『星の王子さま』は、フランスの作家サン=テグジュペリが1943年に発表した、世界でもっとも愛されている物語の一つです。世界中の言葉に翻訳され、子どもから大人まで、世代を超えて読み継がれてきました。童話のようなかわいらしい姿をしていながら、その中身は、「本当に大切なものは何か」を問いかける、深い哲学の書でもあります。
この記事では、その物語を、語り手である飛行士の「ぼく」の視点から回想するかたちで、考察していきます。サハラ砂漠で出会った、金色の髪の不思議な少年。彼が「ぼく」に遺していった、いちばん大切なメッセージとは何だったのか。ここからは、「ぼく」自身が静かに思い出を語るように、あの日々をたどってみましょう。
絵を、あきらめた子どもだった
ぼくの話をする前に、少しだけ、ぼくの子ども時代の話をさせてほしい。
6歳のころ、ぼくは一枚の絵を描いた。ゾウを丸ごとのみこんだ、ウワバミ(大蛇)の絵だ。ぼくは、その絵を大人たちに見せて、「怖い?」と聞いた。ところが大人たちは、口をそろえて言ったのだ。「帽子が、どうして怖いんだい?」と。
ぼくの絵は、帽子ではなかった。外からは見えない、おなかの中のゾウまで描いた、ぼくなりの大作だった。でも、大人たちには、見えるものしか見えなかった。「絵なんかやめて、地理や算数を勉強しなさい」——そう言われて、ぼくは絵をあきらめ、やがて、飛行機の操縦士になった。そして、ぼく自身も、少しずつ、「見えるものしか見ない大人」になっていったのだ。
大人になったぼくは、世界中を飛びまわり、たくさんの「立派な人たち」に会った。そのたびに、試しに、あの6歳のときの絵を見せてみた。答えは、いつも同じ。「帽子だね」。だからぼくは、ウワバミの話も、星の話もしないで、ゴルフや政治やネクタイの話をした。すると大人たちは、「話のわかる人間だ」と喜んだ。そうやってぼくは、誰にも本当の話をしないまま、たった一人で生きてきたのだ。
思えば、あれは、静かな孤独だった。まわりに人はいるのに、誰ともつながっていない。仕事はうまくいっているのに、心のどこかが、ずっと乾いている。もしかすると、現代を生きる多くの人が、あの頃のぼくと同じ砂漠を、心の中に抱えているのかもしれない。
砂漠で出会った、不思議な少年
あの日のことは、今も昨日のことのように思い出せる。
ぼくの飛行機はエンジンが壊れて、アフリカのサハラ砂漠に不時着した。まわりには、人も、村も、何もない。飲み水は、あと一週間分。ぼくは、たった一人で、命がけの修理に取りかかった。絶望的な状況だった。
夜の砂漠は、恐ろしいほど静かで、そして、恐ろしいほど美しかった。見上げれば、満天の星。けれど、あのときのぼくには、星を美しいと感じる余裕など、一かけらもなかった。頭の中にあるのは、エンジンと、残りの水の量と、生きて帰れる確率だけ。まさに、「目に見えるもの」しか見えなくなった大人の、行き着く果ての姿だった。
その夜明け、ぼくは、小さな声で起こされたのだ。「ねえ……ヒツジの絵を描いて」
目を開けると、そこに、金色の髪をした、不思議な少年が立っていた。人の住む場所から何千キロも離れた砂漠のまんなかに、突然、まるで星から降ってきたかのように。彼は、怖がるでもなく、疲れているでもなく、ただ、真剣な顔で、ヒツジの絵をせがんだ。
「ぼくは絵が描けないんだ」と断っても、彼はあきらめない。しかたなく、ぼくは、箱の絵を描いて言った。「きみのほしいヒツジは、この中にいるよ」。すると少年は、顔を輝かせたのだ。「これだよ! ぼくがほしかったのは!」——箱の中の、目に見えないヒツジが、彼にはちゃんと見えていた。ぼくが子どものころに失くした「見る力」を、この少年は持っていた。それが、王子さまとぼくの、出会いだった。
命の危険が迫る砂漠のまんなかで、ヒツジの絵をせがまれる。ふつうに考えれば、ばかげた話だ。でも、あのとき、ぼくの中の何かが、確かに動いた。四十年ちかく閉じたままだった、心の扉のようなものが、きしみながら開いた音がした。あの小さな声は、ぼくを「修理に追われる遭難者」から、もう一度「絵を描く人間」に戻してくれたのだ。
▼ この物語の想いを歌にしたオリジナル曲は、こちらからご覧いただけます。
「大人って変だね」——王子さまが旅で見たもの
王子さまは、少しずつ、自分の旅の話をしてくれた。
彼は、家ほどの大きさしかない、小さな小さな星から来たという。そして地球に来るまでに、いくつもの星をめぐってきた。命令することしか頭にない王さまの星。ほめ言葉しか耳に入らないうぬぼれ屋の星。星の数をかぞえて「おれのものだ」と帳簿につけ続ける実業家の星……。
「大人って、変だね」——王子さまは、心底ふしぎそうに、そう言った。
