東野圭吾さんの『手紙』の話をします。
読んだあと、正直しんどかったです。
救いのある終わり方かというと、微妙なところで終わる。
でも、忘れられない一冊になりました。
今回は、弟の直貴の側から考えてみます。
あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。
いちおう、本の枠だけ。
『手紙』は2003年に出た東野圭吾さんの長編です。
2006年に山田孝之さん主演で映画化されています。玉山鉄二さん、沢尻エリカさんも出ていました。
東野圭吾さんというと、ガリレオや白夜行のイメージが強いと思います。
でもこの作品には、謎解きがほとんどありません。
犯人も最初からわかっている。
じゃあ何を読むのかというと、そのあとの人生です。
事件が起きたあと、周りの人がどうなるか。
そこだけを、何年もかけて追いかけていく小説です。
だから派手な場面はほとんどありません。
地味なんですが、その地味さがずっと効いてきます。
※結末に触れています。未読の方はご注意ください。
どういう話か
兄弟がいます。
両親はもういません。
兄の剛志が働いて、弟の直貴を大学に行かせようとしていた。
でも体を壊して、働けなくなる。
思い詰めた兄は、ある家に盗みに入ります。
そこで、人を殺してしまう。
強盗殺人です。
兄は刑務所に入り、そこから毎月、弟に手紙を書き続けます。
動機のところが、この話の厄介なところです。
遊ぶ金がほしかった、じゃない。
弟の学費のためでした。
だから直貴は、恨みきれない。
自分のせいだったのでは、という気持ちがずっと残ります。
被害者にも申し訳ない。兄にも複雑。自分も苦しい。
どこにも感情の逃げ場がないんです。
もし兄が身勝手な理由で人を殺していたら、話はもっと単純でした。
縁を切って終わりです。
自分のためにやったことだから切れない。
東野圭吾さんは、そこを狙って設定していると思います。
弟は、何もしていない
ここが、この小説のすべてです。
直貴は、何もしていません。
事件のことを知らなかったし、止められる立場でもなかった。
それなのに、彼の人生はそこで終わったようなものでした。
進学、就職、恋愛、住む場所。
全部、兄のことが知られた瞬間に崩れていきます。
しかも、毎回同じパターンです。
うまくいきかける。バレる。距離を置かれる。
それを何度も繰り返す。
読んでいて、途中で本を置きたくなりました。
しかも、露骨に責められるわけじゃありません。
殴られたり、罵られたりはしない。
急に連絡が来なくなったり、話がなかったことになったりする。
その静かな遠ざけ方が、いちばんきついです。
抗議もできませんし、相手に悪意もない。
みんな、自分の生活を守っているだけなので。
バンドをやめざるを得なくなる場面も苦しいです。
好きなことまで取り上げられる。
しかも、誰かが取り上げたわけじゃない。
自分から身を引くしかなくなる形です。
その引き際の連続が、この小説の前半です。
▼ 直貴の想いを歌にしたオリジナル曲はこちら
あの手紙は、何だったのか
兄からは、毎月手紙が来ます。
体を気遣う言葉。反省の言葉。
悪意はまったくありません。
でも、その手紙が届くたびに、直貴の生活は削られていく。
封筒に刑務所の名前が入っているので。
善意の手紙が、いちばんの凶器になる。
あれは、なかなかの設定だと思います。
兄は弟を思って書いている。
弟はそれを読むたびに、逃げられないことを思い知らされる。
しかも兄は、外の世界のことをよく知りません。
弟がどれだけ大変な目に遭っているかを、たぶん想像できていない。
自分が謝れば、少しは軽くなると思っている。
その善意が、いちばんずれている。
悪気のないずれって、指摘もしにくいんですよね。
刑務所の中の時間と、外の時間は流れ方が違うんだと思います。
兄の中では、まだ事件のときのままかもしれない。
弟のほうは、その後の何年かをずっと生きている。
直貴が悪いわけでもない
手紙を読まなくなる場面があります。
返事を書かなくなる。
冷たい、と思う人もいると思います。
でも、わたしは責められません。
あれは生きるための行動なので。
自分の人生を守るには、そうするしかなかった。
