東野圭吾さんの『白鳥とコウモリ』の話をします。
分厚い本です。
でも、読み始めたら止まりませんでした。
この小説がすごいのは、主役が二人いるところだと思っています。
殺された人の娘と、犯人だとされた人の息子。
普通なら、絶対に交わらない二人です。
その二人を並べて書いている。
今回は、そこを中心に考えてみます。
あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。
いちおう、本の枠だけ。
『白鳥とコウモリ』は2021年に出た東野圭吾さんの長編です。幻冬舎から。
東野圭吾さんの作家生活35周年の記念作として書かれました。
2026年9月4日に映画版も公開されました。松村北斗さんが倉木和真、今田美桜さんが白石美令を演じています。監督は岸善幸さん。
単行本で五百ページを超え、文庫では上下巻になる長編ですが、構成がしっかりしているので読みにくさはありません。
むしろ、後半は止まらなくなります。
東野圭吾さんの作品は、この考察ブログでもいちばん多く書いています。
白夜行、秘密、容疑者Xの献身、夜明けの街で、手紙。
どれも、事件そのものより、そのあとの人生を書いている作品ばかりです。
わたしは、犯人が分かったあとに残る人たちの人生のほうに、強く惹かれます。
この人の小説は、そこをずっと書いています。
だから、どの作品も読み終えたあとに時間の話が残ります。
※原作小説の真犯人と結末まで触れています。未読の方はご注意ください。
どういう話か
弁護士が殺されます。
白石健介という、まじめで評判のいい人です。
しばらくして、捜査線上にひとりの男が浮かびます。
倉木達郎という、これといって目立たない男性です。
刑事の訪問を受けたあと、彼は白石を殺したと認めます。しかも、三十年以上前の別の事件についても、自分がやったと言い出す。
二つの殺人を、まとめて認めた。
これで解決、のはずでした。
罪を認めた人が、聞かれてもいない昔の事件まで話し出す。
普通は、逆ですよね。
できるだけ罪を軽くしたいのが人間なので。
わざわざ増やす人はいません。
この違和感が、物語のスイッチになります。
謎は「誰がやったか」じゃなくて、「なぜそう言うのか」のほうです。
東野圭吾さんは、この形をよく使います。
誰がやったかではなく、なぜそうなったか。
謎解きの快感より、読み終えたあとの重さのほうを取りにくる。
だから読後感が独特なんだと思います。
▼ 美令と和真の想いを歌にしたオリジナル曲「父たちの夜を越えて」
倉木達郎の読み方は「くらき たつろう」——なぜ自分から罪を認めたのか
読み方はくらき たつろうです。息子が倉木和真。
弁護士の白石健介を殺した、と認めた男です。
供述によって、事件は解決へ向かっているように見えます。
でも和真は、父を疑う。実の父親が人を殺したと言っているのに、あれは嘘だ、と思ってしまう。
達郎という人は、最後まで多くを語りません。語らないことで何かを守ろうとしている人の顔をしている。
この沈黙が、この小説のいちばん重いところです。
残された二人
殺された弁護士には、娘がいます。
白石美令。
罪を認めた男には、息子がいます。
倉木和真。
この二人が、この小説の主役です。
立場は完全に反対です。
被害者の遺族と、加害者の家族。
本来なら、会う必要も、話す理由もありません。
しかも、片方は謝罪を求められる側に置かれます。
この関係は、どうやっても対等になりません。
会うだけで、二人とも傷つく。
それでも、この二人は会ってしまいます。
会わなければ、相手の事情まで背負わずに済んだかもしれません。
でも、真実を知りたい気持ちのほうが勝った。
わたしは、この二人はどこか似ていると思っています。
納得しないと前に進めないタイプ。
だから組めたんだと思います。
立場が正反対の二人に共通点を持たせる。
この設計だけで、もう物語が動きます。

美令のほう
父を殺された側です。
普通に考えれば、犯人が捕まって、自白もして、終わりです。
でも、彼女は納得できません。
父と、その男に接点が見当たらない。
動機の説明も、どこかつじつまが合わない。
納得できないまま終わらせるのは、いやだった。
