『黒革の手帖』元子はなぜ戦ったのか——音羽が考える、地味な女が手にした武器

物語の考察

松本清張の『黒革の手帖』を読んでいると、不思議な気持ちになります。

主人公の原口元子がやっていることは、どう考えても犯罪です。銀行から大金を横領し、人の弱みを握って脅す。褒められた話ではまったくありません。

それなのに、読んでいるうちに、いつのまにか彼女を応援している自分がいる。この居心地の悪さこそが、この作品の面白さなのだと思います。

この記事では、その物語を主人公・元子の側から考えてみたいと思います。ただ、これは原作の解説でも、正しい読み方でもありません。あくまで、音羽が想像した元子です。彼女はなぜ、あんな危険な戦いに身を投じたのか。わたしなりに考えたことを書いてみます。

簡単に紹介しておくと、『黒革の手帖』は松本清張が1978年から連載した長編小説です。銀行の女性行員だった原口元子が、顧客の秘密口座の情報を握り、多額の金を持ち出して銀座のクラブのママになる——という物語。米倉涼子さん、武井咲さんなど、何度もドラマ化されているので、映像でご覧になった方も多いかもしれません。

ただ、原作を読むと、映像作品よりもさらに乾いた手触りがあります。派手さよりも、人間の欲望を淡々と積み上げていく筆致。そこがまた、恐ろしいのです。

※物語の展開に触れています。これから読む予定の方は、ご注意ください。


誰の目にも映らなかった女

物語の始まりの元子は、ごく普通の銀行員です。

地味で、目立たず、誰の記憶にも残らない。若くて華やかな女性には愛想よくする男たちが、彼女のことは景色のように素通りしていく。

わたしがこの導入で胸を突かれたのは、元子が「ひどい目に遭った」わけではないことです。いじめられたわけでも、罵られたわけでもない。ただ、見られなかった。それだけです。

でも、それがいちばんこたえるのだと思います。攻撃されるなら、まだ反撃もできる。存在に気づかれないことには、抵抗のしようがないのですから。

あのまま真面目に働き続けていれば、彼女はどうなっていたでしょうか。たぶん、誰にも顧みられないまま、静かに年を重ねていったはずです。「このままでは終わりたくない」——その感情を、わたしは責める気になれません。

わたしがもうひとつ気になったのは、彼女が「まじめだった」ことです。

元子は、仕事をきちんとこなす有能な行員でした。遅刻もしないし、ミスもしない。それなのに、評価されるのは、愛想のいい若い女性のほう。真面目にやっていることが、まったく報われない。

この「報われなさ」が、彼女の中に静かに溜まっていったのだと思います。人が道を踏み外すのは、たいてい、突然の欲望ではなく、こういう長い時間をかけた鬱屈のせいなのでしょう。

「数字だけは、嘘をつかない」

元子が武器にしたのは、腕力でもコネでもなく、情報でした。

銀行員として、彼女は見てしまいます。立派な顔をした人たちが、税金を逃れるために隠している「秘密の口座」の存在を。そして、そのすべてを黒い手帖に書き留めていく。

人は嘘をつくけれど、数字は嘘をつかない。——この感覚は、地味な仕事を長く続けてきた人間だからこそ持てたものだと思います。誰にも注目されない場所にいたからこそ、彼女は誰よりも正確に、人の裏側を見ていた。

皮肉なものです。彼女を無視し続けた世界が、そのまま彼女に武器を与えてしまったのですから。

それにしても、「情報を武器にする」という発想が、この時代の小説に出てくることに驚かされます。

腕力でも、色仕掛けでもなく、知識と記録で戦う。しかも、その武器は暴力より静かで、暴力より人を震え上がらせる。松本清張が描いた元子の戦い方は、今読んでも、まったく古びていません。

▼ 元子の生き方を歌にしたオリジナル曲は、こちらからご覧いただけます。

彼女が欲しかったのは、お金だったのか

大金を手にした元子は、銀座に自分のクラブを持ちます。

ここで、わたしがずっと考えているのは、「彼女が本当に欲しかったものは何だったのか」ということです。

お金だった、と考えるのがいちばん単純な読み方でしょう。でも、それにしては、彼女の行動には妙な必死さがあります。金額を増やすことより、男たちが自分の前で顔色を変える瞬間のほうを、彼女は求めているように見えるのです。

