『アルジャーノンに花束を』の話をします。
たぶん、いちばん有名なラスト一行の小説じゃないでしょうか。
あの一文で泣いた人、相当いると思います。わたしもそのひとりです。
今回は、チャーリイじゃなくてアルジャーノンのほうを書きます。
あのネズミのことを、ちゃんと考えたことがある人って、意外と少ない気がして。
以下は音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。
作品の枠だけ、いちおう。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』は、1959年に短編として発表され、1966年に長編になりました。
日本でも何度もドラマ化されていますし、いろんな人の「人生で一冊」に挙がる作品です。
原題は Flowers for Algernon。
タイトルにチャーリイの名前は入っていません。ネズミのほうが入っている。
そこが、この小説のすべてだと思っています。
チャーリイの物語なのに、タイトルはネズミに向けた献辞になっている。
つまりこの本は、最初から最後まで「誰かに手向ける話」なんだと思います。
献辞って、書く相手がいなくなってから書くものです。
タイトルの時点で、もう結末が示されている。
気づいたとき、ぞっとしました。
※結末に触れています。未読の方はご注意ください。
どういう話か
主人公のチャーリイは、三十二歳のパン屋の従業員です。
知的障害があって、文字もうまく書けない。
そこに、知能を上げる手術の話が来ます。
その手術を先に受けていたのが、アルジャーノンという白いネズミでした。
物語は、チャーリイが書く「経過報告」の形で進みます。
最初はひらがなだらけで、誤字だらけ。
それがだんだん整っていって、また崩れていく。
この見せ方が、もう発明だと思います。
文章そのものが、その人の状態を表している。
説明を一行も使わずに、読者にわからせてしまう。
後半、また誤字が増えてくるところ。
あそこを読むのが、毎回いちばんつらいです。
ページをめくるのが怖くなる小説って、そんなにないと思います。
翻訳もすごいです。
日本語で誤字を再現するって、相当難しいはずなんです。
ひらがなの多さとか、句読点の打ち方とか。
小尾芙佐さんの訳がなかったら、日本でここまで読まれていなかったと思います。
訳者あとがきを読むのも好きです。
どれだけ悩んで日本語にしたかが伝わってきます。

アルジャーノンのこと
アルジャーノンは、実験動物です。
毎日、迷路を走らされる。
うまく走れたら餌がもらえる。
それだけの毎日です。
最初、チャーリイはこのネズミに勝てません。
人間なのにネズミに負ける、というのが、あの時点のチャーリイの立場を全部表しています。
で、手術のあと、今度は勝てるようになる。
そこでチャーリイが感じたのは、喜びだけじゃなかったと思うんです。
勝った瞬間、たぶん少し寂しかったんじゃないかな。
それまで、アルジャーノンは自分と同じ側にいた仲間だったので。
勝つということは、そこから離れるということでもある。
あの二人の関係が変わっていくのが、この小説の隠れた軸だと思っています。
あと、アルジャーノンが研究所から逃げたあとの日々。
チャーリイは、あの子を飼います。
迷路も走らせない。ただ一緒にいるだけ。
実験動物だったネズミが、初めてただのネズミになる。
あの短い時間が、この小説でいちばんあたたかい場面かもしれません。
誰の役にも立たない時間を一緒に過ごす。
それが、たぶん友達ということなんだと思います。
▼ アルジャーノンの視点で書いたオリジナル曲はこちら
同じ檻にいた二人
チャーリイとアルジャーノンは、立場がまったく同じです。
どっちも、実験の対象。
走らされて、測られて、記録される。
人間と動物という違いはあるけど、研究者から見たらデータでしかない。
チャーリイが賢くなって最初に気づいたのが、たぶんそこです。
自分は人として扱われていなかった、ということ。
知らなければ、傷つかずに済んだのに。
研究者たちも、悪い人として書かれてはいません。
学問のためにやっている。
ただ、チャーリイを「手術前の彼」と「手術後の彼」で呼び分けてしまうんです。
同じ人なのに。
あそこの違和感を、チャーリイ本人が指摘する場面があって、あれは効きました。
善意でやっていることが人を傷つける、というのは、この小説の中でずっと続くテーマです。
手術をすすめた人たちも、本人のためだと思っていた。
チャーリイ自身も、賢くなりたいと望んでいた。
誰も悪くないのに、こうなる。
善意という言葉は、この物語だと少し怖く響きます。
本人のためだ、という理屈は、本人の意思を飛び越えやすい。
チャーリイは同意していましたが、その同意がどこまで本当の同意だったのか。
そこは、いま読むとかなり考えさせられます。
六十年前の小説なのに、いまの医療倫理の話とそのままつながります。
本人の同意をどう取るか。誰が判断するのか。
ダニエル・キイスは、当時からそこを見ていたことになります。
賢くなって、失ったもの
これがこの小説の中心だと思っています。
チャーリイは、パン屋のみんなが自分を笑っていたことを知ります。
前は、一緒に笑っていると思っていた。
友達だと思っていた人が、そうじゃなかった。
知能が上がるって、そういうことなんですよね。
見えなくてよかったものまで、全部見えるようになる。
賢くなるのは幸せなことか、と聞かれたら、この本を読んだあとは即答できません。
パン屋のジョーやフランクのことも、単純な悪者にはできません。
からかってはいたけど、彼らはチャーリイを職場に置いていた。
賢くなったチャーリイのほうが、逆に居づらくなって追い出される。
人は、自分の理解できないものを近くに置きたがらない。
それが下でも上でも同じ、というのが、なんとも言えないところです。
居場所って、能力で決まるものじゃないんですよね。
その場になじむかどうかで決まる。
チャーリイは、賢くなったせいで、どこにもなじめなくなりました。
前の自分にも戻れないし、新しい場所にも入れない。
