『ナミヤ雑貨店の奇蹟』松岡克郎は報われたのか、音羽が考えた、売れなかった歌の話

物語の考察

東野圭吾さんの『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の話をします。

この作品、東野圭吾さんの中ではめずらしく人が殺されません。

悩み相談の話です。

でも、いちばん泣いたのはこの本かもしれない。

今回は、その中に出てくる松岡克郎という人のことを書きます。

魚屋の息子で、ミュージシャンを目指していた人です。

わたしが音楽をやっているせいもあると思いますが、あの章だけ読み返すことがあります。

あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。

※結末に触れます。未読の方はご注意ください。

いちおう、本の枠だけ。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は2012年に出た東野圭吾さんの長編です。中央公論文芸賞を受賞しています。

2017年には映画化もされました。山田涼介さん、西田敏行さん。

連作短編のような形で、いくつもの相談が並んでいます。

そして最後に、全部が一本につながる。

この構成の気持ちよさが、この作品の人気の理由だと思います。

東野圭吾さんの作品では、かなり異色です。

殺人事件の犯人を追う話ではありません。手紙と時間の不思議を通して、人の人生がつながっていく話です。

この考察ブログでは白夜行や手紙や容疑者Xの献身も書いていますが、あれらとは別の顔の作品です。

でも、根っこは同じだと思います。

人の人生が、あとからどう見えるか。

この人は、ずっとそこを書いていた気がします。

報われないまま終わる人、という意味では、『容疑者Xの献身』の石神とも重なります。

ただ、石神は自分で選んで差し出しました。

克郎は、選んだというより、そうなってしまった人です。

どういう話か

シャッターの閉まった古い雑貨店があります。

ナミヤ雑貨店。

昔、店主が悩み相談を受けていました。

シャッターの郵便口に手紙を入れると、翌日、牛乳箱に返事が入っている。

で、この店にはひとつ仕掛けがあります。

一晩だけ、過去とつながる。

現代の若者三人が、三十数年前の相談に返事を書くことになります。

この三人が、また不器用でいいんです。

もともと悪いことをして逃げ込んだだけの連中です。

立派な人たちではありません。

その三人が、真剣に他人の悩みに向き合いはじめる。

返事を書くうちに、書いている側が変わっていく。

相談って、そういうところがあると思います。

聞くほうも、けっこう影響を受けるので。

最初はふざけて書いていたのに、途中から手を抜けなくなります。

人の悩みを預かると、いいかげんにできなくなるからだと思います。

そこが、この三人のいいところです。

その変化が、この小説のもうひとつの筋です。


▼ 松岡克郎の想いを歌にしたオリジナル曲はこちら


松岡克郎の読み方は「まつおか かつろう」——どんな人物か

読み方はまつおか かつろうです。

魚屋の長男。家を継ぐはずだったのに、音楽をやりたくて東京に出た人です。そのまま、売れないまま何年も過ぎます。

ナミヤ雑貨店に手紙を出したのは、この人です。音楽を続けるべきか、実家に戻るべきか。

返ってきた答えと、そのあと彼がどうなったか。そこがこの物語でいちばん残酷で、いちばん美しい部分だと思っています。

以下、彼に何が起きたのかを、順に書いていきます。

魚屋の息子

松岡克郎は、実家が魚屋です。

継ぐことを期待されている。

でも、音楽をやりたい。

ギターを持って、東京に出ている。

売れてはいません。

音楽を続けて何年もたち、家を継ぐかどうかを決めなければいけない時期に来ています。

しかも、父親の体調がよくない。

この状況、けっこうよくある話だと思います。

好きなことを続けるか、家のために戻るか。

形は違っても、似た岐路に立った人は多いはずです。

しかも、周りはたいてい戻れと言います。

心配してくれているので、余計に断りにくい。

悪意で止められるほうが、まだ楽なんですよね。

反発できないので、逃げ場がない。

心配は、いちばん断りにくい形の圧力だと思います。

星空の下、古い雑貨店の郵便口に手紙を入れる若者
答えが欲しかったわけじゃない、のかもしれない

相談の中身

彼が書いたのは、続けるべきか、やめるべきか。

たぶん、答えは自分でわかっているんです。

やめるべきだ、というのが常識的な結論なので。

それでも聞いてしまう。

誰かに、続けろと言ってほしかったんだと思います。

相談って、そういうものです。

答えがほしいんじゃなくて、背中を押してほしい。

だから、正論を返されると腹が立ったりする。

自分で聞いておいて、勝手なものです。

でも、そういうものだと思います。

人は、決めたあとに理由を探す生き物なので。

克郎も、たぶんもう決めていました。

それでも手紙を出したのは、ひとりで決めるのが怖かったからだと思います。

返事のこと

返事を書いたのは、現代の若者たちです。

しかも、彼らは知っています。

この人が売れないまま終わることを。

未来の情報を持っている側が、過去の人に返事を書く。

