映画『正体』の話をします。
2024年11月公開。原作は染井為人さん、監督は藤井道人さん。
主演は横浜流星さん。
観たあと、しばらく席を立てませんでした。
で、家に帰ってからずっと考えていたのは、主人公のことじゃなくて沙耶香のことでした。
一緒に暮らしていた、あの人のこと。
今回は、沙耶香の側から考えてみます。
あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。
※内容に触れています。まだ観ていない方はご注意ください。
どういう話か
ざっくり書くと、逃亡の話です。
一家殺害の犯人として死刑判決を受けた青年が、脱走する。
顔を変え、名前を変え、場所を変えながら逃げ続ける。
刑事が追いかける。
その逃亡の途中で、彼はいろんな人と出会います。
沙耶香も、そのひとりです。
藤井道人監督は、『新聞記者』や『ヴィレッジ』を撮った人です。
この人の映画は、いつも社会のほうを向いています。
今回もそうでした。
逃亡劇の形を借りて、世間が人をどう決めつけるかを描いている。
原作は染井為人さんの同名小説です。
先に読んでいた人には、また違う見え方があると思います。
わたしは映画から入りました。
横浜流星さんは、この作品で顔つきが何度も変わります。
別人になるたびに、話し方も、目つきも変わる。
でも、どの姿にも同じ怯えが残っている。
あの芝居があるから、沙耶香の判断に説得力が出るんだと思います。
吉岡里帆さんの沙耶香も、力みがなくてよかったです。
正義感の強い人として演じていない。
普通の人が、普通に迷っている感じ。
だから見ているこっちも、自分だったらどうするかを考えてしまいます。
特別な人として描かれていないのが、いちばん効きます。
特別な人の話なら、他人事にできるので。
二人が並んでいる場面が、どれも普通なのもいいです。
派手なやりとりがない。
その普通さが、あとから効いてきます。
沙耶香が出会ったのは、犯人じゃない
ここが、この映画のいちばん大事なところだと思っています。
沙耶香が出会ったのは、指名手配犯じゃありません。
普通に働いて、普通に話して、普通に一緒にごはんを食べる人です。
名前は嘘でした。
経歴も嘘。
でも、一緒に過ごした時間まで嘘だったかというと、それは違う気がします。
嘘をついていた、というのは事実です。
そこは擁護できません。
沙耶香は、大事なことを何ひとつ教えてもらえていなかった。
騙されていた、と言われたら、そのとおりです。
ただ、嘘の中身と、そこで流れていた時間は、別のものだと思うんです。
設定は嘘でも、疲れて帰ってきた顔は嘘じゃない。
そこを分けて考えないと、この映画は読めない気がします。
▼ 沙耶香の想いを歌にしたオリジナル曲はこちら
嘘と、本当のあいだ
人って、名前で人を判断してはいません。
本当に見ているのは、もっと細かいところです。
話すときの間の取り方とか、疲れているときの顔とか。
そういうものは、たぶん偽れない。
沙耶香が見ていたのは、そっちだったと思うんです。
だから、あとから「あの人は死刑囚だった」と言われても、腑に落ちない。
だって、毎日見ていたので。
人を判断する材料として、いちばん強いのは何か。
たぶん、一緒に過ごした時間です。
でも、それは他人には見せられません。
説明もできない。
あの人はそんなことしません、と言っても、根拠がないと言われて終わりです。
沙耶香が抱えていたのは、そういう種類の確信だったと思います。
思い出してほしい、あの感じ
身近な人が悪く言われているとき、うまく反論できないことってあります。
そんな人じゃない、としか言えない。
でも、その「そんな人じゃない」には、何年分かの根拠が詰まっています。
ただ、言葉にした瞬間にペラペラになる。
沙耶香が置かれていたのは、その状況の極端なやつです。
相手は世間全体で、こっちは一人。
しかも相手には、判決という強い材料がある。
普通なら黙ります。
黙らなかったところが、この人のすごさだと思っています。

気づいてしまった、その瞬間
一緒に暮らしている相手が、テレビに出ている。
あの状況を想像すると、足がすくみます。
まず、怖い。
騙されていた、という怒りもあると思います。
そのあとに、たぶん混乱が来る。
この人が本当にやったのか。
自分の見てきたものは、なんだったのか。