わたしは、ここがこの人の強さだと思います。
犯人が捕まった時点で、追うのをやめてもよかったので。
納得できないことを、そのままにしておけない人っています。
周りからは、蒸し返さないでほしいと思われる。
でも、本人にとってはそこが人生の続きなので。
美令は、悲しむより先に調べ始めます。
あの動き方が、この人らしいと思いました。
悲しんでいる暇がなかった、というのもあると思います。
動いているあいだは、考えなくて済むので。
あれも、悲しみのかたちのひとつな気がします。
母親の描かれ方も印象的でした。
同じ人を失っても、悲しみ方は家族の中でも違う。
そこがずれると、家の中で孤立します。
同じ家にいるのに、話が通じない。
悲しみって、共有できそうで、実はできないものかもしれません。
和真のほう
父が人を殺したと言っている側です。
しかも自分から名乗り出ている。
疑いようがありません。
この日から、和真の生活は変わります。
仕事も、婚約も、周りの目も。
何もしていないのに、全部が変わる。
この感じは、同じ東野圭吾さんの『手紙』にも通じるところがあります。
あちらは兄の罪でしたが、こちらは父です。
東野圭吾さんは、加害者の家族をずっと書き続けた人だったと思います。
『手紙』の記事も書いているので、よかったらそちらも。
ただ、『手紙』の直貴と違うのは、和真が調べる側に回るところです。
耐えるだけじゃない。
自分から動いて、父の嘘に踏み込んでいく。
この能動性が、この小説の新しさだと思います。

でも、和真は父を疑う
ここが、この小説の面白いところです。
普通なら、父を信じたいと思うはずです。
やってないと言ってほしい。
でも和真がひっかかったのは、逆でした。
父の話が、できすぎている。
自分の知っている父と、供述の中の父が違う。
嘘をついている、と気づいてしまう。
しかも、罪を軽くする嘘じゃない。
重くするほうの嘘です。
罪を増やす嘘をつく理由って、そんなに多くありません。
誰かをかばうか、何かを隠すか。
どちらにしても、本人にとって命より大事なものがあるということです。
その正体を探す話でもあります。
和真は、その理由を知りたくない気持ちもあったはずです。
知れば、父の人生の別の面を見ることになるので。
それでも進むしかなかった。
二人が組む
そして、この二人が同じ方向を向くことになります。
片方は、父を殺した犯人を知りたい。
もう片方は、父の自白の嘘を知りたい。
目的は違うのに、進む先は同じでした。
真実、というひとつの場所です。
この構造、うまいと思います。
距離を置いていても不思議ではない二人が、同じものを探している。
しかも、お互いに気を使いすぎません。
遠慮ばかりしていたら、真相にはたどり着かないので。
言いにくいことも言う。
その関係のほうが、下手な同情より健全だと思います。
お互いに、相手の立場を想像できる唯一の人間なんですよね。
周りの人は、どちらか片方にしか寄れないので。
▼ 『白鳥とコウモリ』の世界を描いたオリジナル曲
タイトルの意味
白鳥とコウモリ。
どっちも翼を持っています。
でも、白鳥は昼で、コウモリは夜。
片方は美しいものとして見られて、片方は気味悪がられる。
中身の問題じゃありません。
どちらの側に置かれたか、で決まってしまう。
被害者の家族と、加害者の家族。
この二つも、たぶん同じことだと思います。
本人が選んだわけじゃない。
イソップ寓話のコウモリは、鳥と獣のどちらにもつこうとして、居場所を失う存在として描かれます。
両方から嫌われてしまう。
どちらでもない、という位置です。
その置かれ方が、加害者家族と重なって見えます。
罪を犯したわけでもないし、被害者でもない。
居場所がないんです。
白鳥のほうも、楽ではありません。
きれいなものとして見られると、悲しみ方まで決められてしまう。
遺族らしくしなさい、という空気が出てくる。
それはそれで、しんどいことだと思います。
映画版のこと
2026年9月4日に映画が公開されました。上映時間は145分です。
松村北斗さんが和真、今田美桜さんが美令。監督は岸善幸さんです。
わたしはまだ観ていません。