その言葉は、ぼくの胸に、ちくりと刺さった。数字や肩書きや所有物ばかりを追いかけて、肝心なことを何も見ていない大人たち。それは、他人事ではなかった。エンジンの修理に追われ、「大事な用事があるんだ」と王子さまの話を遮ろうとしたぼく自身も、あの「変な大人」の一人になりかけていたのだから。ぼくたちは、いつのまにか、心の扉を開く鍵を見失い、本当に大切なものが、目に見えなくなってしまっていたのだ。
王子さまの話に出てきた星の住人たちを、ぼくは笑えなかった。命令する王さまは、肩書きにしがみつく誰かに似ていた。星を数える実業家は、通帳の数字ばかり眺める誰かに似ていた。点灯夫のように、意味を考えないまま「決まりだから」と同じ作業を繰り返す毎日にも、覚えがあった。王子さまの旅は、おとぎ話のかたちをした、ぼくたち大人の鏡だったのだ。
唯一、王子さまが「友だちになれたかもしれない」と感じたのは、意味を考えずとも、誰かのためになる仕事をしていた点灯夫だったという。自分のためではなく、誰かのために手を動かすこと。小さな星の小さな灯りに、王子さまは、大人の中に残された、わずかな美しさを見ていたのかもしれない。
たった一輪の、バラの話
王子さまの星には、一輪のバラが咲いていた。
そのバラは、美しかったけれど、なかなか気むずかしい花だったらしい。わがままを言い、気まぐれで、小さな棘を自慢したり、すきま風が寒いと文句を言ったり。王子さまは、彼女の世話を焼きながら、その言葉に振り回されて、疲れてしまった。そして、彼は星を出た。あとに、たった一輪のバラを残して。
「あのころのぼくは、何もわかっていなかったんだ」と、王子さまは、ぽつりと言った。「言葉じゃなくて、してくれたことで、判断すればよかった。あの花は、ぼくの星を香りで満たして、ぼくの毎日を明るくしてくれていたのに。ぼくは、小さな嘘の裏にある、やさしさを見抜けなかった。花の言うことなんか、聞いちゃいけなかったんだ。花は、眺めて、香りをかげば、それでよかったんだ」——幼い横顔で、そんなに深い後悔を語る少年を、ぼくは、ほかに知らない。
地球に来た王子さまは、あるとき、バラの咲き乱れる庭に出会って、泣いたそうだ。自分の星のバラは「宇宙にひとつだけの花」だと思っていたのに、地球には、そっくりの花が、何千本も咲いていたから。ぼくのバラは、特別なんかじゃなかったのか、と。
キツネが教えてくれた、「なじむ」ということ
その悲しみの中で、王子さまは、一匹のキツネに出会った。
キツネは、王子さまに、大切なことを教えてくれた。「なじむ(絆を結ぶ)」ということを。時間をかけて、少しずつ仲良くなること。相手のために時間を使い、心を寄せ、お互いに、かけがえのない存在になっていくこと。
キツネは言った。きみのバラが特別なのは、姿かたちのせいじゃない。きみが、あのバラのために時間をかけて、水をやり、風から守り、声を聞いてきたからだ。その積み重ねた時間こそが、きみのバラを、世界でたった一つの存在にしているのだ、と。
何千本のバラは、たしかに美しい。でも、誰もそのバラたちのために、時間を使っていない。美しさは、比べるものではなく、育てるもの。「特別」とは、はじめから備わっている性質ではなく、二人のあいだで、時間をかけて生まれてくるものなのだ。
王子さまは、気づいた。わがままも、棘も、涙も——ぜんぶ、愛した証だったのだ。誰かを深く愛するということは、その相手の美しいところだけでなく、面倒なところも、痛いところも、まるごと受け入れるということ。花の棘に指を刺されることも、涙を流すことも、愛の外側にあるのではなく、愛の一部なのだ。
キツネとの別れぎわの言葉を、王子さまは、忘れないように何度も繰り返していた。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えないんだよ」。そして、もう一つ。「きみが、きみのバラのために費やした時間のぶんだけ、きみのバラは大切なんだ」。ぼくは、この言葉を聞いたとき、胸の奥が熱くなった。ぼくにも、あったからだ。時間をかけて大切にしてきたのに、忙しさにかまけて、忘れかけていたものが。

別れの夜——「大切なものは、目には見えない」
ぼくと王子さまが出会って、8日目の夜のことだった。
飛行機の修理は、なんとか終わった。でも、ぼくの心は晴れなかった。王子さまが、自分の星へ——彼のバラのもとへ、帰ろうとしていることが、分かっていたから。
別れの前に、王子さまは、ぼくに贈りものをくれた。「夜、空を見上げてよ。ぼくの星は小さすぎて、どこにあるか見えないけど、そのほうがいいんだ。ぼくの星は、たくさんの星のどれか一つになる。だから、きみは、どの星を見ても、うれしくなる。きみは、笑う星たちを持つんだよ」と。
そして、彼が遺していった、いちばん大切な言葉。それが——「大切なものは、目には見えない」だった。