たった数分で、そこまで考えることになる。
しかも、相談できる相手がいません。
誰かに話した瞬間に、全部が動き出してしまうので。
ひとりで抱えて、ひとりで決める。
あの重さは、想像するだけで苦しいです。
しかも、時間もありません。
迷っているあいだにも、状況は動いていきます。
ゆっくり考えさせてもらえない。
人生を分ける判断ほど、時間がないところで来るんだと思います。
なぜ、通報しなかったのか
普通に考えれば、通報します。
それが正しいし、安全です。
でも、沙耶香はすぐにはそうしません。
わたしは、この判断を美談にはしたくないんです。
冷静に見れば、かなり危ない選択です。
もし本当に犯人だったら、命が危なかった。
周りの人も巻き込む。
そこは、はっきりしておきたい。
そのうえで、なぜそうしたのかを考えたいんです。
たぶん、確信があったわけじゃないと思います。
信じ切れていたわけでもない。
ただ、目の前の人と、テレビの中の話が、どうしてもつながらなかった。
その違和感を無視できなかった。
それだけのことだった気がします。
信じる、という言葉は、あとから付いてきたものかもしれません。
信じたから動いた、というより、動いたあとで信じたことになった。
順番としては、そっちのほうが自然な気がします。
人って、決めてから理由を探すので。
信じるって、証拠のことじゃない
沙耶香には、証拠が何もありません。
無実だという材料をひとつも持っていない。
あるのは、一緒にいた時間だけです。
それだけで、世間の全部を疑うことになる。
これって、とんでもないことです。
警察も、裁判所も、テレビも、みんな向こう側にいる。
自分の感覚だけが、こっち側にある。
その状態で立っていられるかというと、わたしには自信がありません。
しかも、信じたところで何の得もありません。
得どころか、失うものばかりです。
仕事も、周りの目も、下手をすれば自分の立場も。
それでも降りなかった。
損得で動いていない人を見ると、こっちの背筋が伸びる思いがします。

世間が見ていたのは、顔写真だけ
一方で、世の中の人が見ていたのは何か。
ニュースの顔写真と、事件の見出しです。
それだけです。
でも、それで人ひとりの評価は決まってしまう。
沙耶香だけが、その人と暮らしていた。
この情報量の差は、絶望的です。
しかも、多いほうが負ける。
世の中は、たいてい数で決まるので。
この構図、映画の中だけの話じゃないと思います。
ネットで誰かが叩かれているとき、たいてい同じことが起きています。
切り取られた一場面と、見出しだけ。
その人の隣で暮らしている人の言葉は、届かない。
というか、そもそも聞かれません。
この映画がいまの話に見えるのは、そこだと思います。
しかも、あとで違いましたと分かっても、最初の印象はなかなか消えません。
訂正のニュースは、たいてい小さく流れて終わります。
一度貼られた札は、そのまま残る。
冤罪の怖さって、たぶんそこです。
もし自分が沙耶香だったら
観たあと、ずっとこれを考えていました。
たぶん、わたしは通報すると思います。
怖いので。
そして、通報したあとで一生迷うんだと思います。
あれでよかったのかな、と。
沙耶香は、その迷いを先に済ませた人です。
迷ってから動いたんじゃなくて、動いてから迷った。
どっちが正しいかは、わかりません。
ただ、後戻りできないほうを選べる人は、そんなに多くない。
あと、正しさで考えると通報が正解です。
そこは変わりません。
この記事も、匿うことをすすめているわけではないので。
ただ、正しさだけで人は動かない、という話です。
逃げる人の隣にいるということ
一緒にいた時間は、たぶんずっと不安定だったと思います。
先の話ができない。
来年どうしようね、みたいな会話がない。
相手はいつ消えてもおかしくない。
普通の暮らしのふりをしながら、それが続かないことを二人とも知っている。
そういう時間って、濃くなるんだと思います。
終わりが決まっているものほど、鮮やかに見えるので。
たぶん、二人とも普通の話をしていたと思うんです。
今日はこれ食べようとか、そういう話。
その普通が、彼にとってはずっと欲しかったものだったはずです。
沙耶香にとっては、ただの毎日だった。
同じ時間なのに、重さがまったく違う。
