「正しさが、二人を引き離した」——『花束みたいな恋をした』麦くん目線で考察する、すれ違いの5年間

物語の考察

『花束みたいな恋をした』は、2021年に公開され、多くの人が「これは自分の物語だ」と胸を痛めた、坂元裕二さん脚本の恋愛映画です。趣味も価値観もぴったり同じだった山音麦(やまね むぎ)と八谷絹(はちや きぬ)——二人が出会い、惹かれ合い、そして少しずつすれ違っていく5年間を、痛いほどリアルに描いた作品です。

この記事では、その物語を、主人公である麦くんの目線から振り返り、考察していきます。「好きなことを仕事にしたい」と夢見ながらも、生きるために就職を選んだ麦くん。正しく頑張っていたはずなのに、なぜ大切なものを失っていったのか。ここからは、麦くん自身が静かに振り返るように、あの日々をたどってみましょう。


世界中で、僕たちだけが「正解」だと思っていた

絹ちゃんと出会ったのは、終電を逃した、あの夜だった。

偶然、同じ場所で時間をつぶすことになった僕たちは、話してみて驚いた。読んでいる本も、観ている映画も、聴いている音楽も、好きなお店も——何もかもが、笑ってしまうくらいぴったり同じだったのだ。

同じ作家の名前を挙げて目を輝かせ、同じ映画のワンシーンで同じように胸を熱くする。そんな相手に出会えるなんて、思ってもみなかった。あの頃の僕は、本気でこう信じていた。「世界中で、僕たち二人だけが、正解だ」と。

イラストを描くのが好きで、いつかそれを仕事にできたら、と夢を見ていた。絹ちゃんと一緒に暮らし始めて、フリーターをしながら、好きなものに囲まれて過ごす毎日。お金はなかったけれど、あの時間は、間違いなく本物だった。「このままずっと、こうしていられたらいいのに」——心から、そう願っていた。

絹ちゃんと過ごす時間は、僕にとって、息のしやすい場所だった。社会の「普通」や「ちゃんとしなさい」という圧力から、唯一逃れられる避難所のような。好きなものを「好きだ」と言い合えること。それがどれほど幸せなことか、あの頃の僕は、まだ本当の意味では分かっていなかったのかもしれない。

二人でゲームをして、本の話をして、深夜にくだらないことで笑って。お金がなくても、明日のことなんて深く考えなくても、毎日が満たされていた。きっと、誰もが人生のどこかで経験する、あの「キラキラした季節」。僕にとってそれは、絹ちゃんと過ごした、あの最初の数年間だった。

「好き」だけでは、生きていけなかった

でも、現実は、夢のようにはいかなかった。

暮らしていくには、お金がいる。家賃も、光熱費も、食費も。好きなことだけをして生きていけるほど、世の中は甘くなかった。郵便受けに入っているのは、もう、好きなアーティストのライブのチラシではなく、「請求書」ばかりになっていた。

僕は、就職することを決めた。好きだったイラストの道を、いったん脇に置いて。絹ちゃんとこれからもずっと一緒に暮らしていくために、ちゃんと稼げる「大人」にならなければ、と思ったのだ。

スーツを着て、満員電車に揺られ、必死で働いた。会社で求められるのは、僕の「好き」ではなく、結果と効率だった。理不尽なことにも、ぐっと耐えた。それが、社会人として生きるということなのだと、自分に言い聞かせて。

気づけば、僕は変わっていた。あれほど好きだったバンドの新譜が出ても、検索する余裕すらない。本を開いても、数ページで眠ってしまう。仕事で疲れ切った頭には、もう、かつての「好き」を味わうための隙間が、残っていなかったのだ。

大切だったものが、自分の中から少しずつ、音もなく削られていく。それは一気に失われるのではなく、ゆっくりとした、グラデーションのような変化だった。だからこそ、自分でも気づきにくく、そして、止めることも難しかった。

「ちゃんとした大人」になろうとした、その代償

社会に出て働き始めて、僕は確かに「ちゃんとした大人」に近づいていった。安定した給料をもらい、責任ある仕事を任され、周りからも認められるようになった。それは、世間的に見れば「立派なこと」だったはずだ。

でも、その代わりに、僕はたくさんのものを手放していた。好きだったイラストを描く時間。ゲームをする気力。本を読む集中力。そして何より——絹ちゃんと、同じ目線で世界を楽しむ、あの感覚そのものを。

仕事から疲れて帰ってくると、絹ちゃんが「面白い映画を見つけたよ」と話しかけてくれても、僕はもう、心から「観たい」と思えなくなっていた。「ごめん、疲れてるから」。その一言が、どれだけ絹ちゃんを傷つけていたか。当時の僕は、自分のことで精一杯で、気づいてあげられなかった。

生きるために働く。働くために、好きなものを諦める。諦めたぶん、心がすり減っていく。そのすり減った心では、もう、隣にいる大切な人を、昔のようには大切にできなくなっていた。今思えば、それは、とても残酷な仕組みだった。

