消したい過去があるとして。
それを知っている人が、ある日目の前に現れたら、どうしますか。
松本清張の『ゼロの焦点』は、その問いだけでできている小説です。
※この記事は、犯人が誰かを含めて書いています。これから読む方はご注意ください。
犯人は、この小説でいちばん静かな人でした。
この人を、悪人として片づけられませんでした。今日はその話を書きます。
登場人物と読み方
- 鵜原禎子(うはら ていこ)——主人公。結婚したばかりの女性
- 鵜原憲一(うはら けんいち)——禎子の夫。金沢への出張中に消える
- 室田佐知子(むろた さちこ)——能登の名士の妻
- 室田儀作(むろた ぎさく)——佐知子の夫。実業家
- 田沼久子(たぬま ひさこ)——受付係の女性
「鵜原」はうはらです。うばら、と読んでしまいがちですが違います。
名前の「禎子」も迷う字です。「ていこ」と読みます。「さだこ」ではありません。
一九五八年から連載された作品です。松本清張の代表作のひとつとされています。
映画にもドラマにも何度もなっています。能登の断崖の場面を、見たことがある人は多いと思います。
タイトルの表記にも触れておきます。いまの書名は『ゼロの焦点』で、カタカナです。
ただ「零の焦点」が間違いというわけではありません。連載していたときに使われていた題名です。
国立国会図書館の記録では、最初は雑誌『太陽』に別の題名で載って、雑誌が廃刊になって中断しています。そのあと『宝石』で「零の焦点」として続きました。
消えた夫を追って、能登へ
禎子は、見合いで結婚したばかりです。夫のことをほとんど知りません。
その憲一が、金沢への出張から戻ってこない。
心配した禎子は、自分で探しに行きます。
そして調べるうちに、知らなかった夫が出てきます。
戦後すぐ、憲一は立川で警察官をしていました。
占領下の立川です。米兵相手に体を売る女性たちを取り締まる側にいました。
夫の過去を知るために動いていたら、まったく別の人たちの過去に行き当たる。
この構造が、この小説のうまいところです。
憲一は、広告会社の仕事で金沢へ行きました。
引き継ぎを終えて戻るはずが、そのまま連絡が途絶えます。
夫の行方が分からないまま、日が過ぎていきます。
そして禎子は、自分の足で金沢へ向かいます。
若い女性がひとりで、真冬の北陸を歩き回る。
それだけで、当時としてはかなり思い切った行動でした。

見合い結婚という設定
禎子と憲一は、見合いで結婚しています。
そして憲一が消えたのは、新婚一週間のときでした。引き継ぎに行ってくる、と言って出かけて、そのまま戻らない。
この設定がよくできています。
妻なのに、夫のことを何も知らない。
普通なら不自然ですが、当時はこれが普通でした。
相手の過去を細かく聞かない。聞くものでもない。
だから禎子は、夫が消えてから初めて夫を調べることになります。
愛した人を、いなくなってから知っていく。
この順番が、読んでいてずっと切ないです。
そして知れば知るほど、自分が何も知らなかったことが分かる。
戦後という時代の傷
昭和三十年代。終戦から十年ちょっとの時期です。
表向きは復興が進んで、人々は普通の生活を取り戻していました。
でもその下に、戦争が掘ったままの穴があります。
そのひとつが、占領期に体を売って生きるしかなかった女性たちのことでした。
家族が死に、家がなくなり、働き口もない。そういう中で、生き延びるために性を売った女性たちがいました。
一人ひとりの事情まで、わたしには分かりません。ただ、選べる道がほとんど残っていなかった人がいたことは確かです。
占領が終われば、その過去も消えるはずでした。
でも消えません。知っている人間がいるかぎり、過去は今に食い込んできます。
田沼久子という女性も出てきます。受付をしている人です。
この人にも、同じ時期の過去があります。
久子と佐知子は、同じ場所から来て、違う場所にたどり着きました。
片方は名士の妻になり、片方は受付として働いている。
同じ出発点でも、行き先は分かれます。
そして分かれたぶんだけ、失うものの大きさも変わる。
守るものが多い人のほうが、追い詰められやすい。
立川という場所
憲一が警察官をしていたのは、立川でした。
米軍基地があった街です。
占領下の立川がどんな場所だったかは、この小説の前提になっています。
基地の周りには、生きるために集まった人たちがいました。
その人たちを取り締まるのが、憲一の仕事です。
取り締まる側と、される側。
二度と会わないはずの二人が、十年後に能登で再会してしまう。
偶然のように見えますが、戦後の日本は思ったより狭かったんだと思います。
誰もがどこかで、誰かと過去を共有している時代でした。

室田佐知子という人
佐知子は、成功した女性として出てきます。
夫は能登の名士で、実業家。豪邸に住んでいます。
上品で、頭がよくて、隙がない。地元の奥様たちの中心にいる人です。
その人に、消したい過去がありました。
