『100万回生きたねこ』なぜ最後だけ泣いたのか——音羽が大人になって読み返した話

物語の考察

佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』の話をします。

絵本なのに、大人のほうが泣く本。

わたしも、子どものころに読んだときは、正直よくわかりませんでした。

猫が何回も死ぬ話だな、くらい。

大人になって読み返して、はじめてわけがわからないくらい泣きました。

以下は音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。

いちおう、本の枠だけ。

『100万回生きたねこ』は1977年に出た佐野洋子さんの絵本です。

もう五十年近く読み継がれていて、たぶん日本でいちばん有名な絵本のひとつだと思います。

絵も文も佐野洋子さん。

あの太い線と、少しふてぶてしい猫の顔。あれがないと成立しない話です。

文章も、びっくりするほど短いです。

説明も、教訓もない。

こうしましょう、みたいなことを一言も言わない絵本です。

だから読む人によって、受け取るものが全然違う。

五十年読まれ続けている理由は、たぶんそこだと思います。

あと、ページをめくるテンポがすごくいいです。

100万回の部分は、どんどん進む。

白いねこが出てきてから、急にゆっくりになる。

絵本という形でしかできない時間の見せ方だと思います。

※結末に触れています。まだ読んでいない方はご注意ください。

100万回死んだ猫

とらねこは、100万回生きて、100万回死にます。

王さまの猫だったり、船乗りの猫だったり、泥棒の猫だったり。

飼い主はみんな、このねこをかわいがります。

死ぬと、みんな泣く。

でも、ねこは一度も泣きません。

飼い主が嫌いだったからです。

ここ、子どものころは意味がわからなかったんです。

こんなに愛されているのに、なんで嫌いなんだろうと。

しかも、飼い主が泣いている横で、ねこは平気な顔をしています。

あの絵、あらためて見るとけっこう不気味です。

絵本なのに、まったく甘くない。

佐野洋子さんって、そういうところがある人だと思います。

エッセイを読むと、この人の毒っぽさがよくわかります。

きれいごとを言わない。

その人がこの絵本を書いたと思うと、腑に落ちるところがあります。

愛されるのと、愛するのは違う

いまならわかります。

あのねこは、ずっと「誰かのねこ」でした。

王さまのねこ。船乗りのねこ。おばあさんのねこ。

自分のものじゃない。

かわいがられてはいるけど、それは飼い主の都合です。

だから泣かない。悲しくもない。

愛されるだけって、実はけっこう空っぽなんだと思います。

大事にされているのに、満たされない。

これ、人でもあると思うんです。

親に大事に育てられたのに、なんとなく苦しい、みたいな話。

相手の望む形で愛されると、自分の輪郭がぼやけていく。

あのねこは、ずっとその状態だったんだと思います。

愛されるのが下手、という言い方もできるかもしれません。

でも、たぶん逆です。

愛す側になったことが、一度もなかった。

もらうばかりだと、心は動かないんだと思います。

好きになるって、けっこう体力がいります。

相手のことを考えて、心配して、待って。

その面倒くささを引き受けたとき、はじめて自分の人生になるんじゃないでしょうか。


▼ とらねこの視点で書いたオリジナル曲はこちら


のらねこになってから

101万回目、ねこはようやく誰のものでもなくなります。

のらねこです。

ここからのねこ、けっこういやなやつなんですよね。

おれは100万回死んだんだぜ、と自慢する。

まわりのメスねこがちやほやしてくるのを、当たり前だと思っている。

自由になったのに、まだ誰かに認めてほしがっている。

あそこの描き方、すごく正直だと思います。

自由になったからといって、すぐに幸せにはならない。

むしろ、自慢することでしか自分を保てなくなっている。

100万回という数字が、あの子の唯一の持ち物だったんですよね。

それしか言うことがない、というのは、なかなか寂しい状態です。

過去の話ばかりする人って、いますよね。

昔はこうだった、あれをやった、と。

あれもたぶん、いまの自分に自信がないからだと思うんです。

のらねこになったとらねこは、まさにその状態でした。

白いねこ

そこに、白いねこが出てきます。

この子だけが、ねこの自慢に反応しません。

そう、とだけ言う。

あの短いやりとりが、この絵本のいちばんの転換点です。

興味を持たれないことで、初めて相手が気になる。

わかりやすい話ですが、うまいなあと思います。

白いねこは、何もしていません。

慰めもしないし、褒めもしない。

ただ、興味がないだけ。

でも、その態度が結果的にねこを変えます。

人を変えるのって、たぶん熱心な説得じゃないんですよね。

こっちの土俵に乗ってこない人と出会うことなんだと思います。

自慢を聞き流されて、たぶんねこは初めて悔しかったはずです。

悔しいというのも、感情です。

あそこから、あの子の心が動き始めています。

自慢をやめたのも、あの子なりの努力です。

たぶん、意識してやめたわけじゃない。

言う必要がなくなっただけだと思います。

ねこは、白いねこのそばにいるようになります。

自慢もしなくなる。

Kitten head with paw up peeking over blank white sign placard. Pet kitten curiously peeking behind white background. Tabby baby cat showing placard template.Long web banner with copy space