兄を切るか、自分が沈むか。
その二択を、まだ二十歳そこそこの子が突きつけられている。
しかも、切っても罪悪感は残ります。
手紙を捨てても、送られてきたことは知っている。
無視するという行為自体が、こっちの心を削る。
逃げても追ってくるし、向き合っても潰れる。
どっちに転んでも苦しい構造になっています。

平野社長の言葉
この小説でいちばん有名な場面だと思います。
直貴が働く会社の社長が、彼に言うんです。
差別されるのは当然だ、と。
人が犯罪者の家族を避けるのは自然なことで、それも刑罰の一部なんだ、と。
初めて読んだとき、ひどいことを言うなと思いました。
でも、読み返すとちょっと違って聞こえます。
あの人は、直貴を切ったわけじゃないんです。
切らずに、事実として説明した。
その上で、どうするかは自分で決めろと言っている。
慰めではなく、扱い方を教えている感じでした。
あの言葉を優しいと呼ぶ人もいるし、残酷だと呼ぶ人もいると思います。
わたしは、どちらかというと誠実だと思いました。
大丈夫、気にするなと言うのは簡単です。
でも、それは嘘になる。
嘘をつかない大人が、ひとりだけいた。
この小説の中で、いちばん救いのある人物かもしれません。
差別は、なくならないのか
この本のいちばん重いところです。
普通の小説なら、差別はよくない、で終わります。
でも東野圭吾さんは、そこで止めません。
人は自分と家族を守るために線を引く。
それを完全になくすのは無理だ、という前提で書いている。
この身も蓋もなさが、この作品を強くしていると思います。
きれいごとを言わないから、読者は逃げられない。
読んでいると、自分に問い返されます。
もし職場に殺人犯の家族がいたら、自分は普通に接するだろうか。
接するつもりでいても、たぶん少し身構える。
その少しが、相手には全部伝わっている。
この本を読んでから、そのことを考えるようになりました。
自分は差別しない側だと思っている人ほど、危ないのかもしれません。
いまの時代だと、もっときつい
この小説が出たのは2003年です。
いまなら、名前も顔もすぐネットに出ます。
引っ越しても、名前を変えても、検索されたら終わり。
直貴は住む場所を変えることで少し逃げられましたが、いまはそれも難しい。
加害者家族の状況は、当時よりむしろ厳しくなっている気がします。
だからこの本は、古くなるどころか、いま読むほうが刺さります。
差別する側に自分がいる、という前提で読むと、かなりこたえます。
由実子のこと
そんな中で、離れなかった人がいます。
由実子です。
全部知ったうえで、直貴のそばにいる。
この人がいなかったら、あの話は本当に真っ暗でした。
しかも、由実子は特別な人として描かれていません。
派手なことは何もしない。
ただ、いなくならないだけです。
でも、それがいちばん難しい。
由実子は、直貴を助けようとしているわけでもありません。
かわいそうだから一緒にいる、という感じでもない。
好きだから、そばにいる。それだけです。
同情で続く関係は、たぶんどこかで切れます。
由実子のは、そういう種類のものじゃなかった。
だから続いたんだと思います。
あと、由実子は直貴に説教もしません。
兄と向き合え、とも言わない。
決めるのは本人だとわかっているからだと思います。
待てる人って、強いです。
▼ 『手紙』の世界を描いたオリジナル曲
娘に、届いてしまう
結婚して、子どもが生まれます。
そして、その子にも影響が出る。
ここが、いちばんきついところでした。
直貴は、自分のことなら耐えられたと思うんです。
でも、娘は無関係です。
世代を越えて続いてしまう。
罪の重さって、こういう形でも出るんだなと思いました。
親になると、自分のことより子どものことになります。
自分が耐えればいい、が通用しなくなる。
直貴が本気で動くのは、たぶんこのあたりからです。
自分のためには動けなかった人が、娘のためなら動ける。
人って、そういうものかもしれません。
ただ、娘のために兄を切るというのも、簡単な話じゃありません。
守るために、別の誰かを捨てることになるので。
どの選択にも代償がある。
この小説、最後までずっとそうです。