自分を「ただの女」としか見なかった人たちが、いま自分にすがっている。かつて素通りされた自分が、今この場を支配している。——その実感こそが、彼女の生きる糧だったのではないでしょうか。

だとすれば、彼女が欲しかったのはお金ではなく、「存在を認められること」だったのかもしれません。それに気づいたとき、この物語が急に切なく見えてきました。

銀座という舞台の選び方も、絶妙だと思います。

あそこは、地位も財産もある男たちが、財布を開いて自尊心を満たしにくる場所です。つまり、元子がかつて素通りされた「男社会」が、いちばん濃縮された形で存在している。その中心に自分の店を構えるというのは、彼女にとって、ある種の復讐だったのかもしれません。

もっとも、その世界の男たちも、みな一枚岩ではありません。彼女を利用しようとする者、出し抜こうとする者、逆に脅し返してくる者。誰もが自分の欲のために動いているから、味方も敵も、いつ入れ替わるか分からない。

この緊張感が最後まで続くので、ページをめくる手が止まらなくなります。人間の欲望を知り尽くした作家だからこそ書ける駆け引きだと思います。

ただ、その世界で生きるには、常に上を目指し続けるしかない。店を持てば次は大箱を、資金を得れば次はもっと大きな取引を。止まった瞬間に飲み込まれる世界で、彼女は走り続けることになります。

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華やかであるほど、孤独になる

銀座で成功していく元子ですが、その姿は、見れば見るほど孤独です。

誰も信じない。誰にも本音を見せない。それが彼女の戦い方でした。心を許した瞬間に足をすくわれる世界にいるのだから、当然と言えば当然です。

でも、その結果として彼女が手に入れたのは、豪華なドレスと、誰もいない心の中でした。

わたしがこの物語を「痛快な成り上がり話」として読み切れないのは、この孤独が最後まで解消されないからです。勝ち続けるということは、一人であり続けるということ。彼女は、それを承知の上で進んでいくのです。

夜、店を閉めて一人になったとき、彼女は何を考えていたのだろう、とわたしは想像してしまいます。

達成感でしょうか。それとも虚しさでしょうか。たぶん、その両方だったのではないかと思います。手に入れたものは確かに大きい。でも、それを分かち合える相手は一人もいない。

人を信じないと決めた人は、裏切られない代わりに、誰にも救われなくなる。強さと引き換えに何を手放したのか——元子の孤独は、その代償の姿なのだと思います。

悪女、と呼んでしまっていいのか

元子はよく「悪女もの」の代表格として語られます。たしかに、やっていることは弁護のしようがありません。

ただ、この物語がよくできているのは、彼女が脅す相手もまた、まったく清廉ではないという点です。税金を逃れ、裏で汚いことをしてきた人たち。つまり、悪が悪を食い合う構図になっている。

だから読者は、「本当に悪いのは誰なのか」という気持ちのまま、最後まで連れて行かれます。単純な勧善懲悪では終わらせない。ここに、松本清張という作家の社会を見る目の鋭さがあると思います。

松本清張の作品には、社会の仕組みそのものへの厳しい視線が、いつも流れています。

個人の犯罪を描きながら、その背後にある構造——学歴や、性別や、階層による見えない壁——を必ず映し出す。『黒革の手帖』も、一人の女性の転落と栄光の物語であると同時に、そうした壁を告発する物語でもあるのだと思います。

だから、この作品は「悪女の物語」という枠に収まりません。読み終えたあとに残るのは、元子個人への評価ではなく、「彼女をそうさせたものは何だったのか」という問いのほうです。

