『鬼畜』は、ミステリーや社会派小説の巨匠・松本清張が描いた、短編小説の傑作です。のちに映画化もされ、人間の弱さと、家庭が壊れていく恐ろしさを、これ以上ないほど生々しく描き出した作品として知られています。印刷屋を営む竹中宗吉(たけなか そうきち)と、その隠し子である3人の子どもたち。商売の行き詰まりと、大人たちの身勝手さの中で、幼い子どもたちの世界が、静かに、そして残酷に歪められていきます。
この記事では、その物語を、宗吉の長男である利一(りいち)の目線から振り返り、考察していきます。父にひどい仕打ちを受けながらも、なぜ利一は、父を憎みきることができなかったのか。「鬼」のようになってしまった父に、子どもは何を見ていたのか。ここからは、利一自身が静かに振り返るように、その複雑な想いをたどってみましょう。
※この記事は、物語の結末にも触れています。これから作品に触れる予定の方は、ご注意ください。
崩れていった家族と、寒い駅のベンチ
ぼくの名前は、利一。
ぼくには、弟と妹がいた。ぼくたち3人は、お父さん——竹中宗吉と、ある女の人とのあいだに生まれた子どもだった。お父さんには、別に「家」があった。本当の奥さんがいる、もう一つの家が。だから、ぼくたちは、お父さんにとって、表に出せない子どもだったのだ。
それでも、お母さんと暮らしていた頃は、まだよかった。貧しくても、ぼくたちには帰る場所があったから。けれど、お父さんの商売がうまくいかなくなると、すべてが変わってしまった。ある日、お母さんは、ぼくたち3人を、お父さんの家に置いて、どこかへ消えてしまったのだ。
突然、見知らぬ子どもを3人も押し付けられた、お父さんの奥さん。その人は、ぼくたちのことを、激しく憎んだ。冷たい目で見て、きつい言葉を浴びせ、まともに食べさせてもくれなかった。ぼくたちは、その家の中で、まるで邪魔者のように扱われた。
追い詰められていったのは、子どもたちだけではなかった。奥さんからのプレッシャーと、お金のない苦しさの中で、お父さんもまた、少しずつ、追い詰められていったのだ。
あの家には、いつも、ぴりぴりとした空気が張り詰めていた。奥さんの冷たい視線。お父さんの、おどおどとした態度。ぼくたち子どもは、その空気を壊さないように、息をひそめて暮らしていた。笑うことも、はしゃぐことも、許されない。子どもらしくいることが、罪であるかのような毎日だった。
お腹を空かせて眠る夜も、何度もあった。それでも、ぼくは、弟や妹の前では、お兄ちゃんとして、平気なふりをしていた。「大丈夫だよ」と、何の根拠もなく言い聞かせながら。本当は、ぼく自身が、いちばん不安で、いちばん心細かったのに。
「ごめんな、利一」——震える、父の声
「ごめんな、利一」
お父さんは、時々、そう言ってぼくの頭をなでた。その声は、いつも、かすかに震えていた。
幼かったぼくにも、なんとなく分かっていた。その「ごめんな」が、ただの口先の言葉ではないことを。お父さんは、自分の弱さを知っていた。ぼくたちを守ってやれないこと、ぼくたちをひどい目に遭わせていること——その罪の重さを、お父さん自身が、いちばん感じていたのだ。
大人は、子どもには何も分からないと思っているのかもしれない。でも、そうじゃない。子どもは、言葉にできないだけで、大人が思うよりもずっと多くのことを、感じ取っている。お父さんの「ごめんな」の奥にある、底知れない不安や、罪悪感を、ぼくは、たしかに感じていた。
だからこそ、ぼくは、お父さんを責めることができなかった。お父さんが、ぼくたち以上に苦しんでいることが、子どものぼくにも、分かってしまったから。それは、優しさだったのか、それとも、ただの諦めだったのか。今でも、ぼくには分からない。
ただ一つ言えるのは、ぼくは、お父さんに「愛されたい」と、ずっと願っていたということだ。こんな家でも、こんな状況でも、お父さんに頭をなでてもらえる、あのほんの一瞬だけは、ぼくは、ちゃんと「子ども」でいられた。その温もりを失いたくなくて、ぼくは、すべてに目をつぶろうとしていたのかもしれない。
その「罪」の重さを、ぼくは、幼い背中で感じていた。言葉にはできなくても、お父さんが何か恐ろしいものに、少しずつ飲み込まれていくのを、子どもながらに、肌で感じ取っていたのだ。
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「鬼」という名の鎖
そして、恐ろしいことが、起こり始めた。
奥さんの冷たい仕打ちと、生活の苦しさに耐えきれなくなったお父さんは、ぼくたち子どもを、一人、また一人と、「いなくする」ことを考え始めたのだ。気づけば、ぼくの妹が、弟が、ぼくのそばから、姿を消していった。
大好きだったお父さんが、ぼくの目の前で、まるで「鬼」のような、恐ろしい存在に変わっていく。あの優しく頭をなでてくれた手が、あの震える声で「ごめんな」と言ってくれたお父さんが——。ぼくは、その変化を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