そこが、この関係のいちばん切ないところだと思います。
彼の側からも、少しだけ
逃げている人が、誰かと暮らすのは危険です。
バレる確率が上がるので。
それでも、そうしてしまった。
ずっとひとりで逃げていたら、たぶん心が持たなかったんだと思います。
人は、誰かに名前を呼ばれないと保てない。
嘘の名前でも、呼ばれることには意味があった気がします。
人として扱われる時間が、彼には必要だった。
逃亡中は、たぶんずっと「犯人」として見られています。
沙耶香の前でだけ、そうじゃなかった。
だから離れられなかったんだと思います。
危険だとわかっていても。
孤独って、命の危険と同じくらい人を追い詰めます。
この映画は、そこもちゃんと描いていました。
逃げ切ることより、誰かといたかった。
その気持ちのほうが強い瞬間がある。
タイトルの「正体」
このタイトル、うまいと思います。
正体というと、隠された本当の顔、みたいな意味に聞こえます。
でも、この映画を観たあとだと、少し違って聞こえる。
本当の顔って、どっちなんだろう、と。
戸籍の名前のほうか。
それとも、沙耶香の前で笑っていたほうか。
わたしは、どっちも正体だと思っています。
人はひとつの顔で生きてはいません。
職場での顔と、家での顔は違う。
どっちかが嘘というわけでもない。
この映画は、その当たり前のことを、極端な形で見せてくれます。
だから観たあと、自分のことまで考えてしまう。
自分の正体って、どれなんだろう、と。
あと、正体という言葉には、暴かれるものというニュアンスもあります。
この映画で暴かれたのは、彼の顔だけじゃなくて、世の中の側だった気もします。
人を一行で決めつける、こちら側の正体。
そう考えると、けっこう厳しいタイトルです。
曲に込めたこと
この映画をもとに作った曲は、沙耶香の視点で書きました。
事件のことは、ほとんど歌詞に入れていません。
沙耶香にとって、それは自分の見ていた世界の外側の話なので。
書いたのは、一緒に過ごした日常のほうです。
名前が本当かどうかより、あの時間が本当だったかどうか。
そこだけを歌にしました。
メロディは、静かなものにしました。
逃亡劇なので緊張感のある曲にもできたんですが、それだと沙耶香の側じゃなくなるので。
あの人にとっては、ただの生活だったはずなんです。
走っていたのは彼のほうで、沙耶香はその隣で普通に暮らしていた。
その温度差を残したかった。
歌詞に、彼の名前は出していません。
どの名前で呼べばいいのか、沙耶香にもわからないはずなので。
名前のない相手に向かって歌う形にしました。
呼びかけの言葉が使えないと、歌詞ってけっこう書きにくいんです。
でも、その不便さ自体が、この関係を表している気もしました。
もしよかったら、映画を思い出しながら聴いてみてください。
おわりに
この映画は、逃亡サスペンスとしても面白いです。
追う側の刑事も、単純な悪役になっていません。
でも、わたしがいちばん残ったのは沙耶香でした。
誰も信じていない人を、ひとりだけ信じる。
それができる人がいる、というだけで、この話は救われている気がします。
世の中の全員が疑っていても、ひとりだけ違うことを言う人がいる。
その一人になるのは、たぶんものすごく怖い。
でも、その一人がいるかどうかで、人生は変わります。
冤罪が晴れた事件の話を読むと、たいてい支え続けた人がいます。
家族だったり、友人だったり。
その人がいなかったら、たぶん終わっていた。
自分がその一人になれるかは、正直わかりません。
ただ、なれたらいいなとは思います。
この記事と曲が、あなたにとって、誰かを一行で決めつける前に立ち止まるきっかけになれば嬉しいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
音羽(Otowa)について
音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。
あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
▼ 映画『正体』の世界を描いたオリジナル曲
▼ 音羽チャンネルはこちら(チャンネル登録お願いします!)
https://www.youtube.com/channel/UCFrbhcvlbZ7YQn31F5neoDg

