『52ヘルツのクジラたち』聴こえない声のこと——音羽が読んで考えたこと

物語の考察

町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』の話をします。

読み終わって、しばらく本を閉じられませんでした。

52ヘルツのクジラって、実在するらしいんです。

ほかのクジラより高い声で鳴くから、仲間に届かない。

世界でいちばん孤独なクジラ、と呼ばれています。

この本を読んでから、その話が頭から離れなくなりました。

以下は音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。

いちおう、話の枠だけ。

『52ヘルツのクジラたち』は町田そのこさんの小説で、2021年の本屋大賞を受賞しました。杉咲花さん主演で映画にもなっています。

東京での生活を捨てて、大分の海辺の町に引っ越してきた三島貴瑚。彼女がそこで、言葉を話さない少年と出会うところから話が動きます。

貴瑚がなぜ町を出たのか、少年に何があったのか。二つの過去が、行ったり来たりしながら明かされていく作りです。

タイトルの由来になっている52ヘルツのクジラは、本当にいます。

1989年に見つかって、いまも観測されている個体です。

ほかのクジラは10から39ヘルツくらいで鳴く。だから52ヘルツの声は、誰にも届かない。

声は出している。ちゃんと鳴いている。

それでも仲間には聞こえない。

この設定を知ったとき、うまいタイトルだなと思いました。

しかも、あのクジラは黙っていません。

ずっと鳴き続けている。

そこがいちばん切ないところだと思います。

黙ってしまえば、期待もしなくて済むのに。

それでも鳴く。

※内容に触れています。これから読む方はご注意ください。

声を出しても、誰にも届かない

主人公の貴瑚は、母親と義父から虐待を受けて育ちます。

家事も介護も押しつけられて、学校に行くのもままならない。

しかも、あの家の外から見ると、何も問題がないように見えるんです。

親がいて、家があって、ごはんも食べている。

だから誰も気づかない。

助けて、と言えなかったんじゃなくて、言い方がわからなかったんだと思います。

それが52ヘルツの声だ、という話です。

虐待って、殴られることだけじゃないんですよね。

貴瑚がされていたのは、「あなたは家のために生きるもの」という扱いです。

進学もさせてもらえない。友達といる時間もない。

しかも、それを本人が「そういうものだ」と思わされている。

自分が理不尽な目に遭っていることに、気づくことすら奪われる。

あれがいちばん怖いところだと思います。

気づけなければ、助けも呼べないので。

あと、貴瑚の母親の描き方が容赦ないです。

この人、自分が被害者だと思っているんですよね。

娘のために苦労している、という顔をしている。

そういう親って、たぶん実際にいます。

だから逃げにくい。悪い人だと思えたら、まだ楽なので。

義父の描写も同じです。

わかりやすい怪物としては書かれていない。

普通に生活していて、普通に笑ったりもする。

そういう人が家の中では別の顔になる。

だから外から見ても、何も起きていないように見えるんです。

アンさんのこと

そこに現れるのが、アンさんです。

貴瑚を家から連れ出して、生活を立て直させて、笑えるようにした人。

この人の存在が、この小説のすべてだと思っています。

アンさんは、自分もトランスジェンダーとして苦しんできた人でした。

だから、声にならない声が聴こえた。

同じ周波数だったんだと思います。

痛みを知っている人にしか聴こえない音って、たしかにある。

アンさんは、貴瑚に「逃げていい」とは言いません。

代わりに、部屋を用意して、仕事を探して、生活そのものを作ってしまう。

言葉より先に、環境を変えた人です。

励ましって、たぶんそういうことなんだと思います。

がんばれ、じゃなくて、今日寝る場所があるかどうか。

アンさんが、自分のことをあまり話さないのも印象的です。

つらかった話を持ち出して、共感を求めたりしない。

ただ、目の前の子をなんとかしようとする。

大人だなあ、と思います。

わたしなら、たぶん自分の話をしてしまう。

本当の名前で呼ぶこと

この小説には、名前の話が何度も出てきます。

アンさんが本当の名前で呼ばれたかったこと。

