塚本晋也監督の『鉄男』の話をします。
1989年の映画です。白黒で、67分。
有名なのに、ちゃんと説明されているのを見たことがありません。
カルト映画として名前が挙がる一本です。タイトルは知られているのに、どんな映画かは広まっていない。
たぶん、説明しにくいんだと思います。台詞がほとんどないので。
わたしも一度目は、何が起きているのか半分も分かりませんでした。
分からないまま、音と映像だけが残りました。
二度目に観て、やっと「ああ、この男の話だったのか」と思いました。
※以下、結末に触れます。性的・暴力的な描写についても書いています。
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いちおう、映画の枠だけ。
『鉄男』は1989年7月1日に公開された、塚本晋也さんの長編デビュー作です。16ミリフィルムの自主制作で、上映時間は67分。白黒です。
最初の上映は、東京の中野武蔵野ホールでした。そして同じ年、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞しています。
塚本さんは監督・脚本・撮影・編集・美術・照明・特殊効果を兼任し、そのうえで「やつ」という役も演じています。
音楽は石川忠さん。あの金属音のかたまりみたいな音は、この人のものです。
登場人物
| 役 | 演じた人 | 立場 |
|---|---|---|
| サラリーマンの男 | 田口トモロヲ | 主人公。体が金属に侵食されていく |
| やつ | 塚本晋也 | 金属に取りつかれた男。男にひき逃げされる |
| 恋人 | 藤原京 | 男の恋人。ひき逃げを一緒に隠す |
| 眼鏡の女 | 叶岡伸 | 駅で男を襲う |
| 医者 | 六平直政 | 「やつ」の頭を診る |
| 浮浪者 | 石橋蓮司 | 「やつ」を襲う |
名前のある人が、ほとんどいません。「男」「女」「やつ」です。そこも、この映画の作りだと思います。
ちなみに恋人を演じた藤原京さんは、助監督と撮影と衣裳も兼ねています。公式のクレジットに、そう書かれています。
まだ観ていない人は、ここから先はネタバレです。
配信で見つけにくい映画なので、観るならディスクがいちばん確実だと思います。
始まりは、山に捨てた夜だった
この映画は、出来事を順番どおりには見せません。ここでは、男の異変につながる過去のほうから整理します。
「やつ」は自分の太ももを切って、そこに鉄の棒を埋め込みます。
説明はありません。ただ、そうしたいからそうしている。
その「やつ」を、男が車ではねます。
ここからが大事です。
男は、通報しません。恋人と二人で、死んだと思った相手を山へ運んで捨てます。
そして、その場で抱き合います。
わたしはここで、この映画の見方が決まりました。
隠した。そのうえで、興奮した。
この男は、ただ巻き込まれただけの人ではありません。
そして恋人も、一緒に隠した側です。あとで彼女が死ぬとき、わたしはそのことを思い出しました。

頬に、金属のトゲが生える
ある朝、男はひげを剃っています。
頬に、金属のトゲのようなものが出ている。
ここの撮り方が、ものすごく嫌です。
大きな音も、派手な演出もありません。鏡と、顔と、小さな金属だけ。
ホラーなのに、いちばんこわい場面が洗面所です。
出勤の途中、駅のホームで、腕が金属と融合した女に襲われます。
女を退けたあと、男は自分の腕にも異変が起きていることに気づきます。
ここから先は、ずっと進行していくだけです。止まりません。
駅の女は、何だったのか
眼鏡をかけた女が、通勤の途中で男を襲います。
この人が誰なのかは、作中で説明されません。
わたしは、「やつ」が送り込んだものとして見ました。腕が金属になっているので、同じ力の中にいる人だと思ったからです。
ただ、これは断定できません。別の説明がついていてもおかしくない場面です。
ここでひとつ分かるのは、男の異変が男だけのものではない、ということです。
外に、同じことが起きている人がいる。
それが分かった瞬間が、わたしはいちばんこわかったです。
体が、自分のものでなくなっていく
この映画がいちばんこわいのは、痛みの描写ではないと思います。
体が、言うことを聞かなくなるところです。
ひき逃げは、男が「した」ことです。
金属化は、男に「起きる」ことです。
自分でしたことが、自分では止められない形で戻ってくるように見える。
この落差が、観ていていちばん苦しいところでした。
しかも、最初は誰にも打ち明けられません。会社にも、恋人にも。
