ずいぶん前に読んだ小説です。
いま思い出すと、若いころに好きだった人の名前を、ふいに聞いたときのような感じがします。
いや、名前より、香りのほうが近いかもしれません。
香りは、人に説明できません。共有もできない。
でも、自分の中からは消えない。
懐かしさと、寂しさが、同時に来ます。
村上春樹さんの『ノルウェイの森』です。
この記事で書きたいのは、レイコさんという人についてです。
わたしが見かけた感想には、レイコさんをこわい、信用できない、と読むものもありました。最後にワタナベと寝る場面も、気持ち悪いと言われています。
わたしは、そう読みませんでした。
※結末まで触れています。
※記事内に広告(アフィリエイトリンク)が含まれます。
以下は、音羽の勝手な読み方です。
まず、作品の枠だけ
1987年9月4日に、講談社から上下巻で出ました。書き下ろしです。
国内の累計は、2025年の時点で1300万部を超えています。
タイトルは、ビートルズの「Norwegian Wood」から来ています。
この曲は、作中にも出てきます。直子が好きな曲として。
あらすじ——親友の死から始まる、18年前の話
物語は、37歳になったワタナベの回想です。
高校3年の5月、親友のキズキが自宅のガレージで自殺します。前触れはありませんでした。
ワタナベは東京の大学に入り、学生寮で暮らしはじめます。
ある日、電車の中で直子と偶然再会します。キズキの恋人だった人です。
二人は日曜ごとに、東京の街を長く歩くようになります。
直子の20歳の誕生日の夜、二人は結ばれます。
そのあと、直子はワタナベの前から姿を消します。
直子がいたのは、京都の山奥にある阿美寮という療養所でした。
ワタナベは阿美寮を訪ねます。そこで、直子と同室のレイコさんに会います。
一方で、大学で小林緑と知り合います。父親の病気と、実家の書店を抱えている人です。
先輩の永沢と、その恋人のハツミのことも描かれます。
直子の状態は、よくなりませんでした。1970年8月26日、直子は自ら命を絶ちます。
しばらくして、レイコさんが阿美寮を出て、東京のワタナベを訪ねてきます。
二人で直子を見送ったあと、レイコさんは旭川へ発ちます。
そして、ワタナベは緑に電話をかけます。
文庫は上下巻に分かれています。
.jpeg)
冒頭——37歳のワタナベが聴いた曲
話は、飛行機の中から始まります。
37歳のワタナベを乗せた旅客機が、ハンブルク空港に降りようとしている。
そのとき機内に、オーケストラ版の「ノルウェイの森」が流れます。
ワタナベは、ひどく混乱します。
そこから、18年前の回想が始まる。
この始まり方が、わたしはずっと好きです。
自分で思い出そうとしたわけじゃない。曲のほうが、不意に来た。
記憶って、だいたいそうやって戻ってきます。
そしてワタナベが思い出すのは、草原の風景です。
18年たっても細部まで覚えているかもしれない、と彼は考えます。
でも、その風景に人の姿はありません。
直子もいないし、自分もいない。
覚えているのは、景色だけです。
死んでいく人たち
この小説では、人がよく死にます。
キズキ。直子の恋人で、ワタナベの親友でした。高校3年の5月に、自宅のガレージで自殺します。前触れはありませんでした。
直子の姉も、自殺しています。
直子は、1970年8月26日に自殺します。
ハツミ。ワタナベの先輩である永沢の恋人です。彼女も、あとで自殺します。
作中に、有名な言葉があります。
死は生の対極ではなく、その一部として存在している。
これが、この小説の芯だと思っています。
最初に読んだとき、見ていたのは直子でした
緑と直子、どちらを選ぶのか。そういう読み方もあります。
でもわたしは、そういうふうに読んでいませんでした。
直子の心が、どんどん遠くなっていく。
そこから目が離せませんでした。
よくなってほしい、と思いながらページをめくっていた気がします。
.jpeg)
緑(小林緑)という人
小林緑。ワタナベと同じ大学で、同じ授業にいます。演劇論Ⅱという授業です。
髪が短くて、よく喋って、よく笑う人です。
実家は小林書店という本屋をやっています。姉がひとり、桃子という名前です。
緑と話しているときのワタナベは、言葉が軽くなります。直子といるときとは、だいぶ違う。
ただ、緑も楽な人生ではありません。
父親が脳腫瘍で入院していて、緑はワタナベを病院に連れていきます。父親は、その数日後に亡くなります。
そのあと、小林書店も手放すことになります。
緑には、頭の固い恋人もいました。
直子は死に近い側にいて、緑は生きている側にいる。そういう読み方をよく見ます。
