『砂の器』和賀英良はなぜ恩人を殺したのか——音羽が考えた、捨てられなかった過去の話

物語の考察

松本清張の『砂の器』の話をします。

清張作品の中でも、いちばん有名な一冊だと思います。

何度も映像化されているので、話は知っているという人も多いはずです。

わたしも、最初は映画のほうから入りました。

で、読んだあとにずっと引っかかっているのが、犯人の動機です。

あの人は、自分を助けてくれた人を殺しています。

恩人です。

なのに、殺した。

そこを考えてみたいと思います。

あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。

いちおう、本の枠だけ。

『砂の器』は1960年から新聞連載された松本清張の長編です。

1974年に野村芳太郎監督で映画化されました。丹波哲郎さん、加藤剛さん。

この映画の評価がとても高くて、原作より映画で知っている人のほうが多いかもしれません。

ドラマも何度も作られています。

ちなみに、原作と映像化作品では細部がけっこう違います。

この記事では、両方に共通する部分を中心に書きます。

※真相に触れています。未読の方はご注意ください。

どういう話か

東京の蒲田操車場で、男の死体が見つかります。

顔を潰されていて、身元がわからない。

手がかりは、目撃された会話の中の「カメダ」という言葉と、東北なまりだけ。

今西という刑事が、その二つだけを頼りに歩き回ります。

この捜査パートが、とにかく地味です。

聞き込みと、移動と、空振り。

派手なことは何も起きません。

でも、そこがいいんです。

この時代、DNA鑑定も防犯カメラもありません。

携帯電話もない。

できるのは、人に会って話を聞くことだけです。

刑事が全国を歩き回るしかない。

だから、犯人にたどり着くまでに何ヶ月もかかります。

その時間の長さが、そのまま読み応えになっている。

いまのミステリでは、なかなかできない作りだと思います。


▼ 和賀英良の想いを歌にしたオリジナル曲はこちら


カメダは、東北じゃなかった

この小説でいちばん有名な仕掛けです。

東北なまりだから、東北の亀田だろう。

普通はそう考えます。

でも実際は、島根県の亀嵩でした。

出雲のあたりの言葉が、東北の言葉によく似ているんです。

これ、初めて知ったときは驚きました。

日本の反対側なのに、音がそっくりだという。

思い込みで捜査が止まる、というのを、方言でやってみせた。

清張のこういうところ、本当にうまいと思います。

しかも、この間違いは誰も悪くありません。

東北なまりに聞こえたなら、東北を探すのが自然です。

善意で、まじめに、間違った方向に進んでしまう。

清張の小説は、こういう構図がよく出てきます。

悪人がいなくても、物事はこじれる。

殺された人は、いい人だった

被害者は、三木謙一という元巡査です。

この人、悪いところが何ひとつありません。

現役のころから面倒見がよくて、退職後も人に慕われている。

恨まれる理由がまったく見つからない。

だから捜査は行き詰まります。

ここが、この小説の構造の面白いところです。

善人が殺される。しかも、その善良さが動機になっている。

もし三木が誰かを脅していたら、話は簡単でした。

恨んでいる人を探せばいい。

でも、そういう人がいない。

だから今西は、被害者の人生そのものをたどることになります。

この作品が長くなるのは、そのせいです。

人ひとりの過去を、全部さかのぼっていくので。

犯人は、天才音楽家

犯人は、和賀英良という若い作曲家です。

新進気鋭のグループの中心にいて、名家の娘と婚約もしている。

これから、というところにいる人です。

でも、それは本当の名前ではありません。

彼の本名は、本浦秀夫といいます。

戸籍を変えて、まったく別の人間として生きていました。

戦後の混乱期は、戸籍がかなりあいまいでした。

空襲で役所の記録が焼けた土地も多い。

だから、別人になることが実際にできてしまった。

いまの日本では、まず無理です。

この設定が成立するのは、あの時代だからこそでした。

父と歩いた、あの道

ここが、この作品の心臓です。

秀夫の父は、病気でした。

当時、その病気にかかった人は、家からも村からも追い出されていました。

父と幼い秀夫は、行くあてもなく、二人で歩き続けます。