はじめての、自分の人生

二匹は一緒になって、子どもが生まれて、育てて、年をとります。

特別なことは何も起きません。

ただ、そばにいるだけの日々。

でもねこは、そのとき初めて「自分の毎日」を生きていたと思うんです。

王さまのねこでも、誰かのねこでもない。

白いねこの隣にいる、一匹のねことして。

子どもが生まれて、大きくなって、出ていく。

ここも、あっさり書かれています。

感動的な描写は一切ない。

でも、その素っ気なさがいいんです。

日常って、いちいち感動しながら過ごすものじゃないので。

あとから振り返って、あれが幸せだったと気づく。

たぶん、そういうものだと思います。

このあたりのページ、絵もどんどん柔らかくなっていきます。

最初のほうの、つんとした顔とはまるで違う。

文章では説明されないぶん、絵が全部語っています。

絵本って、文章と絵の両方を読むものなんだなと、あらためて思います。

大人はつい、文字だけ追ってしまうので。

はじめて泣いた

白いねこが先に死にます。

そこでねこは、100万回で初めて泣きます。

100万回泣いた、と書かれている。

あの一行、何回読んでもだめです。

たまっていた分が、全部出た感じがします。

泣けるようになるまでに、100万回かかった。

そう思うと、あの涙は悲しみだけじゃない気がします。

泣けるって、実はすごいことです。

心が動いた証拠なので。

100万回のあいだ、あのねこは何も感じていなかった。

感じないままの生は、生きているうちに入るんだろうか。

この絵本を読むと、いつもそこで止まります。

生きた回数じゃなくて、心が動いた回数のほうが、たぶん人生の長さなんだと思います。

そう考えると、100万回はずいぶん短い。

逆に言えば、一回きりの人生でも、そこが濃ければ十分だということです。

この絵本が最後に残していくのは、たぶんその安心感だと思います。

そして、生き返らなかった

そのあと、ねこも死にます。

そして、二度と生き返りません。

ここが、この絵本のすごいところです。

普通なら、また生き返って白いねこを探す話にしそうじゃないですか。

でも、しない。

もう十分だったんだと思います。

やり直す必要がなくなった、ということなので。

だからあの結末は、悲しい終わり方じゃない気がしています。

生き返るというのは、やり直しがきくということです。

聞こえはいいけど、裏を返せば、一回一回が軽いということでもある。

終わりがあるから、その時間が濃くなる。

あのねこは、最後にやっと「終われる生き方」を手に入れた。

だからもう、生き返らなくてよかったんだと思います。

飼い主たちのこと

ちょっと飼い主側の話もしたいです。

王さまも、船乗りも、おばあさんも、みんなこのねこを愛していました。

嘘じゃないと思うんです。

ただ、自分の思う形でしか愛せなかった。

王さまは戦争に連れていくし、船乗りは船に乗せる。

ねこがどうしたいかは、誰も聞いていません。

これ、けっこう身につまされます。

人を大事にしているつもりで、自分の枠に入れているだけ、ということはある。

相手が何をしたいのかを聞くって、意外とやっていない気がします。

特に、身近な人ほど。

よかれと思ってやったことが、相手の望みじゃなかった。

そういうこと、わたしにも心当たりがあります。

この絵本、子どもより大人のほうが刺さるのは、そういうところだと思います。

大人になってから効く理由

子どもには、たぶんこの話は早いです。

愛されることの物足りなさなんて、まだ知らないので。

誰かを好きになって、失って、それでもよかったと思う。

その順番を通った人にしか、あの100万回は響かない。

だからこの絵本は、何度も読み返す価値があるんだと思います。

読むたびに、こっちが変わっているので。

わたしも、二十代で読んだときと、いま読むのとでは、泣く場所が違います。

昔は最後の一行で泣いていました。

いまは、白いねこと並んで座っている絵のところで、もうだめです。

何も起きていない絵なんですけどね。

たぶんまた十年経ったら、違う場所で泣くと思います。

そういう本を一冊持っておくのは、けっこういいことだと思っています。

曲に込めたこと

この物語をもとに作った曲は、とらねこの視点で書きました。

100万回のほうは、ほとんど歌詞にしていません。

あそこは、あの子にとって空白の時間だと思ったので。

書いたのは、白いねこと過ごした日のことだけです。

たったそれだけで、一生分になった。そういう歌にしました。

数を数える言葉は、あえて避けました。

100万という数字は、あの子にとって誇りじゃなく、空白の記録なので。

サビも、盛り上げすぎないようにしています。

大げさにすると、あの絵本の素っ気なさが消えてしまうから。

もしよかったら、絵本を思い出しながら聴いてみてください。

おわりに

この本を読み返すたびに、同じことを考えます。

長く生きることと、ちゃんと生きることは、たぶん別だ。

100万回のうち、意味があったのは最後の一回だけでした。

でも、あの一回があってよかった。

絵本にしては、ずいぶん重たい話です。

でも、だからずっと読まれているんだと思います。

子どもに読み聞かせると、たいてい不思議な顔をされます。

それでいいんだと思うんです。

わからないまま覚えていて、いつか意味がわかる日が来る。

絵本って、そういう置き土産みたいなところがあります。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

音羽(Otowa)について

音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。

あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。


▼ 『100万回生きたねこ』の世界を描いたオリジナル曲


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