ちなみに、この作品には社会派ミステリーとしての一面もあります。脱税、裏金、医療業界の内側——描かれる素材は、どれも当時の現実に根ざしたものです。

物語として面白く読ませながら、社会の暗部を確実に刻み込む。エンターテインメントと批評を両立させる手つきは、本当に見事だと思います。

「まじめに生きていれば報われる」と言えるか

元子の生き方に、わたしはずっと引っかかっているものがあります。

それは、「まじめに働いていれば、いつか報われる」という言葉を、彼女は信じられなかったということです。

信じられなかったのは、彼女がひねくれていたからではありません。実際に、まじめに働いていた頃の彼女を、世界は見なかった。だから彼女は、自分のやり方で世界と渡り合うことを選んだ。

この物語が書かれた時代は、今よりずっと、女性が正当に評価されにくい社会でした。どれだけ有能でも、女というだけで軽んじられる。元子の怒りの根っこには、その時代の壁が確かにあります。

もちろん、だから犯罪をしていいという話にはなりません。ただ、彼女を突き動かしたものが、単なる欲望ではなく「一人の人間としてまっとうに扱われたい」という願いだったとしたら。——この物語は、ぐっと胸に迫ってくるものになります。

元子の身のこなしや言葉遣いが完璧なのも、印象に残ります。上流の雰囲気をまとい、相手に信用させる話し方をする。でも、それは生まれ持ったものではなく、すべて後から自分で作り上げたものです。

わたしはそこに、彼女の必死さを見ます。「こうあれば、誰にも侵されない」という鎧を、一枚ずつ丁寧に重ねていったのでしょう。美しさも教養も、彼女にとっては装飾ではなく、生きるための道具でした。

そう考えると、彼女の「冷たさ」も、生まれつきの性格ではなく、後から身につけた技術のように思えてきます。

なぜ、今も読み継がれるのか

『黒革の手帖』が何度もドラマ化され、時代を超えて読まれ続けているのは、元子という人物が、単純な悪役ではないからだと思います。

強さと弱さ、冷たさと哀しさ、支配と孤独。相反するものを一人の中に抱えているから、見る人によって、まったく違う顔を見せるのでしょう。ある人には痛快なヒロインに、ある人には哀れな女に、そしてある人には、自分の中の何かに。

演じてきた女優さんたちが、みな「難しいけれど演じがいがある」と語るのも、うなずける気がします。強気なだけでも、哀しいだけでも成立しない役。その両方を同時に抱えていないと、元子にはならないのでしょう。

日々の暮らしの中で、理不尽なことに黙って耐える瞬間は、誰にでもあります。だからこそ、それを全部はねのけて突き進む元子の姿に、少しだけうらやましさに似た感情を覚えてしまうのだと思います。

もちろん、それは「彼女のように生きたい」という意味ではありません。あんな生き方ができる人は、そう多くないでしょうし、真似をすれば必ず破滅します。

ただ、心のどこかで「言い返せたらいいのに」「見返せたらいいのに」と思ってしまう気持ちは、たぶん誰の中にもある。元子は、その気持ちを最後まで実行してしまった人なのだと思います。だから危険で、だから目が離せない。

あなたなら、どちらを選ぶだろう

この物語を読み終えると、ひとつの問いが残ります。

安全だけれど、誰にも顧みられない人生。危険だけれど、自分の意志で切り開く人生。——どちらを選ぶか、という問いです。

もちろん、元子のやり方は正解ではありません。彼女が選んだ道の先に、穏やかな幸福が待っているとは、とても思えない。

それでも、「自分の人生を、自分で生きたい」という彼女の願いそのものは、決して間違っていなかったと思うのです。方法が違っただけで、その願い自体は、多くの人の心の奥にも眠っているものではないでしょうか。

わたし自身は、元子のような強さを持っていません。たぶん、彼女のいた世界では三日ももたないでしょう。

それでも、この物語を読んでいると、少しだけ背筋が伸びる気がするのです。誰にも見られていないと感じる日でも、自分の価値まで他人に決めさせる必要はない。——そんなことを、あの黒い手帖は静かに教えてくれる気がします。

夜の銀座に響くヒールの音の向こうに、一人の女性の震えるほど強い意志を、音羽のオリジナル曲とあわせて感じていただけたら嬉しいです。

▼ 『黒革の手帖』の世界を描いたオリジナル曲(再掲)


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