宙ぶらりんの時期が、いちばん孤独だったと思います。

アルジャーノンが先に
物語の途中で、アルジャーノンの様子がおかしくなります。
走れなくなって、暴れて、元に戻っていく。
あれを見たときのチャーリイの気持ちを思うと、本当にきついです。
自分の未来を、目の前で見せられているので。
しかも、逃げられない。
あと何ヶ月でこうなる、と自分で計算までしてしまう。
賢くなったせいで、自分の終わりを正確に予測できる。
残酷な話です。
アルジャーノンが迷路を走れなくなって、パニックになる場面。
あそこは、読んでいて息が詰まります。
できていたことができなくなるって、たぶん本人がいちばんわかる。
チャーリイも、同じことを経験することになります。
自分が書いた文章を、あとから読み返して、意味がわからなくなる。
想像するだけで怖いです。
しかも彼は、自分でその過程を記録し続けます。
やめてもいいのに、書くのをやめない。
あれは意地だと思います。
最後まで、自分のことを自分で見届けようとした。
あの報告書は、たぶん誰かに読んでほしくて書いていたんじゃないでしょうか。
自分がここにいたことを、誰かに知っておいてほしい。
人が何かを書き残す理由って、だいたいそれな気がします。
なぜ花束なのか
タイトルの意味を、ずっと考えていました。
花束って、人にあげるものです。
ネズミには供えない。
つまりチャーリイは、あの子を実験動物としてじゃなく、友達として扱ったということです。
世界でひとりだけ、あのネズミを一匹の存在として見た人がいた。
あの最後の一行が効くのは、たぶんそこです。
文字は崩れているのに、気持ちだけはちゃんと残っている。
あの一行が、報告書の末尾に、追伸みたいに書かれているのもいい。
大事なことなのに、ついでみたいに置いてある。
でも、それが本心なんですよね。
うまく書けなくなっても、忘れずに書き足した。
あそこで泣かない人、いるんだろうか。
わたしは初めて読んだとき、電車の中でした。
あれは失敗でした。家で読むべきです。
読み返すたびに、同じところで同じように苦しくなります。
結末を知っているのに、毎回効く。
そういう本は、そんなに多くないです。
忘れても、消えない
チャーリイは、最後にはほとんどのことを忘れます。
読んだ本の内容も、覚えた言葉も。
でも、アルジャーノンのことは忘れていない。
お墓に花を、と書き残す。
知識は消えても、誰かを大事に思った記憶は残る。
この本がいちばん言いたかったのは、そこな気がします。
人が何を残せるか、という話でもあると思います。
チャーリイは、論文も残したし、いろんなことを学んだ。
でも本人の中に最後まで残ったのは、ネズミへの気持ちだけだった。
何を覚えているかで、その人がどんな人だったかが決まる気がします。
アリスのこと
チャーリイに読み書きを教えていた、アリス先生。
この人の存在も大きいです。
手術の前も後も、彼女だけは態度が変わらない。
賢いから好きになったわけでも、賢くなくなったから離れたわけでもない。
ちゃんと同じ人として見ている。
こういう人がひとりいるかどうかで、人生はだいぶ変わると思います。
チャーリイには、アリスがいた。
アルジャーノンには、チャーリイがいた。
そう並べると、この話の構造がきれいに見えてきます。
賢さと、人の値打ち
この小説を読むと、賢さって何なんだろうと思います。
手術前のチャーリイは、みんなに好かれていました。
手術後のチャーリイは、みんなに距離を置かれます。
賢くなったのに、孤独になった。
人の値打ちは、知能じゃ測れない。
わかっているつもりでしたが、この本を読むと、ちゃんと突きつけられます。
賢くなったチャーリイは、周りを見下すようにもなります。
あそこ、読んでいてちょっといやな気持ちになるんです。
でも、それも含めて人間なんだと思います。
聖人みたいに書かれていたら、この小説はここまで残らなかった。
都合の悪いところまで書いてあるから、信用できる。
曲に込めたこと
この物語をもとに作った曲は、アルジャーノンの視点で書きました。
ネズミの歌にするのは、正直かなり迷いました。
でも、あの子には言葉がないので。
言葉のない側から、この話を見たらどうなるか。それをやってみたかったんです。
迷路のことと、隣にいた人のことだけを書きました。
研究とか、手術とか、そういう言葉は歌詞に一切入れていません。
ネズミはそんなこと知らないので。
わかるのは、走ること、疲れること、隣に誰かがいたこと。
それだけで一曲にしました。
だからこの曲は、たぶんいちばん言葉数が少ないです。
あと、走るリズムを曲の土台にしています。
迷路を走っている足音のイメージです。
後半で、そのリズムが少しずつ乱れていくようにしました。
もしよかったら、本を思い出しながら聴いてみてください。
おわりに
この本を初めて読んだのは、けっこう前です。
そのときは、チャーリイがかわいそうだと思って読み終わりました。
いまは、少し違います。
あの人は、短いあいだだけど、ちゃんと世界を知った。
つらいことも含めて、生きた。
かわいそう、で片づけるのは失礼な気がしています。
人生の長さと、中身は別なんだと思います。
チャーリイが賢かった期間は、たった数ヶ月です。
でもあのあいだに、恋もして、傷ついて、たくさん考えた。
普通に何十年生きても、そこまで濃く生きられるとは限らない。
そう考えると、あの結末は救いがないわけじゃない気がします。
この記事と曲が、あなたにとって、あの白いネズミのことを少し思い出すきっかけになれば嬉しいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
音羽(Otowa)について
音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。
あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
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