三人も、最初は家業を継げという調子で返しています。

そのほうが親切だと思ったんだと思います。

でも、克郎の曲が未来に残っていることを知って、返事が変わります。

未来を知っている側が、あえて続けろと書く。

これ、けっこう重い判断です。

その言葉のせいで、この人は苦労を続けることになるので。

それでも、彼らはそう書きました。

売れるかどうかとは別のところに、続ける意味があると思ったからだと思います。

結果が出ないことは、やった意味がないことと同じではない。

この一点が、この物語の芯だと思っています。

魚屋に戻る

克郎は、一度実家に帰ります。

父親の店を手伝う。

ここで諦めていたら、平凡だけど穏やかな人生だったはずです。

でも、彼はもう一度出ていきます。

父親が、背中を押してくれたからです。

でも、いちばん大きかったのは自分の気持ちだったと思います。

あきらめきれなかった。

それだけです。

父親は、ただ黙って送り出したわけではありません。

余計なことは考えず、もう一度命がけでやってこい。東京で戦ってこい、と。

負け戦なら負け戦でいい。自分の足跡を残してこい、と。

はっきり言葉にして、背中を押しています。

この言葉が、克郎の中に最後まで残ります。

夕暮れの街角で、通り過ぎる人々の中ギターを弾く若者
誰も立ち止まらない。それでも弾いていた

売れないまま

東京に戻っても、状況は変わりません。

ライブハウス。少ない客。

お金もない。

音楽をやったことがある人なら、この描写はきついと思います。

好きなことをやっているのに、しんどい。

しかも、しんどいと言いにくい。

好きでやってるんでしょ、と言われるので。

しかも、年を重ねるほど言い訳がしにくくなります。

二十代のうちは、夢を追っている人で通ります。

三十が見えてくると、周りの空気が変わる。

同級生が家を買ったりしはじめるので。

比べたくないのに、比べてしまう。

あの焦りは、経験した人にしかわからないと思います。

丸光園の火事

そして、あの場面が来ます。

児童養護施設で火事が起きる。

克郎は、火の中から男の子を助け出して、亡くなります。

まだ若いうちでした。

売れないまま。

作った曲も、ほとんど誰にも知られないまま。

普通に考えたら、報われていない人生です。

少なくとも、報われるために助けたわけではないと思います。

立派なことをしよう、とは思っていない。

助けを求める子がいて、克郎は動いた。

それだけだと思います。

人の本性って、そういう瞬間に出るのかもしれません。

ずっと売れない、情けない男として書かれてきた人が、最後の数分でそれをやる。

あの落差がずるいです。

燃える建物に向かって走っていく人影
あの夜、彼は歌をその場に置いて走った

でも、そうじゃなかった

克郎が火の中から助け出したのは、水原セリという女の子の弟、タツユキでした。

セリのほうは、先に逃げていました。

そのセリが、やがて歌手になります。

そして、克郎が作った曲を歌う。

「再生」という曲です。

世に出なかった歌が、克郎の死後、別の人の声で広まっていきます。

本人は知りません。

もう死んでいるので。

報われる、ということ

ここが、この物語のいちばん大事なところだと思っています。

克郎は、生きているあいだに、売れるという形では報われませんでした。

それでも、父親の言葉はありました。自分の曲を好きだと言ってくれる子どもとの出会いもありました。

本人がそれをどう受け取っていたかは、わたしには分かりません。

でも、外から見ると違います。

彼がいなかったら、あの男の子は死んでいた。

彼が曲を作らなかったら、あの歌はなかった。

結果は、あとから来ることがある。

しかも、本人が受け取れない形で。

この構図が、この物語のいちばん美しいところであり、いちばんつらいところです。

種を撒いた人と、実を見る人が違う。

でも、これは物語だけの話じゃない気がします。

自分が誰かにもらったものだって、渡した本人はたぶん知りません。

『そして、バトンは渡された』の記事でも似たことを書きましたが、渡した側は覚えていないものです。


▼ 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の世界を描いたオリジナル曲


残酷でもある

ただ、これを美談として読むのは違う気がしています。

本人は知らないままなので。

自分の曲が誰かを救ったことも、歌い継がれたことも、知らずに死んでいる。

報われたのは、あくまで結果論です。

生きているあいだの苦しさは、そのままです。

そこを飛ばして、いい話だったね、で終わらせたくない。

報われるかどうかは、運の要素がかなり大きい。

あの日、あの場所にいなければ、誰にも知られずに終わっていました。

たまたま、拾われただけです。

だから、拾われなかった人のことも考えてしまいます。

世の中には、そっちのほうが圧倒的に多いので。

「再生」というタイトル

克郎が作った曲の題名も、よくできています。

再生。

もう一度、生まれること。

本人は死んでいるのに、歌のほうが生き返る。

しかも、別の人の声で。

音楽って、そういうところがあります。