かつて立川にいた頃の自分です。
そして憲一は、その頃の彼女を知っていました。
能登という舞台も効いています。
東京から遠く、冬は海が荒れ、人の出入りが少ない場所です。
過去を消したい人が行き着くには、ちょうどいい土地でした。
でも狭い土地は、同時に逃げ場もありません。
隠れるのに向いた場所は、隠れられなくなったときにいちばん怖い場所になります。
なぜ、そこまでして隠したのか
いまの感覚だと、少し分かりにくいかもしれません。
過去がばれたからといって、殺すまでするのか、と。
でも佐知子には、それで全部が終わると思えたんじゃないでしょうか。
夫の立場も、家も、地域での居場所も、一度に失う。
そして彼女には、戻る場所がありません。
社会から蔑まれる経験をした人が、ようやく手に入れた居場所をもう一度失う。その怖さは、たぶん想像以上です。
佐知子が守っていたのは、地位ではなく、生き延びるための場所でした。
必死さの種類が違います。
当時の社会が、どれくらい厳しかったか。
女性の過去に対して、とくに厳しい時代でした。
男性側の過去はあまり問われません。憲一が取り締まる側にいたことは、誰も責めない。
でも売る側だった女性は、生涯それを背負います。
同じ場所にいたのに、罰が片側にしか来ない。
この不公平が、この小説の底にずっと流れています。
佐知子の心の叫び
わたしには、この人が自分の事情を簡単には言えない人として映りました。
あの頃はこうするしかなかった、とも言わない。
言えないんだと思います。
言った瞬間に、いまの自分が崩れるから。
誰にも話せないまま、完璧な奥様を何年も演じ続ける。
その状態が、たぶん一番しんどい。
秘密というのは、持っているだけで毎日少しずつ人を削っていきます。
彼女が壊れたのは、ばれたからではありません。
ばれる前から、ずっと壊れかけていたんだと思います。
人は、隠しごとを抱えると、だんだん嘘の量が増えていきます。
ひとつ隠すために、ふたつ嘘をつく。
そのうち、どれが本当の自分か分からなくなる。
佐知子が完璧な奥様を演じ続けたのは、そうしないと自分の形を保てなかったからだと思います。
演技をやめた瞬間に、何も残らない。
禎子との対比——知らない女と、知りすぎた女
禎子は、何も知りません。
夫のことも、戦後のことも、自分が何に足を踏み入れたのかも。
その禎子が、少しずつ知っていく話でもあります。
一方の佐知子は、知りすぎた人です。
知らないほうが幸せだった、という話ではありません。
禎子は知ったうえで、それでも前に進もうとします。
佐知子には、その選択肢がもうありませんでした。
同じ女性でも、時代のどこに立たされたかで、こんなに変わる。
禎子が最後まで探し続けるのも、けっこうすごいことです。
知ることが怖くなって、立ち止まりたくなる場面もあります。
知らないほうが幸せなことが、いくつも出てくるので。
それでもこの人は止まりません。
知らないまま生きるほうが怖かったんだと思います。

『ゼロの焦点』というタイトルの意味
焦点がゼロ、というのは、ピントが合う場所がないということ。わたしはこのタイトルを、そう受け取りました。
この小説には、はっきりした悪人がいません。
憲一も、過去を暴こうとしたわけではない。ただ知っていただけです。
佐知子のほうも、最初から人を殺すつもりで能登に住んでいたわけではないはずです。
誰も狙っていないのに、全員がぶつかる。
殺した責任は佐知子にあります。そこははっきりしています。ただ動機をたどると、本人の悪意だけでは説明がつかないところへ出てしまう。
だからゼロの焦点なんだと思います。
犯人を突き止めても、何も終わりません。
ゼロというのは、何もない状態のことでもあります。
逃げ場をなくした佐知子の立ち位置が、まさにそれでした。
守るものも、隠すものも、行く先もない。
タイトルは事件の構造を指しているようでいて、追い詰められた一人の女の立ち位置を指しているようにも読めます。映画版の断崖のイメージに重ねると、よりそう感じます。
久子のほうにも、この事件は影響します。
同じ過去を持つ者同士でも、助け合えるとはかぎりません。
むしろ、知っているからこそ危ない。
秘密を共有している相手は、味方でもあり、いちばんの脅威でもあります。
この距離感が、読んでいてずっと苦しかったです。
結末——犯人は誰で、何人が殺されたのか
先に書いてしまいます。犯人は室田佐知子です。
殺されたのは四人。
- 鵜原憲一——禎子の夫
- 鵜原宗太郎——憲一の兄
- 本多——憲一の同僚
- 田沼久子——佐知子の、昔の仲間
動機は、過去を知られることでした。
佐知子と久子には、占領期に米兵を相手にしていた過去があります。場所は、憲一が警察官をしていた立川です。
憲一は当時、立川で警官をしていて、二人を取り締まる側にいました。
つまり憲一は、佐知子にとっていちばん知られたくないことを知っている人間でした。