妹がいなくなった日のことを、ぼくは、今でも忘れられない。昨日まで、ぼくの隣で笑っていた妹。その小さな存在が、ある日を境に、ぷつりと消えてしまった。誰も、そのことを口にしなかった。まるで、最初から、いなかったかのように。
その沈黙が、何よりも恐ろしかった。何が起きたのか、はっきりとは分からない。でも、分かってはいけないことが起きたのだと、ぼくの心は、本能的に理解していた。ぼくは、ただ、自分の番が来ないことを、祈ることしかできなかった。そんな自分が、たまらなく嫌だった。
幼かったぼくにできたことは、何もなかった。妹を守ることも、弟を助けることも、ぼくの小さな手では、どうすることもできなかった。ただ、目の前で大切なものが消えていくのを、見ていることしかできなかった。その無力さは、大人になった今も、ぼくの胸の奥で、消えない傷として残り続けている。
父さん、あなたは鬼なの。それとも、哀しい人なの。ぼくの心の中で、その問いが、何度も何度も渦巻いた。これが、ぼくにとって、この出来事のいちばんの核心だった。
けれど、不思議なことに——お父さんのしたことが、決して許されないことだと分かっていながら、ぼくは、お父さんを憎むことが、どうしてもできなかった。行き場のない、お父さんの影を、ぼくは、なぜか追いかけてしまうのだった。
なぜ、ぼくは父を憎めなかったのか
どうして、ぼくはお父さんを憎めなかったのだろう。今でも、ぼくはそのことを考える。
お父さんは、強い人ではなかった。むしろ、誰よりも弱い人だった。妻に逆らえず、貧しさに負け、まわりに流されて、取り返しのつかない場所まで来てしまった。その弱さを、ぼくは、子どもながらに、どこかで見抜いていたのだと思う。
もし、お父さんが、本物の「鬼」だったなら、ぼくは迷いなく憎めたのかもしれない。でも、お父さんは、震えていた。罪の意識に、苦しんでいた。その姿を見てしまったから、ぼくは、お父さんを、ただの怪物として切り捨てることが、できなかったのだ。
憎みたくても、憎みきれない。許せないのに、見捨てられない。その引き裂かれるような気持ちこそが、子どもであるぼくが背負わされた、いちばん重い荷物だったのかもしれない。
子どもにとって、親は、世界のすべてだ。どんなにひどい親でも、子どもは、その親を求めずにはいられない。それは、理屈ではない、もっと根っこにある、本能のようなものだ。だから、ぼくは、お父さんがどんなに恐ろしいことをしても、その背中を、追いかけてしまうのだった。
「捨てられたくない」。その一心だったのかもしれない。お父さんに嫌われたら、ぼくには、本当に、どこにも行く場所がなくなってしまう。だから、憎むことができなかった。憎んでしまったら、ぼくは、たった一人になってしまうから。それほどまでに、ぼくは、お父さんに、すがるしかなかったのだ。

罪の海に沈んだ「愛」
やがて、お父さんの罪は、明るみに出た。
警察に捕らえられるお父さん。その姿を見たとき、ぼくは、初めて、はっきりと分かった。お父さんは、「鬼」なんかじゃなかった。お父さんは、ただ、誰よりも弱い、一人のかわいそうな人だったのだ、と。
強くなれなくて、誰かを守ることもできなくて、自分の弱さに飲み込まれてしまった、哀しい人。ぼくがずっと追いかけていた「父の影」の正体は、そんな、どうしようもなく不器用で、もろい一人の人間だったのだ。
父さん、ぼくは、あなたを憎めない。あれほどのことをされても、あなたを憎みきることができない。それが——たぶん、ぼくにとっての、いちばんの罰なのだと思う。
憎めたら、どんなに楽だっただろう。「あんな父親、もういらない」と切り捨てられたら、ぼくの心は、もっと軽くなれたのかもしれない。でも、ぼくにはそれができない。なぜなら、ぼくの中には、どうしようもなく、お父さんへの「愛」が、残ってしまっているからだ。
もし、ぼくがお父さんを、心の底から憎むことができたなら。「あんな人、父親なんかじゃない」と、きっぱり言い切れたなら。ぼくは、この苦しみから、解放されたのかもしれない。憎しみは、時に、人を前に進ませてくれるから。
でも、ぼくにはそれができない。憎しみのかわりに、ぼくの胸に残ったのは、消えない愛と、行き場のない哀しみだった。それは、憎しみよりも、ずっと重く、ずっと長く、ぼくを縛り続ける。「憎めないこと」が罰になるなんて、あの頃のぼくは、思いもしなかった。
大人のエゴが、子どもの世界を歪めるとき
ここからは、この物語そのものについて、少し考察してみたいと思います。
『鬼畜』が、これほどまでに見る人の胸をえぐるのは、そこに描かれているのが、特別な「悪人」の物語ではないからです。宗吉も、その妻も、もとから残酷な人間だったわけではありません。貧しさや、嫉妬や、追い詰められた状況の中で、ごく普通の弱い大人が、少しずつ「鬼」になっていく——その過程が、あまりにもリアルだからこそ、恐ろしいのです。