王子さまの体は、砂の上に、静かに倒れた。翌朝、彼の姿は、どこにもなかった。重い体を置いて、彼は、自分の星へ帰っていったのだと、ぼくは信じている。あの金色の髪の少年は、今も、小さな星の上で、バラに水をやっているのだと。
正直に言えば、あの夜のことを思い出すのは、今でも少し、痛い。引き止められなかったこと。もっと話を聞いてあげればよかったこと。でも、王子さまは、悲しむぼくに、ちゃんと言ってくれた。「痛みは、消えるよ。そして、きみは、ぼくと出会えてよかったと思うようになるよ」と。彼の言うとおりだった。別れの痛みさえも、時間が経てば、宝物の一部になる。あの8日間と引き換えなら、この胸の痛みは、少しも高くない。
大切な誰かとの別れを経験した人なら、分かってもらえるだろうか。悲しみが癒えていくことと、忘れていくことは、違う。ぼくは、王子さまを忘れない。忘れないまま、笑って夜空を見上げられるようになった。それが、彼のくれた「笑う星たち」という贈りものの、本当の意味なのだと思う。
あれから——夜空を見上げるたびに
あれから、長い時間が流れた。
王子さまの姿は、もう見えない。でも、ぼくの心の中には、あの8日間のすべてが、生き続けている。別れの痛みも、一緒に笑った思い出も、砂漠の夜の静けさも。そして夜、空を見上げるたびに、ぼくは、五億の鈴が鳴るような気持ちになる。あのどれかの星で、王子さまが笑っている——そう思うだけで、夜空ぜんぶが、やさしく輝いて見えるのだ。
王子さまと過ごした時間は、ぼくに、子どものころに失くした「見る力」を、返してくれた。目に見える数字やかたちの向こうにある、目に見えない大切なもの。それを見る力を。
ぼくは、この物語を、王子さまを忘れないために書いた。そして、もう一つ、理由がある。もしいつか、アフリカの砂漠で、金色の髪の小さな少年に出会うことがあったら——どうか、彼が帰ってきたのだと、ぼくに知らせてほしいからだ。ぼくは、今でも待っている。夜空のどこかの星で、彼が笑っていることを信じながら。

「本当に大切なもの」とは何か——この物語が問いかけるもの
ここからは、この物語そのものについて、少し考察してみたいと思います。
『星の王子さま』が80年ものあいだ世界中で愛され続けているのは、この物語が、時代が変わっても古びない問いを投げかけてくるからです。お金、肩書き、所有物、数字——大人になるほど、私たちは「目に見えるもの」で物事を測るようになります。けれど、本当に人生を支えてくれるものは、そのどれでもありません。
作者のサン=テグジュペリ自身が、実際に飛行士であり、サハラ砂漠に不時着した経験を持っていたことは、よく知られています。命の際に立った人間が、そこで見つめ直した「本当に大切なもの」。この物語の言葉ひとつひとつに、不思議な重みと実感がこもっているのは、そのためかもしれません。しかも彼は、この作品を発表した翌年、偵察飛行に出たまま、帰らぬ人となりました。空に消えた作家が遺した、空から来た少年の物語——そう思うと、この本は、いっそう特別な輝きを帯びて見えます。
また、この物語の有名な献辞も忘れられません。サン=テグジュペリは、この本を親友である「大人」に捧げながら、こう書き添えました。「子どもだったころの彼に」と。すべての大人は、もともと子どもだった。ただ、それを覚えている大人は、ほとんどいない——物語の入り口に置かれたこの言葉こそ、実は、作品全体を貫くメッセージなのだと思います。
心と心がつながること。誰かのために時間と愛情をかけること。そうして育った絆は、目には見えません。でも、目に見えないからこそ、なくすこともない。王子さまが夜空の星になっても、「ぼく」の心の中で生き続けたように、時間をかけて結んだ絆は、距離も、別れさえも、超えていくのです。
あなたにも、いるでしょうか。時間をかけて「なじんだ」、かけがえのない誰かが。その人との何気ない時間こそが、実は、人生でいちばんの宝物なのかもしれません。夜空の星が瞬くたびに、あなたの大切な人の笑顔を、そして王子さまの笑顔を、思い出してみてください。
家族と囲む食卓。友人との、他愛のないおしゃべり。ペットと過ごす、静かな午後。数字にも記録にも残らない、そんな時間の積み重ねが、私たちを「なじませ」、かけがえのない絆を育てていきます。忙しさの中でそれを見失いそうになったとき、王子さまの声が、そっと聞こえてくる気がするのです。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」と。
「大切なものは、目には見えない」——王子さまが遺してくれたこのメッセージを、音羽のオリジナル曲とともに、感じていただけたら嬉しいです。
▼ 『星の王子さま』の世界を描いたオリジナル曲(再掲)
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