どちらも、感情を抑えた芝居ができる人なので。
この物語は、泣き叫ぶ場面で見せる話ではありません。
黙っている時間のほうが長い。
そこをどう撮るのかが、たぶん勝負どころだと思います。
長い原作を約二時間半にまとめているので、削られた部分もあるはずです。
できれば、原作を読んでから観るのがおすすめです。
世間の目
被害者の遺族には、同情が集まります。
加害者の家族には、そうじゃない。
でも、両方とも家族を失っているんですよね。
片方は死で、片方は事件で。
どちらも、昨日までの生活には戻れません。
それなのに、扱いはまったく違う。
この不公平を、この小説はずっと突いてきます。
しかも、加害者家族は謝る側に立たされます。
自分は何もしていないのに、頭を下げ続ける。
そして、謝っても許してもらえるとは限らない。
というか、許す許さないの話ですらない。
相手が失ったものは、戻らないので。
そして、謝り続ける人生には終わりがありません。
いつまで、という区切りが誰にも決められない。
罪を犯した本人には刑期がありますが、家族にはそれもない。

父たちのこと
二人の父親も、対になっています。
人のために働いてきた弁護士と、罪を抱えたまま生きてきた男。
でも、読み進めると、そんなにきれいに分かれていないことがわかります。
善人にも隠していることはあるし、罪を認めた側にも守りたいものがある。
子どもたちは、親の全部を知りません。
これ、当たり前のことなんですが、けっこうこわいです。
いちばん近くにいるのに、いちばん知らない。
親の若いころを、わたしたちはほとんど知りません。
どんな仕事をして、何に悩んで、誰と何があったのか。
聞いても、たいてい省略された話しか返ってきません。
この小説は、そこを掘っていきます。
掘った先に、知りたくなかったものが出てくるかもしれない。
それでも掘るのか、という話でもあります。
三十年前の事件
この小説には、もうひとつ古い事件が出てきます。
三十年以上前の話です。
時間が経つと、記録も記憶もあいまいになります。
関係者が亡くなっていることもある。
でも、終わったことにはなっていない。
人の中では、まだ続いているんです。
過去の事件が現在に効いてくる構成は、東野圭吾さんの得意技だと思います。
『白夜行』もそうでしたし、『手紙』もそうでした。
あの人の小説では、時間はいつも味方をしてくれません。
真実を知ると、救われるのか
この小説を読みながら、ずっと考えていました。
真実がわかれば、二人は楽になるのか。
たぶん、そうでもないです。
知らなければ、憎むだけで済んだかもしれない。
知ってしまうと、単純に憎めなくなる。
そのほうが、しんどいこともある。
それでも、二人は知る方を選びました。
そこが、この物語のいちばんいいところだと思っています。
楽になるためじゃなくて、ちゃんと知るために動く。
それって、けっこう強いことです。
わたしなら、途中でやめたくなると思います。
知らないままのほうが、まだ立っていられるので。
でも、知らないままだと、ずっと足元が不安定です。
どっちもきつい。
この小説は、その選択を読者にも突きつけてきます。
自分の親に隠しごとがあったら、知りたいか。
わたしは、正直まだ答えが出ません。
結末——倉木達郎はなぜ、やってもいない罪を認めたのか
ここから結末に触れます。
倉木達郎は、白石健介を殺していません。
殺したのは安西知希。中学二年生の少年です。
なぜ中学生が弁護士を殺したのか。ここに三十年前の事件が絡んできます。
知希の祖父は、三十年前の東岡崎駅前の事件で、やってもいない罪で逮捕され、そのまま自ら命を絶ちました。冤罪です。
では、その事件の本当の犯人は誰だったか。
白石健介でした。
つまり——殺された弁護士のほうが、三十年前の殺人犯だった。
そして倉木達郎は、そのことを知っていました。知っていただけではありません。
白石を逃がし、包丁の指紋を拭き取って、彼がその場にいたことを隠しています。
そのせいで、無実の福間が逮捕されました。
達郎が抱えていたのは、秘密だけではありません。自分の行動が招いた結果への、罪悪感でした。
倉木は癌で、余命がわずかでした。