体の異変って、人に見せるまでは自分だけの問題なんです。見せた瞬間に、関係のほうが壊れる。
恋人が死ぬ場面のこと
体の金属化は進み、男の性器はドリルになります。
彼女は、怖くないと言います。
そのあと、彼女は死にます。
公式のあらすじでは、男が恋人を殺してしまう、と説明されています。
ただ、わたしには彼女の動きにも、判断しきれないものが残りました。怖くないと言ったあとの彼女が何を選んだのか、観るたびに印象が変わります。
それでも、変わらないことがあります。
男は、自分の体で、いちばん近い人を壊した。
それだけは、どう読んでも同じです。
そして、この時点で男を止められる人がいなくなります。

「やつ」は、生きていた
はねられた「やつ」は、死んでいませんでした。
頭に鉄片が入ったまま生きていて、医者に診てもらう場面が出てきます。
その医者が、妙に明るいんです。この入り方なら生きていられる、と。
ここは笑ってしまう場面でもあります。この映画、全体が真っ暗なわけではありません。
そして「やつ」から、男に電話がかかってきます。そこから、終わらない戦いが始まります。
この力が何なのかは、作中で説明されません。
浮浪者の場面が、よく分からない
途中、浮浪者が出てきて「やつ」を襲います。
理由は説明されません。わたしは一度目、完全に置いていかれました。
わたしは、あれは「やつ」の子ども時代の記憶ではないかと思いました。
浮浪者の呼びかけ方と、声の調子がそう思わせました。
そう読むと、いちおう筋は通ります。
ただ、これは作中で明かされたことではありません。あくまで観る側の説です。
もしそうなら、「やつ」のほうにも、金属に取りつかれる前の時間があったことになります。
なぜ、殺さずに鉄に変えようとしたのか
公式のあらすじでは、「やつ」の目的は男への復讐だと説明されています。ここからは、その先をわたしが読んだ話です。
復讐なら、殺せばよかったはずです。
でも「やつ」は、そうしません。男を、自分と同じものにしようとします。
終盤、「やつ」は錆について口にします。わたしには、自分の体が保たないから一つになろうとしているように見えました。ただ、はっきりそう説明されるわけではありません。
分かってもらうのではなく、同じ体にする。
言葉で説明しても伝わらないと思っている人の、いちばん手荒な伝え方に見えました。
そして、怒りの調子が途中から変わります。憎しみだったものが、どこかで愛情のような響きになる。
ここがこの映画の、いちばん気味の悪いところだと思っています。
憎んでいる相手と一つになりたい、というのは、たぶん復讐とは違う何かです。
結末——二人は、一つになる
最後、二人は合体します。
住宅街に、巨大な金属のかたまりが立っています。
そして街へ出ていきます。世界を金属に変える、と言って。
ただ、一つになったあとも、二人の望みが完全に重なったようには、わたしには見えませんでした。
復讐と快楽が、区別できないほど混ざっていくように感じます。
途中まで「やつ」は、新しい世界を作ると言っていました。
なのに、出てきた答えは破壊でした。
新しい世界の作り方を、この二人は知らなかったのだと思います。
壊すことだけが、やり方として残った。

『鉄男』という題名のこと
この題名を、わたしは最初「鉄の男」という意味だと思っていました。
でも観終わってみると、ちょっと違う気がします。
男の名前は出てきません。「やつ」にも名前がありません。
最後に残るのは、二人がまざった一つのかたまりです。
どちらのものでもない、名前のない何か。
それに後からつけた呼び名が『鉄男』なんだと思っています。
人の名前のようで、人ではない。そこが、この題名のうまさだと思います。
金属は、何の比喩なのか
この映画の金属が何を指しているのかは、観る人によってずいぶん違います。
わたしが思いついたのは、このあたりです。
- 都市そのもの。コンクリートと鉄が増えていく1980年代の東京
- お金。1989年という年と重ねる読み方
- 抑えこんだ性のこと。この映画は、その描写をまったく隠しません
- 自分の体への違和感。思春期にも、病気にも通じる感覚
わたしは、最後のものがいちばん近いと感じました。
自分の体なのに、自分の思いどおりにならない。あの感覚が、ずっと画面にあります。
ただ、これはわたしがそう見ただけです。監督がそう言ったわけではありません。
説明されないからこそ、観た人がそれぞれ自分の不安を当てはめてしまう。そういう作り方なのだと思います。
音のことを書いておきたい