物乞いをしながら、季節が変わっても、ずっと。

映画のあの場面を覚えている方も多いと思います。

あそこは、台詞がほとんどありません。

ただ、二人が歩いている。

それだけで、全部わかってしまう。

あの巡礼の場面が、映画の後半にまとめて出てきます。

しかも、和賀が演奏している音楽に重ねる形で。

説明の台詞をほとんど使わずに、半生を見せてしまう。

映画史に残る場面だと言われるのも、わかります。

わたしも、初めて観たときはそこで泣きました。

しかも、あの場面には和賀の姿も重なります。

大人になった本人が、自分の過去を演奏している。

観客は拍手をしていて、誰も中身を知らない。

あの二重構造が、たまらないです。


▼ 『砂の器』の世界を描いたオリジナル曲


病気のことについて

ここは、書いておかないといけないところです。

作中で描かれる差別は、当時の社会が実際にやっていたことです。

でも、あれは完全に間違いでした。

この病気は感染力がとても弱く、いまは薬で治ります。

隔離する必要も、家族が身を隠す必要も、まったくなかった。

日本では長いあいだ国の政策として隔離が続いて、あとから謝罪と補償が行われています。

この小説が描いているのは、病気の怖さではありません。

人が人を追い出す、その怖さのほうです。

父親は、何も悪いことをしていません。

病気になっただけです。

それなのに、住んでいた場所にいられなくなった。

子どもも、一緒に追い出された。

本人にどうしようもないことで、人生が決まってしまう。

この構図は、清張が繰り返し書いてきたものだと思います。

生まれや、家や、病気。自分では選べないもの。

選べないもので人生が決まるのは、理不尽です。

でも、現実にはそれがかなりの割合を占めている。

清張は、そこを一生書き続けた人でした。

三木は、何をしたのか

放浪していた親子を見つけたのが、巡査だった三木でした。

父を療養所に入れて、秀夫を自分の家で育てようとします。

これ以上ないくらい、まっとうな善意です。

でも、秀夫は逃げ出します。

子どもの足で、ひとりで。

わたしは、この逃亡がすべての始まりだと思っています。

あそこで秀夫が三木の家にとどまっていたら。

別の人生があったはずです。

たぶん平凡で、でも殺人はしなかった人生。

その分かれ道が、まだ十歳そこそこの子の判断で決まってしまう。

そこがつらいところです。

なぜ、逃げたのか

親切にされていたのに、なぜ逃げたのか。

たぶん、あの家にいるかぎり、自分が何者かを知っている人がそばにいるからです。

優しくされるほど、過去が固定される。

あの子が欲しかったのは、優しさじゃなくて、白紙でした。

誰も自分を知らない場所。

そこからしか、やり直せないと思ったんだと思います。

過去を知っている人がいると、その人の前ではずっと過去の自分になります。

本人が変わっても、相手の記憶が更新されない。

地元に帰ると子ども扱いされる、みたいな話とも少し似ています。

もちろん、和賀の場合は次元が違いますが。

知られていることの重さは、たぶん同じ種類のものです。

そして、恩人が現れる

何十年も経って、和賀英良は成功しています。

そこに三木が現れる。

三木は、責めに来たわけではありません。

脅しに来たのでもない。

ただ、父親に会ってやれと言いに来ただけです。

療養所で、あの人はまだ生きている、と。

これ以上ないくらい、善意の言葉です。

でも和賀にとっては、いちばん聞きたくない言葉でした。

殺した理由

和賀が守りたかったのは、命でも金でもありません。

築いた名前です。

本浦秀夫だったことがバレたら、全部なくなる。

婚約も、地位も、これからの人生も。

三木が悪意で来ていたら、まだ交渉できたかもしれません。

善意で来たから、止められなかった。

この人は、必ず父のところへ連れて行こうとする。

だから、殺すしかないと思ってしまった。

身勝手です。まったく擁護できません。

それでも、その追い詰められ方は、想像がついてしまう。

しかも、三木のほうは何も気づいていません。

いいことをしているつもりです。

親子を会わせてやろう、というだけの話なので。

善意って、相手の事情を確認しないまま動きがちです。

あなたのためだから、と。