でもわたしには、緑もなくしてばかりの人に見えました。
父も、店も、なくなっていきます。
それでも緑は、笑って喋ります。
違うのは、どっち側にいるかじゃない気がします。なくしたあとに、どう立つかです。
もうひとつ、思っていることがあります。
緑は、黙って待つ人ではありません。思ったことを、口に出します。
直子もハツミも、思っていることを言わずにいた人です。
緑は、黙りませんでした。
ワタナベが最後に電話をかける相手が緑なのは、そこなんじゃないかと思っています。
.jpeg)
阿美寮という場所
直子がいるのは、阿美寮という療養所です。
京都の山奥にあります。ワタナベは、ここへ何度か訪ねていきます。
外から隔てられた場所です。
入っている人とスタッフが、分け隔てなく助け合う。自給自足もできる。そういう場所として書かれています。
レイコさんは、ここで患者にピアノを教えていました。
自分が欠けていることを、全員が知っている。だから支え合える。レイコさんは、そういう言い方をします。
ここからは、わたしの読み方です。
わたしには、阿美寮が、治すための場所には見えませんでした。
外から守るための場所です。
傷つけてくる相手がいない。急がされない。嘘の噂を流す人もいない。
レイコさんが長くここにいたのも、直子がここに来たのも、そのためだと思っています。
ただ、守られた場所にいて、直子は死にました。
レイコさんは、直子が死んだあと、ここを出ます。そして旭川へ行きました。
守られることをやめた人が生きて、守られていた場所で、直子は死んだ。
ここが、わたしにはずっと引っかかっています。
それと、山に囲まれていて、入ると出にくい場所です。
題名の話とも、つながっている気がします。
阿美寮のモデルについては、京都のいくつかの場所が挙げられています。ただ、どれも確定していません。
レイコさんという人
石田玲子。38歳です。
直子がいる阿美寮という療養所で、直子と同じ部屋にいます。
阿美寮には、8年います。
患者にピアノを教えています。ギターも弾きます。
この人が、物語の中でいちばん喋ります。
レイコさんが語った、31歳のときの話
レイコさんは、自分の過去をワタナベに長々と話します。
もとはピアニストを目指していました。でも挫折して、入院も経験しています。
音大をなんとか出て、ピアノ教師になりました。
25歳のとき、生徒だった男性と結婚します。
31歳のときに、おかしなことが起きます。
近所の顔見知りの女性が、13歳の娘をピアノに通わせたいと言ってきました。
少女はしばらくレッスンに来ます。
そして、あるときから来なくなる。
そのあいだに何があったのかは、レイコさんが自分の口で、かなり細かく語ります。
そのあと少女は、近所に噂を流します。レイコに同性愛者として襲われた、と。
レイコさんは壊れました。
離婚して、夫も子どもも失います。
外の世界が怖くなって、阿美寮に来ました。
レイコさんは、この少女のことを「病的な嘘つきだった」と言っています。
なぜレイコさんは「嘘つき」と言われるのか
ここは、はっきりさせておきたいところです。
小説のどこにも、レイコさんが嘘をついたとは書かれていません。
いま書いた話は全部、レイコさんがワタナベに語った話です。地の文ではありません。
ワタナベが見てきたわけでもない。
だから、こう読むこともできます。嘘つきだったのはレイコさんのほうで、少女の話は作り話なんじゃないか、と。
検索すると「レイコ 虚言癖」「レイコ サイコパス」と出てくるのは、これが理由です。
この読み方自体は、成り立ちます。一人語りなので、確かめようがない。
ただ、作品がそう書いているわけではありません。読者が持ち込んだ疑いです。
そこを混ぜてしまうと、話がおかしくなります。
わたしは、レイコさんを信用しています
ここからは、わたしの読み方です。
レイコさんの話は、長くて、細かくて、自分に都合の悪いところまで入っています。
ピアニストになれなかったこと。入院したこと。離婚を切り出したのが自分だったこと。
嘘でまとめるなら、もっと自分が可哀想な形に整えると思います。
それに、レイコさんは直子のそばにずっといました。
直子の状態がよくないことを、ワタナベに隠しませんでした。手紙も書いています。
その姿を、わたしは信じる手がかりにしました。
ただ、それで過去の話の真偽まで決まるわけではありません。
もちろん、これは証明できません。
でも、疑うほうも証明できません。
どちらを取るかは、読む人が決めることです。
.jpeg)
直子の葬式——50曲のこと
直子が死んだあと、レイコさんは阿美寮を出ます。