少年に名前がなかったこと。

貴瑚が、その子に呼び名をつけたこと。

名前って、自分が自分でいていい、という許可みたいなものだと思います。

それをもらえなかった人たちの話なんだな、と読み返して気づきました。

逆に言うと、誰かの名前をちゃんと呼ぶことは、それだけで意味がある。

お金もかからないし、特別な資格もいらない。

できることって、案外そのくらいのことなのかもしれません。


▼ 貴瑚の視点で書いたオリジナル曲はこちら


救われた人が、次に間違えるとき

ここからがつらいところです。

貴瑚は、アンさんに救われたあと、別の恋をします。

そして、その人のほうを選んでしまう。

アンさんが本当に助けを必要としていたときに、気づけなかった。

この展開、読んでいて本当にきつかったです。

でも、責められないとも思いました。

ずっと不幸だった人が、初めて自分の幸せを見つけたら、そっちを見てしまう。

当たり前です。

ただ、その当たり前が、取り返しのつかないことになる。

この小説は、そこを逃げずに書いています。

人を救った側が、必ず幸せになるわけじゃない。

むしろ、救った人ほど自分のことは後回しにする。

アンさんは、自分が限界だということを、最後まで言えませんでした。

助ける側の人が、いちばん助けを求めにくい。

これ、現実でもよく見る話だと思います。

相談される側の人って、いつのまにか「強い人」ということになっている。

本当は、そんなに強くない。

でも一度そう見られると、弱音を吐くタイミングを失います。

アンさんが最後まで言えなかったのは、たぶんそれです。

しかも貴瑚は、当時それに気づけるほど余裕がなかった。

自分が助かるので精一杯だったんです。

だからあの後悔は、たぶん一生消えません。

消えないまま、それでも生きていく。

この小説が優しいのは、そこを責めないところです。

過去は変えられないけど、次に会う人には間に合うかもしれない。

そういう話に落としてくれる。

少年のこと

大分に移り住んだ貴瑚が出会うのが、あの少年です。

言葉を話さない。名前もわからない。

母親から虐待を受けて、声を失っている。

つまり、昔の自分と同じ場所にいる子です。

貴瑚は、その子の声を聴こうとします。

聴こえない声を、必死で聴こうとする。

あれは償いなんだと思います。アンさんの声を聴けなかったことへの。

少年に「52」という呼び名をつける場面があります。

名前を呼ばれずに育った子に、名前をあげる。

あそこは、読んでいてちょっと泣きました。

呼ばれるって、存在を認められることなので。

少年が最初に見せる反応も印象的でした。

怯えるでもなく、甘えるでもなく、ただ黙っている。

あれ、諦めている顔なんだと思います。

期待しなければ、裏切られない。

子どもがそれを覚えてしまうのは、相当なことです。

救われた人が、誰かを救う番になる

この小説がすごいのは、救いを一方通行にしていないところです。

貴瑚はアンさんに救われて、今度は少年を救おうとする。

でも、実際は少年のほうが貴瑚を救っている気もします。

誰かを助けようとしているときって、自分の傷を少し忘れられる。

あれはたぶん、お互いさまなんです。

順番があるようで、ない。

人を助けたい、という気持ちの中には、たぶん自分を助けたい気持ちも混ざっています。

それは不純なことじゃないと思うんです。

むしろ、そのくらいのほうが長続きする。

完全な善意だけでやろうとすると、いつか折れるので。

貴瑚が少年のためにやることも、最初はうまくいきません。

よかれと思って動いて、空回りする。

でも、そこで手を引かなかった。

うまくやることより、続けることのほうが大事なんだと思います。

それと、貴瑚は少年を「かわいそうな子」として扱っていません。

ごはんを一緒に食べて、洗濯をして、ただ生活させる。

アンさんが自分にしてくれたことと、まったく同じです。

渡されたやり方を、そのまま渡している。

救いって、こうやって受け継がれるものなのかもしれません。

立派なことを言う必要はないんだと思います。

ごはんと、寝る場所と、名前。

それだけで人はけっこう立ち直る。

「魂の番」という言葉

作中に出てくる、魂の番という言葉。

恋人とか、家族とか、そういう枠じゃない相手のことです。

この言葉が、わたしはずっと引っかかっています。