この構図、『鬼畜』や『黒革の手帖』にも通じるところがあります。

清張は、正しさがそのまま凶器になる場面をよく書く人でした。

タイトルの意味

砂の器。

砂で作った器は、水を入れられません。

形はあるのに、崩れる。

和賀が作り上げた人生が、まさにそれでした。

立派に見えて、土台が砂でできている。

しかも、その砂は父と歩いた道のものです。

捨てたはずのものが、土台になっている。

よくできたタイトルだと思います。

砂って、子どもが遊ぶものでもあります。

作っては壊し、また作る。

浜辺で作った砂の城が、波で消えるあの感じ。

和賀がやっていたのも、結局それだったのかもしれません。

「宿命」という曲

和賀は、自分の作品にこの題をつけています。

あの人は、音楽の中でだけは父のことを語っていたんだと思います。

誰にも言えないことを、音にした。

言葉にしたら終わりだけど、音楽なら気づかれない。

だからあれは、告白でもあり、隠れ場所でもあった。

作曲家を犯人にしたのは、そのためだと思っています。

もし普通の会社員だったら、この話は成立しません。

過去を語る場所がないので。

音楽をやっているから、言えないものを外に出せた。

そこだけが、あの人の逃げ場でした。

わたしも曲を作る側なので、この設定にはぐっときます。

言葉にできないことを音にする、というのは、実際そういうものなので。

今西という刑事

この人のことも書いておきたいです。

華やかなところがまったくない刑事です。

ひらめきで解決したりしない。

ただ、ひたすら歩く。

その地道さが、最後に和賀の過去にたどり着きます。

しかも今西は、真相を知って喜んでいません。

あの静かな後味が、この小説を名作にしていると思います。

今西は、和賀の過去を知って、たぶん少し同情しています。

でも、それを口に出さない。

職務として、淡々と進める。

その抑え方が、この人の誠実さだと思います。

派手な名探偵より、こういう刑事のほうが記憶に残ります。

いま読むとどうか

この小説を、いまの感覚で読むと引っかかる部分もあります。

病気を隠さなければならない、という前提そのものが、もう間違っているからです。

和賀が恐れていたものは、本当は恐れる必要のないものでした。

でも当時は、社会全体がそう思わせていた。

だから責任は、隠した側だけにあるわけじゃない。

この作品が長く読まれているのは、そこを描いたからだと思います。

推理小説の形をしていますが、中身は社会告発です。

清張が社会派と呼ばれるのは、こういうところです。

曲に込めたこと

この物語をもとに作った曲は、和賀の視点で書きました。

事件のことは、ほとんど入れていません。

書いたのは、父と歩いた道のほうです。

あの人が一生かけて消そうとして、消せなかったもの。

そこだけを歌にしました。

歌詞には、成功したあとの話を入れていません。

本人にとって、そこは本当の人生じゃなかった気がするので。

作った器のほうじゃなくて、材料になった砂のほうを書きました。

メロディも、派手にしていません。

歩いている速さくらいのテンポにしています。

おわりに

この小説は、犯人を許す話ではありません。

殺された三木には、何の落ち度もない。

ただ、和賀をそこまで追い込んだものは何だったのか。

それを考えると、社会のほうに目が向きます。

過去を隠さなければ生きられない、という状況を作ったのは誰なのか。

六十年以上前の小説ですが、そこはまだ古びていません。

いまも、過去を知られたくない人はたくさんいます。

病気、家族のこと、経歴、出身。

ネットがある分、隠すのは当時より難しい。

和賀のように別人になることは、もうできません。

その意味では、いまのほうが逃げ場がない気もします。

だからこの小説は、昔話として読めないんです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

音羽(Otowa)について

音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。

あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。


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