夢を諦めたのは、君のためだった

誤解しないでほしい。僕は、絹ちゃんをないがしろにしたくて、仕事人間になったわけじゃない。

むしろ、その逆だった。絹ちゃんと、これから先もずっと一緒に生きていきたい。きちんと家庭を持ちたい——つまり「結婚」を、僕は本気で考えていた。本当に、本当に考えていたのだ。

そのためには、安定した収入が必要だ。だから僕は、夢を諦めた。正確に言えば、「君のために諦めた」と思いたかった。自分の選択を、そう信じることで、なんとか前に進もうとしていたのかもしれない。

でも——絹ちゃんが本当に求めていたのは、立派な収入でも、結婚という形でもなかった。彼女が望んでいたのは、出会った頃のままの二人。好きなものを分かち合い、くだらないことで笑い合える、あの「現状維持」の日々だったのだ。

ここに、どうしようもない皮肉があった。僕が、絹ちゃんとの未来を守ろうとして頑張れば頑張るほど、絹ちゃんとの「今」が壊れていく。正しいことをしているはずなのに、その正しさが、二人の心の距離を、少しずつ、しかし確実に広げていったのだ。

「結婚しよう」と「現状維持でいたい」。一見すると、どちらも二人の関係を続けたいという、同じ願いから出た言葉のはずだった。それなのに、その二つは、決して交わることなく、すれ違っていった。

僕は「未来」を見ていて、絹ちゃんは「今」を見ていた。僕は「変わること」で関係を守ろうとして、絹ちゃんは「変わらないこと」で関係を守ろうとしていた。どちらも、相手を想う気持ちは同じなのに、その「守り方」が、正反対だったのだ。

同じイヤホンで聴いた音楽が、別々になる日

出会った頃、僕たちは一つのイヤホンを分け合って、同じ音楽を聴いていた。肩を寄せ合って、同じメロディを、同じ気持ちで。

でも、いつからだろう。帰り道、僕は一人でイヤホンをして、絹ちゃんとは違う音楽を聴くようになっていた。聴く曲も、観るものも、感じることも——あれほどぴったり重なっていた二人の世界が、気づけば、別々の方向を向いていた。

同じものを好きでいられることは、奇跡のようなことです。でも、その奇跡を「ずっと続けること」は、もっと難しい。人は変わっていくし、暮らしも変わっていく。あの頃と同じ気持ちのままでいるには、二人ともが、よほど意識して歩幅を合わせ続けなければならなかったのかもしれません。

思い出のファミレスの、窓際の席。かつては、そこで何時間でもカルチャーの話をして、笑い転げていた。でも、今は違う。同じ席に向かい合って座っても、出てくるのは、事務的な相談や、重たい沈黙ばかり。5年前と同じ顔をしているのに、まるで違う話をしている。そんな僕たちがいた。

ある日、そのファミレスで、出会った頃の僕たちにそっくりな、若いカップルを見かけた。楽しそうに、夢中で語り合う二人。その姿を見て、僕も絹ちゃんも、涙を流していた。あんなふうに輝いていた時間が、確かに僕たちにもあったのだ。そして、それはもう、戻ってこないのだと——言葉にしなくても、お互いに分かってしまったのだと思う。

花束みたいだった日々が、カサカサと音を立てて、枯れていく。その終わりの瞬間が、静かに近づいていた。

別れを切り出すのは、簡単なことではなかった。嫌いになったわけじゃない。むしろ、今でも大切だと思っている。それでも、このまま一緒にいても、お互いをすり減らしていくだけなのかもしれない——そんな予感が、二人の間に、確かに漂っていた。

「結婚すれば、また昔みたいに戻れるかもしれない」。そんなふうに、関係を続けようとした時期もあった。けれど、形を整えることで失われたものを取り戻そうとするのは、きっと順番が違っていたのだと思う。僕たちに必要だったのは、約束ではなく、もう一度、同じイヤホンで音楽を聴けるような、あの心の余裕だったのだから。

どちらも悪くない。だからこそ、つらい

この物語の、いちばん切ないところ。それは、「悪者がいない」ということだと思う。

僕は、浮気をしたわけじゃない。絹ちゃんを傷つけようとしたわけでもない。ただ、二人の生活を守るために、必死で働いただけだ。大人として、生きていくために「正しいこと」を選んだだけ。

絹ちゃんだって、何も悪くない。彼女はただ、出会った頃の気持ちを、あの輝きを、大切にし続けたかっただけ。変わってしまった僕に、寂しさを感じただけなのだ。

どちらかが裏切ったわけでも、嘘をついたわけでもない。それぞれが、それぞれの場所で、精一杯に生きていた。それなのに、心は離れていってしまった。誰のせいにもできないからこそ、このすれ違いは、見ている人の胸に深く深く突き刺さるのだと思う。

それでも、あの恋は「本物」だった

今、あの5年間を振り返って、僕は思う。

恋が終わってしまったからといって、あの日々が「嘘」だったわけではない。一つのイヤホンを分け合った時間も、同じ映画に夢中になった夜も、「世界中で僕たちだけが正解だ」と信じられたあの感覚も——すべて、まぎれもなく本物だった。