彼が嘘の自白をしたのは、知希を庇うためです。冤罪で死なせてしまった男の家族に対する、彼なりの償いだった。
ただ、この小説がきついのはここからです。
知希が白石を殺した動機は、祖父の復讐ではありませんでした。
この少年には、もともと人を殺したいという衝動があった。白石健介は、「殺してもいい正当な理由がある相手」として選ばれただけでした。
祖父の無念も、三十年の重さも、倉木の償いも、この一点の前で足場を失います。
最初は、美令が白鳥で、和真がコウモリに見えます。でも真相を知ると、その分け方が崩れる。誰を明るい側に置き、誰を暗い側に置くか。その判断そのものが問われているように思いました。
曲に込めたこと
この物語をもとに作った曲は、美令と和真、二人の視点で書きました。
どちらかに寄せると、この話じゃなくなるので。
男女のデュエットにしたのは、そのためです。
同じ夜を、別の場所から見ている二人。
恋の歌ではありません。
でも、他の誰にも通じない話が通じる相手ではある。
そういう距離感を、なんとか歌にできないかと思って作りました。
タイトルは「父たちの夜を越えて」にしました。
父の夜、じゃなくて父たち。
二人分あるので。
越えるのは子どもたちのほうです。
親が残したものを、次の世代が引き受けて歩いていく。
そういう歌にしたかった。
もう一冊の東野圭吾——『白夜行』では、過去が隠され続ける
和真と美令が父親たちの過去を追う姿を見ていると、正反対の選び方をした二人を思い出します。同じ東野圭吾の『白夜行』の、雪穂と亮司です。
あちらも、子どものころに大人がやったことで、人生が決まってしまった二人の話です。
ただ、やったことが違います。『白鳥とコウモリ』の二人は過去を掘り返しにいき、『白夜行』の二人は過去を埋めることを選びました。
雪穂は名前を変え、身分を変え、昔の自分を知る人間を遠ざけていきます。亮司は表に出ず、ずっと彼女の影として動き続ける。
親の罪を背負わされたとき、向き合うか、消すか。東野圭吾はこの二つの道を、別々の小説で書いたんだと思います。
そして『白夜行』のほうは、二人が直接言葉を交わす場面が描かれません。和真と美令が話し合えたことが、どれだけ大きかったか——そう思えてきます。→ 『白夜行』雪穂は本当に冷たい女だったのか
おわりに
『白鳥とコウモリ』は、ミステリとしても読めます。
でも、いちばん残るのは謎解きじゃありませんでした。
親が背負ったものを、子どもがどうするか。
その話として読むと、けっこう自分ごとになります。
親のことを全部知っている人なんて、いないので。
しかも、知らないまま見送ることのほうが多い。
聞いておけばよかった、と思うのはあとになってからです。
この小説を読んだあと、実家に電話したくなりました。
たぶん、そういう読後感を狙って書かれている気がします。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
東野圭吾作品の考察記事
音羽のブログでは、東野圭吾さんの作品をほかにも書いています。
よかったら、あわせて読んでみてください。
- 『白夜行』雪穂は本当に冷たい女だったのか
- 『容疑者Xの献身』石神哲哉のこと
- 『秘密』直子はなぜ最後に嘘をついたのか
- 『手紙』弟は兄を憎みきれなかった
- 『夜明けの街で』渡部はなぜ一線を越えたのか
- 『虚ろな十字架』死刑は誰を救うのか
- 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』松岡克郎は報われたのか
- 『殺人の門』田島はなぜ、あの男を殺せなかったのか
- 『幻夜』水原雅也はなぜ、美冬から離れられなかったのか
音羽(Otowa)について
音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。
あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
▼ 音羽チャンネルはこちら(チャンネル登録お願いします!)
https://www.youtube.com/channel/UCFrbhcvlbZ7YQn31F5neoDg