しかも佐知子は、宗太郎と本多を殺した罪を久子になすりつけたうえで、その久子まで殺しています。
隠すために殺して、隠すためにまた殺す。
この積み重なり方が、この小説のいやなところです。
原作のラストと、映画のラストは違う
ここは、はっきり書いておきます。
崖の上で禎子と佐知子が向き合う、あの有名な場面は、原作にありません。
1961年の映画が、断崖で主人公と犯人を対面させる場面として足したものです。舞台はヤセの断崖。あまりに強い絵だったので、そのあとの映像化でも使われることが多いです。
原作のほうは、崖の上での対決では終わりません。禎子がたどり着いたときには、もう遅い。そういう形です。
ただ、最後の場面の細かいところは、わたしも原作で確かめきれていません。ここは断定しないでおきます。
映像化はそれぞれ終わり方が違います。わたしが確かめられたのは、崖の上の対決が1961年の映画で足されたものだ、というところまでです。
同じ話なのに、どこで終わるかで印象がまったく変わります。
崖の上で向き合えば、対決の物語になる。
追いつけずに終われば、見送る物語になる。

崖の上の佐知子——映画が作った、あの絵
1961年の映画が作り、そのあともくり返し使われてきた、佐知子が能登の断崖に立つ場面。
日本海の荒れた波が下で鳴っている場所です。
私はあの場面を、解放として読みました。
もう秘密を守らなくていい。完璧な奥様を演じなくていい。
あそこで初めて、この人は自由だったんじゃないかと思います。
救いなのか悲劇なのかは、読む人によると思います。
ただ、あの崖の上の佐知子には、隠すものがもう何もありませんでした。
この断崖の場面は、いまでは『ゼロの焦点』を代表するイメージのひとつになっています。
絵になるから、というだけではないと思います。
立っている場所から下を見ると、何も受け止めてくれるものがない。
この人の人生そのものが、そういう形をしていました。
松本清張が裁いたもの
この小説が長く読まれているのは、個人だけを裁いていないからだと思います。
佐知子は人を殺しました。それは許されません。
でも、そこまで追い詰めたのは戦争でした。
そして、過去を持つ女を許さない社会のほうでした。
もし打ち明けられる場所がひとつでもあったら、この人は殺人者にならずに済んだかもしれません。
松本清張は、犯人を捕まえて終わりにしません。
犯人を作った側にも、ちゃんと矢印を向けます。
社会派と呼ばれる理由が、ここにあります。
個人の罪と社会の罪を、同時に書くのは難しいはずです。
片方に寄せると、もう片方が言い訳になってしまう。
松本清張は、そこを混ぜませんでした。
殺したことは罪です。そのうえで、社会の側にも責任がある。
両方言い切っています。
この小説のあと、松本清張は『砂の器』を書きます。
あちらも、過去を消した人間の話です。
和賀英良は名前も生まれも捨てて、別人として成功しました。
佐知子と、やっていることは同じです。
清張はこのテーマを、何度も書き直していたんだと思います。
日本が高度成長へ向かう時期に、置き去りにされた人たちのことを。
いまの話として読むと
過去を消したい人は、いまもいます。
昔の投稿、昔の仕事、昔の名前。
むしろ、いまのほうが消えにくいかもしれません。
佐知子の時代に残るのは、記録よりも人の記憶でした。
いまは記録が残ります。誰も覚えていなくても、検索すれば出てくる。
そう考えると、この小説はまったく古びていません。
消せない過去を抱えている人は、たぶん多いです。
私にもあります。
ただ、幸い誰も知りません。
知っている人が現れたらどうするか。そこまで考えると、佐知子を笑えなくなります。
過去を消したい、と思ったことがない人は少ないと思います。
過去を知っている人と再会してしまうかどうかには、偶然があります。
ただ、その偶然のあとに何を選ぶかまでは、運では説明できません。
佐知子は、その偶然のあとに、いちばん悪い選び方をした人です。
曲に込めたこと
曲は、佐知子の側から作りました。
事情を説明する言葉は、わざと抑えました。失いたくない、という切迫感だけを真ん中に置いています。
サビで一度だけ強く出して、あとは引いていく形にしました。
崖に向かって歩いていく足音のつもりです。
おわりに
『ゼロの焦点』は、犯人が誰かを当てる小説ではありません。
分かったあとのほうが長く残ります。
人を追い詰めるのは、たいてい事件ではなく、事情を言えない状況のほうです。
そこは昭和も令和も変わらないと思います。
読んだあと、能登の写真を検索してしまいました。
冬の日本海は、思っていたより黒いです。
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小説や映画を読んで、頭から離れなくなったものを曲にしています。このブログの考察は、その曲の裏側です。
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