしは、こんな風に感じました。

カラオケで赤いスイートピーを歌うときは合わせて、続・赤いスイートピーも一緒に歌ってみて下さい、この歌の世界観がより一層広がると思います。

『続・赤いスイートピー』には、あの恋のその後を思わせる言葉が描かれており、二曲を続けて聴くことで、彼女の長い片想いの物語が一本の線でつながっていくように感じられます。一曲だけでは見えてこなかった感情の機微が、続編を知ることでより鮮明に浮かび上がってくるのです。

この曲を聴くと優しい気持ちになれますよね。

純愛なのか、それとも不倫なのか――その答えは、結局のところ聴く人それぞれの心の中にあるのだと思います。けれど、どちらの解釈をとったとしても、相手をひたむきに想う気持ちの純粋さだけは、決して変わることがありません。だからこそこの曲は、時代を超えて多くの人の胸に、優しく、そして切なく響き続けているのでしょう。

この映画↓わたしのお勧めです、見終わったらホントに優しい気持ちになれます。

恋の形に正解はなく、選んだ道も選ばなかった道も、すべてがその人の人生を形づくっていきます。『赤いスイートピー』が長く愛され続けるのは、誰もが心のどこかに抱えている「あの日の選択」を、そっと優しく照らしてくれるからなのかもしれません。

映画『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』は何回見ても心が穏やかになれる。

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