『夜明けの街で』を読み終えたとき、正直、少し嫌な気持ちになりました。
主人公の渡部がしていることは、擁護のしようがない不倫です。妻がいて、娘がいて、それでも彼は一線を越えてしまう。読んでいて、何度も「やめておけばいいのに」と思いました。
それなのに、彼を突き放して読み切ることができないのです。理由は、たぶんひとつ。彼が、あまりにも「普通の人」だからだと思います。
この記事では、この物語を主人公・渡部の側から考えてみたいと思います。ただ、これは原作の解説でも、不倫を肯定する話でもありません。あくまで、音羽が想像した渡部です。彼はどこで踏み外し、何を失ったのか。わたしなりに考えたことを書いてみます。
簡単に紹介しておくと、『夜明けの街で』は東野圭吾さんが2007年に発表した長編小説です。2011年には岸谷五朗さん、深田恭子さん出演で映画化もされました。
東野作品の中では、殺人トリックを解く純粋なミステリーというより、一人の男の心の内側をたどる小説という色が濃い作品です。だからこそ、読んでいるあいだ、ずっと居心地の悪さがつきまといます。
※物語の展開に触れています。これから読む予定の方は、ご注意ください。

「不倫する奴はバカだ」と言っていた男
渡部は、もともと不倫を軽蔑していた人でした。
職場でそういう噂を聞けば、心の中で思っていたはずです。何をやっているんだ、失うもののほうが大きいのに、と。妻がいて、娘がいて、仕事もそれなりに順調。自分は、そちら側の人間ではないと信じていた。
わたしがこの設定を上手いと思うのは、人がいちばん危ういのは「自分は大丈夫だ」と思っているときだ、という点を突いているからです。
人を軽蔑しているとき、人は自分の中の弱さを点検しなくなります。まさか自分が、と思っている人ほど、足元は無防備になっている。渡部が強い人間だったのではなく、ただ、まだ試されていなかっただけなのでしょう。
わたし自身、この作品を読むまでは、不倫の話を「自分には関係のない世界の話」として眺めていた気がします。
でも、渡部の内面を追っていくうちに、その線引きが揺らいでくる。彼は特別に意志が弱いわけでも、快楽に流されやすい性格でもない。むしろ、平均よりまじめなくらいです。それでも、越えてしまった。
この物語が読者に突きつけてくるのは、たぶん「自分は違う」という確信そのものの脆さなのだと思います。
悪いことは、何ひとつ起きていなかった
この物語がリアルなのは、渡部の家庭が壊れていないことです。
妻が冷たいわけでも、娘との関係が悪いわけでもない。ただ、長く一緒にいれば、会話は用件だけになる。夫婦は同志のようになり、恋人ではなくなる。それは自然なことで、不幸でもありません。
でも、その「なんでもない日常」の中に、いつのまにか小さなすきまができていた。渡部自身も気づいていなかったであろう、その空白に、彼女の優しい声が入り込んでくる。
彼が惹かれたのは、たぶん容姿だけではなかったと思います。話を聞いてもらえること。「お父さん」ではなく、一人の男として見られること。家庭では得られなくなっていたものが、そこにあった。
わたしが怖いと感じたのは、そこに大きな不幸も、劇的な出会いもないことです。ごく普通の毎日の中に、静かに入り口があった。それが、この物語のいちばん恐ろしいところだと思います。
もうひとつ、相手の女性の側にも事情があることが、事態をややこしくしていきます。
渡部は、彼女を「守ってやりたい」と思ってしまう。けれど、その気持ちには危うさがあります。人は「誰かを助けている」と思っているとき、自分の欲望をいちばん都合よく正当化できてしまうからです。
善意のつもりが、実は自分の願望だった——これは不倫に限らず、人間関係のいろいろな場面で起きることかもしれません。
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線は、ある日いきなり現れるわけではない
渡部が一線を越えるまでの過程を読んでいると、何度も「ここで引き返せたのに」と思う場面があります。
連絡を返さない。誘いを断る。二人きりにならない。どれも、やろうと思えばできたはずのことです。