そして、その大人たちの「エゴ」の犠牲になるのは、いつも、子どもたちです。子どもには、親を選ぶことも、環境を変えることもできません。ただ、大人の都合に振り回され、その身に降りかかる理不尽を、黙って受け止めるしかない。利一が背負わされたものの重さを思うとき、私たちは、言葉を失ってしまいます。
現代でも、子どもをめぐる痛ましい出来事は、後を絶ちません。『鬼畜』が書かれたのは昭和の時代ですが、ここで描かれている問題は、決して「昔話」ではないのです。追い詰められた大人が、いちばん弱い存在である子どもに、しわ寄せをぶつけてしまう——その構図は、時代を超えて、今もなお、私たちの社会に存在しています。
だからこそ、この物語は、単なるフィクションとして消費するだけでは終われません。利一の哀しみは、どこかで、現実の子どもたちの哀しみと、つながっているのです。その視線を持って読むとき、『鬼畜』は、いっそう重く、私たちの胸に迫ってきます。
松本清張が見つめた、人間の「弱さ」
松本清張という作家は、華やかな英雄ではなく、平凡な人間の中にひそむ「弱さ」や「暗さ」を見つめ続けた作家でした。
『鬼畜』もまた、その視線の延長線上にある作品です。宗吉を、単なる極悪人として断罪するのではなく、「なぜ、人はここまで堕ちてしまうのか」を、冷徹に、しかしどこか哀しみを込めて描いています。だからこそ、この物語は、ただ怖いだけでは終わらず、見る人の心に、重い問いを残していくのです。
「自分なら、絶対にこんなことはしない」。そう言い切れる人が、どれだけいるでしょうか。極限まで追い詰められたとき、人は何をしてしまうのか。その問いを、松本清張は、私たちに静かに突きつけてきます。
松本清張の作品が、何十年経っても色褪せないのは、こうした「人間の普遍的な弱さ」を描いているからです。事件そのものよりも、その事件を起こしてしまう「人の心」に、彼はいつも光を当てました。だからこそ、読者は、登場人物を遠い世界の人としてではなく、どこか自分と地続きの存在として感じてしまうのです。

「鬼畜」というタイトルが意味するもの
「鬼畜(きちく)」とは、鬼や畜生のように、むごく非道なことをする者を指す言葉です。一見すると、このタイトルは、子どもに手をかけた宗吉のことを指しているように思えます。
けれど、この物語を読み終えたあと、ふと考えてしまうのです。本当の「鬼畜」とは、誰のことだったのか、と。子どもを置き去りにした実の母。子どもを憎んだ妻。そして、流されるままに罪を犯した父。あるいは——そうした悲劇を生み出してしまう、社会そのもの。「鬼畜」という言葉は、特定の誰かだけでなく、人間の心の奥にひそむ闇そのものを、指しているのかもしれません。
それでも消えない、親子の絆
この物語が、絶望だけで終わらないのは、利一の心の中に、最後まで「愛」が残されているからです。
あれほどひどいことをされても、なお消えない、父への想い。それは、子どもの愛が、いかに純粋で、いかに強く、そして、いかに切ないものかを、私たちに教えてくれます。憎しみよりも深いところに残る、その愛こそが、この物語の、たった一筋の光なのかもしれません。
ひどい目に遭わされたのに、それでも親を想ってしまう。その姿は、痛々しくもあり、同時に、胸を打たれるほど美しくもあります。利一の中に残った愛は、誰かに教えられたものではなく、子どもが生まれながらに持っている、まっさらな心そのものなのでしょう。
その純粋さが、大人たちのエゴによって踏みにじられていく。それこそが、この物語のいちばんの哀しみであり、私たちが目を背けてはいけない部分なのだと思います。
大人のエゴによって、子どもの世界は、いとも簡単に歪められてしまう。それでも、親子の絆だけは、完全には消え去らない。家族とは何か、本当の「愛」と「罪」とは何か——『鬼畜』は、利一の視点を通して、私たちに深く問いかけてきます。
愛と罪は、しばしば、はっきりと分けられないものです。愛しているからこそ犯してしまう罪もあれば、罪の中にさえ、かすかな愛が宿ることもある。利一が父に向ける、憎みきれない想いは、まさにその「愛と罪のあわい」に立っています。割り切れないからこそ、その想いは、見る人の心に、いつまでも消えない問いを残していくのです。
この物語が投げかける、答えのない問いを、音羽のオリジナル曲とともに、感じていただけたら嬉しいです。家族のあり方や、本当の愛と罪について、この機会に、ぜひ考えてみてください。
そして、もし可能なら——あなたの周りにいる子どもたちのことを、少しだけ気にかけてあげてください。利一のように、声を上げられずに、苦しんでいる子が、どこかにいるかもしれません。この物語が問いかけるものは、決して、過去や物語の中だけの話ではないのですから。
▼ 『鬼畜』の世界を描いたオリジナル曲(再掲)
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