『星の王子さま』これは残された人の話だ——音羽が飛行士の側から読み直してみた

物語の考察

『星の王子さま』の話をします。

たぶん、いちばん有名なのに、いちばん読み違えられている本じゃないでしょうか。

かわいい絵の、心温まる童話。そう思われがちです。

でも実際に読むと、けっこう苦い話です。

今回は、王子さまじゃなくて、語り手の飛行士のほうを書きます。

あの人のことを考えると、この物語の見え方が変わるので。

以下は音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。

いちおう、本の枠だけ。

『星の王子さま』は1943年に出たサン=テグジュペリの作品です。

作者自身が飛行士でした。だから飛行機が砂漠に不時着する話も、実体験がもとになっています。

日本では内藤濯さんの訳が長く読まれてきましたが、いまはいろんな訳が出ています。

訳によって印象がけっこう変わるので、読み比べるのも面白いです。

あと、あの挿絵も作者本人が描いています。

絵がうまいというより、味がある。

帽子に見えるウワバミの絵も、実際けっこう帽子っぽいです。

あそこで大人を笑えないのは、たぶんそのせいもあります。

※内容に触れています。未読の方はご注意ください。

絵を、やめた人

物語のいちばん最初。

飛行士は、子どものころに描いた絵の話をします。

ゾウを飲みこんだウワバミの絵。

大人に見せたら、帽子だね、と言われる。

それで、絵を描くのをやめてしまった。

この数ページが、この本の入口として完璧だと思うんです。

たった一言で、子どもは夢をたたむ。

そして、その大人にも悪気はない。

わからないものを、わからないと言っただけなので。

でも、子どもにとってはそれで十分こたえる。

あの絵を「帽子」と言われたとき、飛行士は反論もしていません。

黙って、しまい込んだ。

たぶん、そのほうが楽だったんだと思います。

説明しなきゃいけない相手には、もう見せない。

これ、大人になると増えていく気がします。

言っても伝わらないと思って、最初から言わない。

そうやって、話せることがだんだん減っていく。

飛行士が寂しかったのは、友達がいなかったからじゃないと思います。

人はまわりにいた。話も通じていた。

ただ、あの絵の話ができる人がいなかっただけです。

Panoramic view of Matera, in Italy, under starry sky

大人になった飛行士

絵をやめた彼は、飛行機の操縦士になります。

地理も算数も勉強して、まともな大人になった。

でも、ずっと寂しかったんだと思います。

話が通じる相手が、ひとりもいなかった。

帽子の絵を見せても、みんな帽子としか言わない。

だから砂漠で王子さまに会ったとき、あの人はたぶん救われたんです。

ヒツジの絵を描いてくれ、と言われて、通じたんですよね。

しかも、箱の絵を見せたら、王子さまはその中のヒツジが見えると言う。

あそこで飛行士がどれだけ嬉しかったか。

何十年ぶりに、話が通じたわけです。

大人になってから、そういう相手に出会うことって、そんなにない。

だからあの数日間が、あの人にとって特別になった。

しかも王子さまは、飛行機の修理には何の役にも立ちません。

むしろ、質問ばかりして邪魔をする。

でも、あの人はそれを嫌がっていない。

役に立つかどうかじゃないんですよね、大事な相手って。

ずっと質問してくる子どもって、正直しんどいときもあります。

でも、あの人は答え続けた。

あれは、たぶん自分が答えてもらえなかったからです。


▼ 飛行士の視点で書いたオリジナル曲はこちら


砂漠という場所

舞台が砂漠なのも、よくできていると思います。

水がない。人もいない。飛行機は壊れている。

あと何日生きられるか、という状況です。

あの追い詰められた場所じゃないと、たぶんあの会話は成立しなかった。

余裕があるときって、人の話をちゃんと聞かないので。

死にかけているときに、ヒツジの絵を描いてくれと言われる。

普通なら怒ります。

でも、あの人は描いた。そこがこの話の始まりです。

井戸を探しに歩く場面も好きです。

水がないまま、二人で砂漠を歩く。

ほとんど何も起きないのに、あそこがいちばん静かで、いちばんいい。

見つけた井戸の水を、飛行士が「心にしみる」と言うところ。

あれはたぶん、水の味の話じゃないんですよね。

誰かと一緒に探して、やっと見つけた水だから、おいしい。

キツネの言っていたことと、同じことです。

この本は、同じテーマを何度も形を変えて出してきます。

王子さまが会った大人たち

王子さまは、いくつもの星をまわってきています。

命令ばかりする王さま。褒められたいだけの男。

酒を飲む理由が恥ずかしいから飲んでいる人。

星を数えて所有しているつもりのビジネスマン。

あれ、笑うところなんですが、笑えないんですよね。

全部、わりと身に覚えがある。

この本が読み継がれている理由は、たぶんそこです。

大人を馬鹿にしているようで、ちゃんと自分に返ってくる。

わたしがいちばん刺さるのは、点灯夫の星です。

意味があるかどうかもわからない仕事を、命令だからと続けている人。

王子さまは、この人だけは嫌いじゃないと言います。

自分のためじゃなく、何かのために働いているから。

でも、その星はどんどん自転が速くなっていて、休む間もない。

あれ、完全に現代の働き方の話だと思うんです。

八十年前の本なのに。

ビジネスマンの星も同じです。

星を所有しているつもりで、数えているだけ。

数字を増やすことが目的になっている人。

見覚えがありすぎて、笑えません。

地理学者の星も出てきます。

自分では見に行かないで、記録だけしている人。

体験しないで知識だけ集める、というのは、いまのほうがずっと多いかもしれません。

バラのこと

王子さまの星には、一輪のバラがいます。

わがままで、見栄っぱりで、素直じゃない。

王子さまは、その扱いに疲れて星を出ます。

でも旅の途中で、地球にはバラが五千本もあることを知る。

自分のバラは特別じゃなかった、と落ち込む場面です。

あそこ、けっこうしんどいです。

信じていたものが、その他大勢のひとつだと知る瞬間。