でも、彼はそうしなかった。「一度だけなら」「誰にも分からない」——そんな小さな言い訳を、いくつも積み上げていく。
人が道を外れるのは、強い意志で悪を選ぶからではないのだと思います。ほんの少しの弱さに、何度も目をつぶるから。決定的な瞬間には、大した理由なんてないのでしょう。
そして、こういう選択は、あとから振り返ってはじめて「あそこが分岐点だった」と分かるものです。渦中にいるときは、自分がどこに向かっているのか、たいてい見えていない。
だから彼は「誘惑に負けた」というより、たぶん、自分で選び続けていたのです。認めたくなかっただけで。
そして、いちばん怖いのは「慣れ」だと思います。
最初は確かにあった罪悪感も、時間が経てば「いつもの重さ」に変わっていく。人の心は、どんな状況にも適応してしまう。その適応力は生きる力でもありますが、この物語では、それが破滅への滑り台になっていきます。
嘘は、次の嘘を呼ぶ
不倫の場面そのものより、わたしが読んでいてつらかったのは、家に帰ったあとの描写でした。
「おかえりなさい」と迎える妻。駆けてくる娘。何ひとつ変わらない、あたたかい風景。その中で、渡部だけが少しずつ影のように薄くなっていく。
笑いながら、心は別の場所にある。同じ食卓に座っているのに、自分だけがこの家の一員ではないような気がしてくる。——この感覚を、渡部は誰にも言えません。
嘘は、ひとつつくと、それを守るためにまた次の嘘が必要になります。残業だと言い、出張だと言い、記憶を整理しながら帰宅する。やがて、自分でも何が本当だったのか分からなくなる。
裏切っていたのは、妻だけではなかったのだと思います。彼は、自分自身を裏切っていた。嘘をつくたびに、自分で自分を削っていたのです。
特に印象に残るのは、家族と過ごしている時間に、心がそこにいない場面です。
娘の行事に付き添いながら、頭のどこかで携帯を気にしている。大切なはずの時間の中で、意識が半分どこかへ行っている。あんなに守りたかったはずの日常を、自分の手で薄めていることに、彼はどこかで気づいていたはずです。
信頼というのは、積み上げるのに何年もかかるのに、崩れるときは驚くほど静かで、あっけない。この物語は、その崩れ方を丁寧に見せてくれます。

夜明けの街で流した涙の意味
すべてが終わったあと、渡部は明け方の街を歩きます。
誰もいない道。白みはじめた空。街が新しい一日を始めようとしている、その真ん中で、彼だけが取り残されている。
あの涙は、失恋の悲しみだけではないと思います。もっと大きいのは、自己嫌悪でしょう。
かつて自分がいちばん軽蔑していた「バカな人間」に、ほかでもない自分がなってしまった。あんなに確信していた「正しい自分」が、たった一人の優しい声で崩れてしまった。その事実に、ようやく正面から向き合わされたのです。
新聞配達のバイクの音、シャッターを開ける店主。世界は何事もなかったように動き出していく。自分の人生をこんなに揺らした出来事も、世界にとっては何でもない。——あの孤独は、誰かに責められることよりも、ずっと深く堪えたはずです。
そして、あの明け方に彼が考えたのは、たぶん「自分は本当は何が欲しかったのか」ということだったのではないでしょうか。
刺激でも、若さでも、恋のときめきでもなく——ただ「自分をちゃんと見てくれる誰か」が欲しかっただけなのかもしれない。だとしたら、それは、家の中にもあったはずのものです。
この気づきの遅さが、いちばん切ないところだと思います。
本気だったから、では済まない
よく「本気だったから仕方ない」という言葉を聞きます。
でも、気持ちが真剣だったかどうかは、傷つけられた人には何の関係もありません。真剣さは免罪符にはならない。むしろ本気であればあるほど、壊すものは大きくなります。
それに、渡部は相手の女性にも誠実ではなかったと思うのです。守れない未来をちらつかせ、決断を先延ばしにし続けた。相手のためだと言いながら、いちばん守っていたのは自分の立場だった。
誰かを傷つけないつもりで、結局、全員を傷つけてしまう。中途半端な優しさというのは、そういうものなのかもしれません。