そして、東京にいるワタナベを訪ねてきます。
直子の遺品の服を着ていました。
レイコさんは、直子の葬式をやり直すと言い出します。
そしてギターを弾きはじめる。知っている曲を、次から次へと。
50曲目に、もう一度「ノルウェイの森」を弾きました。
そして最後に、バッハのフーガを弾いて、ギターをケースにしまいました。
ここが、わたしがこの小説でいちばん好きな場面です。
お経はありません。坊さんもいない。
あるのは、ギターと曲名だけです。
阿美寮でレイコさんが弾いていたのは、ミシェル、ノーホエア・マン、ジュリアでした。
そして直子のリクエストで、「ノルウェイの森」。
直子が阿美寮で聴いていた曲です。
それを、直子のいない東京の部屋で、もう一度弾く。
音楽でしかできない弔い方だと思いました。
あの夜のこと
そのあと、二人は関係を持ちます。
ここが、いちばん嫌われている場面です。
必要ない、気持ち悪い、作者の悪い癖だ。そう言われます。
わたしは、自然な流れだと思いました。
直子を見送ったばかりの二人が、同じ部屋にいる。
片方は8年ぶりに外へ出た人で、もう片方は恋人を亡くしたばかりの人です。
二人とも、直子をいちばん近くで見ていました。
二人の孤独を思うと、あの夜に互いを求めたことを、わたしは自然に受け止めました。
そして二人は、そのあと風のように別の道を歩いていきます。
レイコさんは旭川へ行きます。友人のところで、またピアノを教えるためです。
ワタナベは上野駅で見送ります。それだけです。
そのあとのことは、書かれていません。
少なくとも、新しい恋愛が始まったようには見えません。
わたしには、あれは葬式の続きに見えました。
ハツミは、なぜ死んだのか
ハツミのことも書いておきます。
永沢の恋人でした。
永沢はひどい男です。ハツミがいるのに、ほかの女性と寝る。隠しもしません。
ハツミは、それを知りながら待っていました。
永沢が外国へ行ったあと、ハツミは別の男性と結婚します。
そして、自殺します。
ワタナベは、その知らせを受けて、自分の中の何かが決定的に失われたと感じます。
わたしには、直子にもハツミにも、誰かを待つ孤独が重なって見えました。
ただ、それだけで二人の死を説明できるとは思いません。
ラスト——どこでもない場所の真ん中
最後、ワタナベは緑に電話をかけます。
君のほかに求めるものは何もない、と言う。
緑が聞きます。今、どこにいるの。
ワタナベは、どこでもない場所の真ん中から、緑を呼び続けていました。
ここで小説は終わります。
初めて読んだとき、わたしは若くて、これがよく分かりました。
喪失感があって、自分の居場所が見えていなかった。
だから「どこでもない場所」が、変なたとえには思えませんでした。
いま読むと、少し違って見えます。
居場所がないことと、居場所を探していることは、同じじゃない。
ワタナベは電話をかけています。誰かを呼んでいる。
動いてはいるんです。
タイトル「ノルウェイの森」の意味
タイトルは、ビートルズの「Norwegian Wood」から来ています。
この曲名、じつは誤訳だと言われています。
wood には、「木材」と「森・林」の両方の意味があります。
この曲でそれが指しているのは、ノルウェー産の木を張った部屋のほうだ、というのが有力な読み方です。
安物の松材を皮肉った歌だ、という話も伝わっています。
日本では、レコード会社の公式な訳が「森」でした。それがそのまま定着しました。
1973年に出た片岡義男さんの『ビートルズ詩集』の影響が大きい、という考察もあります。
ここからは、わたしの読み方です。
誤訳だったかもしれないけれど、この小説にとっては、そっちのほうが正しかったと思っています。
「ノルウェー産の家具」だったら、あの題名はただの部屋の描写です。
「森」になったことで、迷い込んで出られない場所、という意味がつきました。
阿美寮は、山の奥にあります。
直子は、そこから出てきませんでした。
そしてワタナベは最後に、どこでもない場所の真ん中にいます。
森で迷った人の言い方に、よく似ています。
もし邦題が「ノルウェー産の家具」だったら、この小説の題も違っていたかもしれません。
わたしには、「森」という邦題が、この小説の迷いや喪失感によく重なって見えます。
映画版(2010年)について
2010年12月11日に公開されました。
監督と脚本は、トラン・アン・ユンです。
配役はこうでした。
- ワタナベ——松山ケンイチ
- 直子——菊地凛子
- 緑——水原希子
- レイコ——霧島れいか
- 永沢——玉山鉄二
- キズキ——高良健吾
- ハツミ——初音映莉子