被害者の側から見ると
ここは、忘れてはいけないところです。
殺された人がいます。
その家族もいます。
直貴がどれだけ苦しんでも、その人たちが失ったものは戻りません。
この小説は、そこもちゃんと書いています。
加害者家族もつらい、で終わらせない。
どっちの側にも、取り返しのつかないものがある。
だから読者は、すっきりできないまま置いていかれます。
謝ることの難しさ
兄は、被害者の遺族にも手紙を書き続けています。
反省しているのは本当だと思います。
でも、遺族からすればどうでしょう。
毎月、加害者から手紙が来る。
読みたくもないのに、届いてしまう。
謝罪って、送る側の気持ちの整理になりがちなんですよね。
受け取る側の都合は、あまり考えられていない。
弟に送る手紙と、遺族に送る手紙。
どちらも同じ構造をしています。
善意なのに、相手を追い詰める。
この小説は、それを二重に見せてきます。
本当の反省って、何なんだろうと思います。
手紙を書き続けることなのか。
相手が望まないなら、書かないことなのか。
わたしには、まだ答えが出ません。

最後の場面
終盤、直貴は刑務所の慰問に行くことになります。
バンドで、受刑者の前で演奏する。
その中に、兄がいます。
直接話すわけではありません。
歌うだけです。
あの場面をどう読むかで、この本の後味は変わると思います。
わたしは、あれは許しではないと思っています。
関係を戻したわけでもない。
ただ、切ったままにはできなかった。
それだけのことだった気がします。
十何年ぶりに、同じ空間にいる。
言葉も交わさない。
でも、そこにいることを選んだ。
わたしは、あそこは終わりの場面じゃないと思っています。
これからも続いていく関係の、途中の一場面。
だからすっきりしない。
でも、人生ってだいたいそうです。
物語みたいに、きれいに区切りがつくことのほうが少ない。
抱えたまま、次の日が来る。
タイトルの意味
『手紙』というタイトル、シンプルですが強いです。
手紙は、一方通行でも届きます。
相手が読まなくても、送られてくる。
この物語で、兄が送り続けたものは、愛情でもあり、鎖でもありました。
どっちかじゃなくて、両方だったんだと思います。
もし兄が一通も書かなかったら、直貴の人生は少し楽だったかもしれません。
でも、それはそれで別の苦しさがあったはずです。
忘れられた、と感じるのも、たぶんきつい。
結局、どうやってもきれいには終わらない。
関係を切るか続けるかの二択じゃなくて、切れないまま距離を測り続ける。
たぶん、それが現実的な答えなんだと思います。
曲に込めたこと
この物語をもとに作った曲は、直貴の視点で書きました。
恨みの歌にはしていません。
あの人は、兄を恨みきれなかったので。
憎めたら、たぶん楽だったはずなんです。
憎みきれないから、ずっと苦しい。
その中途半端さを、そのまま歌にしました。
サビも、答えを出さないようにしています。
許すとも、憎むとも言わない。
言い切ってしまうと、この物語じゃなくなるので。
あと、手紙という言葉も一度しか使っていません。
連呼すると説明っぽくなってしまうから。
おわりに
読み終わって、しばらく考えていました。
もし自分の身内が何かをやったとき、自分はどうするんだろう、と。
切れる自信もないし、支え続ける自信もない。
たぶん、直貴と同じように迷い続けると思います。
この本は、答えをくれません。
読んだあと、しばらく気分が重くなります。
でも、読まなければよかったとは思いません。
その二つは、ちゃんと両立します。
でも、そういう人がいることを知っておくだけで、少し何かが変わる気がします。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
音羽(Otowa)について
音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。
あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
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