この作品を読んでいると、「誠実さ」とは何なのかを考えさせられます。
気持ちに正直であることが誠実なのか。それとも、約束を守り続けることが誠実なのか。渡部は前者を選んでしまいましたが、その結果、彼は誰に対しても不誠実になってしまった。
自分の気持ちに正直でいることと、他人を裏切らないことは、必ずしも両立しないのだと思います。
この物語は、誰の話なのか
『夜明けの街で』が読む人をざわつかせるのは、渡部が特別に悪い人間ではないからだと思います。
まじめで、常識的で、不倫を軽蔑してさえいた、どこにでもいる会社員。だから読者は、彼を安全な場所から裁くことができません。「自分は絶対に大丈夫」と言い切れる人が、どれだけいるでしょうか。
東野圭吾さんは、渡部を大げさな悪人としては描きません。彼の言い訳も、迷いも、自己弁護も、痛いほど等身大です。読者は彼を軽蔑しようとして、いつのまにか自分の心を覗き込むことになる。
これは、東野作品に共通する特徴かもしれません。人を単純な善人と悪人に振り分けない。誰にでも言い分があり、誰にでも弱さがある。
『白夜行』の雪穂も、『秘密』の直子も、行為だけを見れば擁護できない選択をしています。それでも読者が彼らを見捨てられないのは、その内側を丁寧に描いているからです。渡部もまた、その系譜にいる人物なのだと思います。
ちなみに、この作品にはミステリーとしての側面もあり、物語の背後には、ある未解決の事件が影を落としています。恋愛小説だと思って読み進めるうちに、少しずつ緊張が高まっていく。その構成の巧みさも見どころですが、この記事では、あくまで渡部の心の動きに絞って考えてみました。
失ったものの、ほとんどは目に見えない
この物語を読み終えて、いちばん考えたのは「代償」のことでした。
渡部が失ったものの多くは、目に見えないものです。慰謝料や別居といった形あるもの以上に、彼が本当に失ったのは、家族から向けられていた無条件の信頼であり、自分自身を「まっとうな人間だ」と信じられる感覚でした。
それらは、お金でも時間でも、簡単には取り戻せません。
だからこの物語の教訓は、「バレるからやめておけ」ではないのだと思います。たとえ誰にも知られなかったとしても、自分の中で確実に何かが壊れていく。渡部が語り手であるこの小説は、その内側の崩壊を、静かに見せてくれます。
家庭というのは、あって当たり前になってしまうものです。
毎日「おかえりなさい」と言われることも、休日に家族で出かけることも、当たり前になれば、価値が見えなくなる。渡部がそれに気づいたのは、失ってからでした。
これは、不倫の話に限りません。健康も、親も、友人も、当たり前になったものほど、失うまで大きさが分からない。この物語は、そういう普遍的なことも、静かに教えてくれる気がします。
痛みを、未来へつれていく
物語の終わりで、渡部は過ちを忘れずに生きていくことを選びます。
わたしは、これがいちばん誠実な結論だと思いました。「もう終わったこと」にして、なかったことにしてしまえば、人は同じ場所で同じ間違いを繰り返してしまうからです。
もし、この文章を読んでいる誰かが、今まさにあの一歩の手前に立っているのだとしたら。ひとつだけ、伝えたいことがあります。踏み越えるのは一瞬ですが、その先の道は、とても長い。そして、失ってから気づくものの大きさは、想像しているよりはるかに大きい。
そして、もしすでに越えてしまった人がいるのなら。過去は変えられなくても、これからの生き方は変えられます。痛みは、罰であると同時に、二度と繰り返さないための道しるべにもなり得るのだと思います。
『夜明けの街で』は、決して後味のいい小説ではありません。でも、読み終えたあとに残る、あのざらついた感触こそが、この作品の価値なのだと思います。
楽しく読める本ではないけれど、心のどこかに置いておきたくなる一冊。もし未読の方がいれば、ぜひ一度、渡部の一人称に付き合ってみてください。
人の弱さと、その代償。夜明けの街に立つ一人の男の後悔を、音羽のオリジナル曲とあわせて感じていただけたら嬉しいです。
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