好きとか嫌いじゃない。

この人がいないと生きていけない、という種類の関係。

貴瑚にとってのアンさんが、たぶんそれでした。

気づいたのが遅すぎた、というのが苦しいところです。

魂の番って、たぶん恋愛より不便な関係です。

名前がないから、周りに説明できない。

恋人にはなれないし、家族でもない。

でも、その人がいないと息ができない。

こういう関係を書いた小説って、あんまりないと思います。

だからこの本は、いろんな人に刺さったんじゃないでしょうか。

わたし自身、そういう相手がいるかと聞かれたら、すぐには答えられません。

でも、いてほしいとは思います。

たぶん多くの人が、そう思いながらこの本を読んだんじゃないかな。

田舎という場所

舞台が大分の海辺の町なのも、よくできていると思います。

狭い町だから、噂はすぐ回る。

よそ者は目立つし、変な話も立つ。

でも同時に、隣の家のことがちゃんと見える場所でもある。

都会だったら、少年のことは誰も気づかなかったかもしれません。

狭さが人を追い詰めるし、狭さが人を助けることもある。

どっちも本当なんだと思います。

村上さんという近所のおばあさんが出てきますよね。

あの人の距離感が、すごくいい。

踏み込みすぎないけど、ちゃんと見ている。

ああいう人がひとりいるだけで、町の意味が変わる。

お節介と、見守りの境目って難しいけど、あの人はそこがうまいです。

海の描写も好きでした。

穏やかなときと、荒れるとき。

人の心と同じで、ずっと同じ顔をしていない。

あの町にいるあいだ、貴瑚はずっと海の音を聞いている。

聞こえない声の話なのに、音の描写が多い小説なんです。

映画版も観ましたが、あの海の色は原作を読んで想像していたものに近かったです。

本を先に読んでから観るのがおすすめです。

あと、方言のやわらかさもこの小説の魅力です。

きつい話をしているのに、言葉の音が丸い。

あれがあるから、最後まで読めるんだと思います。

曲に込めたこと

この物語をもとに作った曲は、貴瑚の視点で書きました。

叫ぶ歌にはしたくなかったんです。

届かない声って、大きい声じゃない。

むしろ、ちゃんと出しているのに誰も振り向かない、あの感じ。

だから静かなまま、少しだけ高い音で書きました。

あと、歌詞に「助けて」という言葉は使っていません。

その一言が言えないことが、この話の核心なので。

言えない人が、それでも何か言おうとしている感じ。

そこを書きたかったんです。

メロディも、あまり動かさないようにしました。

同じところをぐるぐる回る感じ。

届かない声って、たぶんそういう形をしている気がして。

サビで一度だけ、声を張る場所を作りました。

ずっと届かなかった人が、一回だけちゃんと届く瞬間。

そこだけは、明るい音にしています。

もしよかったら、本を思い出しながら聴いてみてください。

おわりに

この本を読んでから、人の話の聞き方が少し変わりました。

元気そうに見える人が、いちばん危ないかもしれない。

そう思うようになったからです。

助けを求める声は、いつも聞こえる形をしているとは限らない。

大丈夫、と言う人ほど大丈夫じゃない。

よく言われることですが、この本を読むと実感として入ってきます。

だからといって、全員の心が読めるわけでもない。

できるのは、たぶん「ちゃんと聴こうとする」ことだけです。

聴こうとしていれば、いつか周波数が合う日が来るかもしれない。

もし今、誰にも言えないことを抱えている人がこれを読んでいたら。

うまく言えなくていいと思います。

言葉になっていなくても、聴こうとしている人はどこかにいる。

この本を読んで、わたしはそう思えました。

この記事と曲が、あなたにとって少しでも息のしやすい時間になれば嬉しいです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

音羽(Otowa)について

音羽は、小説や映画、童話を題材に、登場人物の心情を歌にしているチャンネルです。

あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。


▼ 『52ヘルツのクジラたち』の世界を描いたオリジナル曲


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