作った人がいなくなっても、鳴り続ける。

楽譜や録音が残っていれば、何十年でも。

わたしが曲を作っているのも、少しそこに憧れがあるからかもしれません。

浪矢雄治の返事

相談を受ける側の話も少しだけ。

浪矢さんは、正しい答えを出そうとしていません。

相手が何を言ってほしいのかを見ている。

しかも、悩みを持ってきた人は、たいてい答えを持っている。

本人がそれに気づけるように書く。

相談の受け方として、これがいちばん難しいと思います。

ついアドバイスしたくなるので。

しかも浪矢さんは、白紙の手紙にも返事を書きます。

何も書かれていない紙に。

あそこがいちばん好きな場面です。

何も言えない人がいる、ということをわかっている人でした。

結末——三人が出した白紙の手紙に、何と返ってきたか

ここから結末に触れます。

この物語には、もう一本の筋があります。空き家になったナミヤ雑貨店に逃げ込んだ、敦也・翔太・幸平という三人の若者です。

盗みをして、行き場をなくして、たまたまあの店に入りました。

そこへ、過去から手紙が届きはじめます。シャッターの郵便口が、三十二年前につながっていた。

三人は、はじめ面白半分で返事を書きます。

ところがその返事が、過去の誰かの人生を本当に動かしてしまう。

そして最後、三人は自分たちのために一通出します。

といっても、悩みを書いたわけではありません。本当に過去とつながっているのかを確かめるために、白紙の紙を投げ込んだんです。

ところが浪矢雄治は、それをいたずらと受け取りませんでした。白紙にも相談の意味を読み取って、真剣に返事を書きます。

中身はこういうことでした。

あなたの地図は白紙です。だからこそ、どんな地図でも描ける。

何も持っていないことを、何にでもなれることとして返してきたんです。

相談してきた相手を否定せず、かといって無責任に励ましもしない。浪矢さんのやり方が、いちばんよく出た場面だと思います。

そして、全部がつながります。

この物語に出てくる人たちは、ばらばらに生きていたわけではありませんでした。

松岡克郎が残した「再生」も、丸光園の火事も、三人の若者も、過去から手紙を出した人たちも、どこかで一本につながっている。

東野圭吾が書きたかったのは、たぶんこれです。

自分のやったことが、どこへ届いているか、本人には見えない。

松岡克郎は、自分の歌が残ったことを知らずに死にました。浪矢雄治も、自分の返事がその後どうなったかを、全部は知りません。

それでも、届いていた。

全部つながった形で見られるのは、読者だけです。

星空の下でマイクに向かって歌う女性
歌だけが、彼より長く生きた

曲に込めたこと

この物語をもとに作った曲は、克郎の視点で書きました。

火事のことは入れていません。

あの人にとって、あれは最後の数分の話なので。

書いたのは、売れなかった何年かのほうです。

誰も聴いていない場所で、それでも弾いていた時間。

たぶん、そこがあの人の人生の中身でした。

サビも、大きくしていません。

ライブハウスで、数人の前で歌っているくらいの音量にしたかったので。

その規模でも、音楽は音楽です。

人数の問題じゃない、というのは、この物語が教えてくれたことでもあります。

もう一冊の東野圭吾——『手紙』は、届いてしまう手紙の話です

ナミヤ雑貨店の手紙は、人を救いました。でも同じ東野圭吾には、手紙が人を追い詰めていく小説もあります。『手紙』です。

強盗殺人で服役している兄から、弟のもとへ毎月手紙が届きます。兄に悪気はありません。ただ、弟を気づかって書いているだけです。

でも、兄の事件が知られるたびに、弟は仕事や恋愛で不利益を受けます。届く手紙は、逃れられない兄との関係を、そのつど思い出させるものでした。

同じ「手紙」なのに、一方は人を生かし、一方は人を追い詰める。

二冊を並べて読むと、東野圭吾にとって手紙が何なのかが見えてくる気がします。たぶん、手紙そのものには善も悪もない。ただ、消えずに残る。残り続けるから、受け取る側の人生を変えてしまう。

松岡克郎の歌が、死んだあとに誰かに届いたように。あの兄の手紙も、届かないほうがよかったわけではないんだと思います。→ 東野圭吾『手紙』弟は兄を憎みきれなかった

おわりに

この本は、悩んでいる人が読むといいと思います。

答えは書いてありません。

でも、返事は返ってこなくても、書くことに意味がある、というのはわかります。

そして、いま報われていないことにも、意味があるかもしれない。

確認できないだけで。

わたし自身、曲を作って出したあと、反応がなくて落ち込むことがあります。

誰も聴いていないんじゃないか、と思う日もある。

でも、届いているかどうかは、こちらからは見えないだけかもしれない。

この本を読み返すと、そこを思い出します。

だから、いまも作り続けています。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

東野圭吾作品の考察記事

音羽のブログでは、東野圭吾さんの作品をほかにも書いています。

よかったら、あわせて読んでみてください。

→ これまでに考察した作品の一覧はこちら

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