誰にでもある気がします。

自分が信じてきたものが、実はよくあるものだった。

恋でも、夢でも、たぶん同じです。

王子さまは、そこで泣きます。

あの子が泣く場面は、そんなに多くありません。

だからあそこは、ちゃんと効きます。

キツネが言ったこと

そこにキツネが出てきます。

なつかせて、と言う、あのキツネです。

訳によって「飼いならす」だったり「なじみになる」だったりしますが、要は関係を作るということだと思います。

毎日同じ時間に来て、少しずつ距離を縮める。

その手間をかけた分だけ、相手が特別になる。

だから王子さまのバラは、やっぱり特別だった。

五千本の中の一本じゃなくて、時間をかけた一本だから。

これ、身も蓋もない言い方をすると、愛は手間だということです。

でも、たぶん本当です。

好きになるって、気持ちの強さの話だと思われがちですが。

実際は、時間をどれだけ使ったかのほうが大きい気がします。

毎日、同じ時間に、少しずつ。

地味ですが、それしかない。

キツネはそれを、四時に来るなら三時から嬉しくなる、という言い方で説明します。

待つ時間まで含めて関係なんだ、ということですよね。

あの説明、天才だと思います。

逆に、いつ来るかわからない相手だと、心の準備ができない。

だから習慣が大事なんだ、とキツネは言います。

関係って、そういう地味なもので保たれているんだと思います。

大切なものは目に見えない

あまりにも有名なセリフです。

引用されすぎて、ちょっと軽く聞こえるくらい。

でも、文脈の中で読むと重いです。

キツネは、別れ際にこれを言います。

もう会えないとわかっている場面で。

見えないものが大事だ、というのは、慰めじゃないんですよね。

見えないものしか残らない、という意味に近い気がします。

形のあるものは、いつか壊れるか、なくなります。

残るのは、その人と過ごした時間の感触だけ。

キツネは、それをわかっていて王子さまを見送っている。

あのキツネ、たぶんこの本でいちばん大人です。

自分は残される側だとわかっていて、それでも仲良くなることを選ぶ。

別れが確定している関係に入っていくって、けっこう勇気がいります。

それでもキツネは、涙が出るなら、なつかせた意味があったと言います。

あの言い方が好きです。

悲しくなるくらいなら関わらない、という選択もあるはずなのに。

あの別れ方

最後、王子さまは自分の星に帰ります。

帰り方が、あれです。

ヘビに噛ませて、体を置いていく。

子ども向けの本で、あの終わり方をするのはすごいと思います。

しかも飛行士は、その場にいる。

止められない。見ているしかない。

あそこを読むたびに、胸が苦しくなります。

しかも王子さまは、痛くないふりをします。

飛行士を心配させないために。

あの気遣いが、いちばんつらい。

別れる側が、残る側を気にかけている構図です。

王子さまは、体は重いから置いていくと言います。

抜け殻みたいなものだから、と。

子どもがそういう言い方をするのが、また効きます。

あの場面、王子さまは飛行士に「見に来ないで」と言います。

見られたくなかったんだと思います。

でも飛行士は行ってしまう。

そこも、人間らしくていいです。

残された人の話

この物語は、王子さまの冒険譚として語られがちです。

でも、書いているのは飛行士です。

六年経ってから、あの日のことを書いている。

つまりこれは、大事な誰かを失った人が、その記憶を書き残そうとした話です。

最後に、飛行士は読者にお願いをします。

もし砂漠であの子を見かけたら、知らせてほしい、と。

六年経っても、まだ待っている。

あの一文があるから、この本は童話じゃなくなるんだと思います。

六年という時間

六年って、微妙な長さだと思いませんか。

忘れるには短いし、傷が生々しいままでもない。

書けるようになるまでに、それだけかかったということです。

すぐに書けることは、たぶん本当に大事なことじゃない。

しばらく置いて、やっと言葉になる。

この本は、そういう種類の文章だと思っています。

だから読んでいて、どこか落ち着かない感じがするんですよね。

書いている人が、まだ整理できていないので。

曲に込めたこと

この物語をもとに作った曲は、飛行士の視点で書きました。

王子さまのセリフは、ほとんど入れていません。

あの人の言葉は、もう十分いろんなところで使われているので。

代わりに、残された側の時間を書きました。

夜空を見上げて、あの星のどれかにいるんだろうな、と思う。それだけの歌です。

王子さまは、飛行士に言い残します。

星のどれかで自分が笑っていると思えば、全部の星が笑って見える、と。

あれ、残される人へのいちばん優しい贈り物だと思います。

見上げるたびに思い出せるようにしていった。

曲の最後も、そこに合わせました。

もしよかったら、本を思い出しながら聴いてみてください。

おわりに

この本を最初に読んだのは、たぶん十代のころです。

そのときは、きれいな話だと思って終わりました。

いまは、別れの話として読んでいます。

サン=テグジュペリ自身も、この本を書いた翌年に飛行機で消息を絶っています。

そのことを知ってから読むと、また違って見えます。

作者は1944年、偵察飛行に出たまま戻りませんでした。

機体が見つかったのは、それから五十年以上経ってからです。

『星の王子さま』の最後で、飛行士は消えた子を待っている。

そして作者自身が、待たれる側になった。

偶然なんですが、できすぎている気がします。

この本が世界中で読まれ続けている理由には、たぶんその重なりもあると思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

音羽(Otowa)について

音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。

あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。


▼ 『星の王子さま』の世界を描いたオリジナル曲


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