この映画は、音でできています。
石川忠さんの音楽は、楽器というより工場の音に近いです。
打ちつける音、削る音、低く続く唸り。
台詞が少ないぶん、感情の説明をぜんぶ音がやっています。
だから、できれば静かな場所で、音量を上げて観たほうがいいと思います。
わたしは配信で小さい音で観てしまって、二度目にちゃんと音を出して、別の映画かと思いました。
二度目に観ると、見えてくるもの
一度目は、何が起きているかを追うだけで終わります。
二度目は、冒頭の山の場面がずっと残ります。
あの夜のことを知った上で観ると、男の困り顔の意味が変わるんです。
一度目は「かわいそうな人」に見えます。
二度目は「心当たりがあるのに、それを言わない人」に見えます。
同じ顔なのに、です。
わたしは、ここがこの映画のいちばんうまいところだと思っています。

この映画が合う人、合わない人
はっきり分かれる作品なので、書いておきます。
やめておいたほうがいい人
- 性的な描写が苦手な人——かなり直接的です
- 痛そうな映像が無理な人——体を傷つける場面が続きます
- 話の筋をはっきり追いたい人——説明はほとんどありません
- 体調や気分が落ちているとき——音と映像で疲れます
刺さると思う人
- 自分の体が自分のものに思えない時期があった人
- 説明のない映画を、自分で埋めながら観るのが好きな人
- 音から入る映画が好きな人
- 1980年代の日本映画の手ざわりに興味がある人
一度しか観ていないなら、もう一度観てほしい映画です。
わたしも二度目でやっと、何の話なのか分かりました。
わたしが引っかかったこと
正直に言うと、この男に同情しきれませんでした。
山に捨てて、その場で抱き合う。あの場面を見てしまうと、どうしても。
かといって、金属化が罰だとも思えません。
罰には理由があります。何が悪くて、何の代わりに、という形がある。
この映画は、それを説明してくれません。ただ進行するだけです。
だからわたしは、こういう話として見ています。
あの夜を忘れたふりをして暮らしていた人が、忘れられない体になった。
そう思うと、67分が長く感じます。
見なかったことにしたものは、たいてい形を変えて戻ってくる。そのことを、こんな乱暴な絵で見せてくる映画は、ほかに知りません。
続編のこと
『鉄男』には続きがあります。
1992年の『鉄男II BODY HAMMER』と、2009年に作られて日本では2010年に公開された『鉄男 THE BULLET MAN』です。
どちらも塚本晋也さんの監督ですが、話はつながっていません。別の『鉄男』が作り直されている、という形です。
わたしはまず、1989年のこれを観るのがいいと思います。いちばん荒くて、いちばん強いので。
曲に込めたこと
この映画をもとにした曲は、サラリーマンの男の一人語りにしました。
「痛い」ではありません。
「これ、わたしの手じゃない」という戸惑いのほうです。
歌詞では、ひき逃げのことを直接は書きませんでした。言ってしまうと、言い訳が始まる気がしたので。
代わりに、音のほうに金属を入れています。
この人は最後まで、自分のしたことを言葉にしません。だから歌も、言いきらないところで終わらせました。
物語を思い浮かべながら聴いていただけたら嬉しいです。
おわりに
『鉄男』は、人に薦めにくい映画です。
観る人をはっきり選びます。苦手な方は、無理に観ないほうがいいと思います。
ただ、一度観ると忘れられません。
わたしがいちばん覚えているのは、男の顔です。
鉄に覆われていくのに、目だけは最後まで困っていました。
たぶん、あの困り顔がこの映画の中身なんだと思います。
自分の体に起きていることを、自分でも説明できない。あの顔だけは、台詞がなくても分かりました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
罪と、こわさをめぐる考察記事
音羽のブログでは、ほかにもこういう作品の考察を書いています。
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音羽(Otowa)について
音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。
正解を出すつもりはありません。その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
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