花束は、いつか枯れる。でも、それは、その花束が美しくなかったということではない。むしろ、枯れてしまうからこそ、咲いていたあの瞬間が、どうしようもなく愛おしく、かけがえのないものに思えるのだ。

別れたあと、ふとした瞬間に、絹ちゃんと観た映画のワンシーンや、二人で歩いた道のことを思い出す。そのたびに、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。でも、その痛みは、決して嫌な痛みではない。それだけ、あの恋が、僕にとって本物だった証なのだから。

もし、あのとき僕が夢を諦めず、好きなことを続けていたら。もし、絹ちゃんの「現状維持」の願いに、もっと寄り添えていたら。考え出したらきりがない。でも、過去をやり直すことはできない。できるのは、あの日々を抱きしめて、これからを生きていくことだけだ。

僕が選んだ「正しさ」が、絹ちゃんとの距離を広げてしまったのは、事実だ。もっと違うやり方があったのかもしれない。でも、あのときの僕は、本当に必死だった。誰かを責めることも、自分を責めることも、もう違う気がしている。

大人になるということは、何かを得る代わりに、何かを手放していくことなのかもしれない。それでも、あの恋があったから、今の僕がいる。花束みたいだったあの日々を、僕はこれからも、忘れることはないだろう。

なぜ「花束みたいな」恋だったのか

このタイトル『花束みたいな恋をした』には、深い意味が込められていると思います。花束は、もらった瞬間がいちばん美しく、香りも色も鮮やかです。けれど、どんなに大切に飾っても、花は少しずつしおれ、いつかは枯れてしまう。永遠には咲き続けられない——それが、花束の宿命です。

僕と絹ちゃんの恋も、まさにそうでした。出会った瞬間の、あの完璧な高まり。何もかもが噛み合い、世界が輝いて見えたあの感覚。でも、それは「花束」のように、いつかは枯れていく運命にあったのかもしれません。

だからといって、花束を買うことが無意味なわけではありません。枯れると分かっていても、人はその美しさに心を奪われ、花束を抱きしめる。恋もまた、同じなのだと思います。終わりがあると分かっていても、その一瞬の輝きは、何物にも代えがたい。だから僕は、あの恋を後悔していません。

そして、枯れた花束は、何も残さないわけではありません。押し花のように、形を変えて、心の奥にそっと残り続けます。絹ちゃんと過ごした日々は、今も僕の中で、色褪せた美しさのまま、確かに息づいているのです。

この物語が、私たちに教えてくれること

『花束みたいな恋をした』は、ただの悲しい恋愛映画ではありません。それは、「好きなものを大切にしながら生きること」と「現実の中で生きていくこと」の、難しいバランスを描いた物語でもあります。

麦くんのように、生きるために「好き」を後回しにせざるを得なかった経験は、多くの人が持っているのではないでしょうか。そして、いつのまにか大切なものから心が離れてしまう寂しさもまた、誰もが知っているものだと思います。

「好きなことを仕事にする」という夢と、「生活のために働く」という現実。この二つの間で揺れた経験は、きっと多くの人にあるはずです。麦くんの姿は、その葛藤を、これ以上ないほどリアルに映し出しています。だからこそ私たちは、彼を他人事として見ることができないのです。

そして、この物語が問いかけてくるのは、「変わること」は本当に悪いことなのか、ということ。人は生きていく中で、少しずつ変わっていきます。それは自然なことです。問題は、変わっていく自分と、変わらないでいてほしい相手との間に、どう折り合いをつけるか——その難しさを、この作品は静かに、けれど鋭く描いています。

正解のない問いだからこそ、この物語は、何度観ても、その時々の自分の状況によって、響き方が変わります。学生のとき、社会に出たばかりのとき、誰かと長く付き合ったとき——観るタイミングによって、麦くんに共感したり、絹ちゃんに共感したり。それもまた、この作品の奥深さなのだと思います。

麦くんの選択は、決して間違いではありませんでした。大人として、生きるために頑張った彼は、本当に「えらい」のです。だからこそ、どちらが悪いわけでもないこのすれ違いが、こんなにも胸に刺さる。観る人それぞれが、自分自身の恋や、自分自身の人生を、ふと重ねてしまう——それが、この作品が多くの人に愛される理由なのだと思います。

恋愛だけでなく、友情でも、夢でも、人生のどんな場面でも。「あの頃はよかった」と思える時間が、誰にでもきっとあるはずです。そして、その時間が終わってしまったとしても、それは決して無駄ではなかった——『花束みたいな恋をした』は、そんな優しいメッセージを、切なさの中にそっと忍ばせているように感じます。

あなたは、この物語を観て、麦くんと絹ちゃん、どちらの気持ちに、より深く共感したでしょうか。一緒にいられなくなっても、確かにそこにあった「本物の恋」。その切なさと愛おしさを、音羽のオリジナル曲とともに、もう一度味わっていただけたら嬉しいです。


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