上映時間は、資料によって133分とも134分とも書かれています。
16分長い150分のエクステンデッド版もあって、2011年6月に1週間だけ劇場にかかり、ブルーレイにも入っています。
全国312館で公開されて、興行収入は14億円でした。
ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門にも出ています。
この映画のことで、わたしがいちばん驚いたのはここです。
ビートルズの原盤が、そのまま使われています。
EMIとの交渉に1年以上かかって、きわめて異例のことだったと書かれていました。
ビートルズ自身が演奏した音源が映画で使われることは、まずありません。ふつうは別の人が演奏したものに差し替えます。
それを、原盤のまま通した。
世界に配給される日本映画で、ビートルズの原曲が主題歌に使われたのは初めてだと、レコード会社が発表しています。
村上春樹さんから映画化の許可をもらうまでにも、4年かかっているそうです。
音楽は、ジョニー・グリーンウッドが担当しました。
それと、出ている人がおもしろいです。
レコード店の店長役で細野晴臣さん。阿美寮の門番役で高橋幸宏さん。
大学教授役で糸井重里さんも出ています。
音楽をやっている人が、画面の中に何人もいる映画です。
もうひとつ、気になった数字があります。
この映画は、40代によく観られたそうです。
原作が出たのは1987年です。
若いころにあの小説を読んだ人が、20年以上たってから映画館に来た、ということになります。
わたしがいまこの記事を書いているのも、たぶん同じことです。
ずいぶんたってから思い出すと
この小説を読んだのは、ずいぶん前です。
細かいところは、だいぶ忘れました。誰が何を言ったか、どの場面がどこにあったか。
それでも残っているものがあります。
草原。療養所。ギター。曲名。
あとは、読んだときの自分の気持ちです。
書いていて気づいたんですが、ワタナベも同じことをしています。
37歳で、18年前を思い出している。
風景は覚えているのに、人の姿がない。
わたしも同じでした。場面は残っているのに、人のことはぼやけている。
この小説は、読んだあと何十年かたってから、もう一度効いてくる気がします。
読み終わった時点では、まだ半分しか起きていない。
そういう小説は、そんなに多くありません。
この小説は、何が言いたいのか
よく検索されているので、わたしなりの答えも書いておきます。
恋愛小説として読むと、たぶん物足りません。誰と誰がくっつくか、という話ではないので。
わたしには、いなくなった人とどう暮らしていくか、の話に読めました。
死んだ人は、いなくなりません。
キズキは直子の中に残り続けました。直子はワタナベの中に残ります。
そして、残っているものを抱えたまま、生きていかないといけない。
レイコさんが50曲弾いたのは、そのためだと思います。
忘れるためじゃなく、ちゃんと置くために。
おわりに
レイコさんは信用できるのか。
わたしの答えは、信用できる、です。
ただ、確かめる方法はありません。一人語りなので、彼女が本当のことを言った証拠はない。
それでも、わたしは信じて読みました。
そのほうが、あの50曲が意味を持つからです。
過去の話が本当かどうかは、たぶん確かめられません。
それでも、あの演奏に込めた直子への思いのほうを、わたしは信じたいと思いました。
あれを、ただの演奏ではなく、葬式として読みたいからです。
上下巻をまとめて手元に置きたい方には、セットもあります。この記事で紹介してきた講談社文庫の上下巻2冊で、1,584円です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
現代小説の考察記事
音羽のブログでは、ほかにもこういう作品の考察を書いています。
よかったら、あわせて読んでみてください。
- 『汝、星のごとく』青埜櫂は浮気したのか
- 『流浪の月』更紗にとって、あの2か月は何だったのか
- 『八日目の蝉』薫として生きた4年間
- 『52ヘルツのクジラたち』聴こえない声のこと
- 『告白』森口悠子という母の静かな復讐
音羽(Otowa)について
音羽は、物語を読んで、考えて、曲にしている個人の活動です。
YouTubeで「物語考察MUSIC」として公開しています。
『ノルウェイの森』の曲は、いま作っているところです。
▼ 音羽チャンネルはこちら(チャンネル登録お願いします!)
https://www.youtube.com/channel/UCFrbhcvlbZ7YQn31F5neoDg
.jpeg)