愛したから、離れた——『汝、星のごとく』青埜櫂という男の恋愛論

物語の考察

凪良ゆうの『汝、星のごとく』を読んで、真っ先に思ったことがある。

青埜櫂(あおのかい)は、最低な男なのか。それとも、誰よりも正直に生きた男なのか。

この物語は、瀬戸内の島で生まれた少年が、夢と愛のあいだで揺れ続ける話だ。読み終えたとき、私は「男が愛するということ」について、ずっと考え込んでしまった。

物語の舞台——島と、ふたりの出会い

舞台は瀬戸内の小さな島。青埜櫂は、自由奔放な母と穏やかな父のもとで育った少年だ。島の閉塞感に息が詰まりながらも、「いつか島を出て脚本家になる」という夢だけを胸に生きていた。

そこへ転校してきたのが、暁海(あきみ)。不倫相手のもとへ走った母を持ち、心を壊した父を支えるために島に残ることを選んだ少女だ。

ふたりは惹かれ合う。夢を持つ男と、夢を持てない女。自由を求める魂と、誰かのために縛られることを選んだ魂。その対比が、この物語の核心にある。

「愛しているから、行く」——男の身勝手か、それとも誠実さか

櫂は暁海を愛していた。それは間違いない。

でも彼は島を出る。東京へ行き、脚本家として生きることを選ぶ。暁海を置いて。

これを読んで「最低だ」と思う人もいるだろう。でも私は、そうは思えなかった。

櫂はずっと、暁海に正直だった。「島には残れない」「夢を諦められない」——その気持ちを隠したことは一度もない。彼は嘘をついて愛したのではなく、本音をさらけ出したまま愛した男だ。

男が「夢と愛、どちらを取るか」と問われたとき、その答えには正解がない。でも櫂の選択の中に、私は男としての「不器用な誠実さ」を見た気がする。

東京での成功と、消えない罪悪感

島を出た後の櫂は、脚本家として少しずつ成功していく。夢を叶えていく。

でもそのたびに、暁海のことを思う。

「俺が夢を追いかけた分、彼女は何かを失っている」——その罪悪感は、東京での日々にずっと影を落としていた。

成功することへの後ろめたさ。幸せになることへの罪悪感。これは、愛した人を置いてきた男の、正直な痛みだと思う。

「忘れればいい」とは思えない。「会いに行けばいい」とも言い切れない。その宙ぶらりんな状態こそが、男の恋愛の正直な姿なのかもしれない。

「汝、星のごとく」——届かないからこそ、美しい

タイトルの「汝、星のごとく」という言葉が、読み終えてからじわじわと胸に刺さってくる。

星は美しい。でも手は届かない。遠くにあるから輝いて見える。

暁海にとっての櫂も、そういう存在だったのかもしれない。そして櫂にとっての暁海も——手の届かないところにいるからこそ、ずっと眩しかった。

「近くにいたら、こんなに好きだったかわからない」なんて残酷なことを、この物語は正面から描いている。距離と愛は、時に比例してしまうという真実を。

男が「愛する」ということ——櫂から学んだこと

男の恋愛は、往々にして「守りたい」か「一緒にいたい」か、そのどちらかに傾く気がする。

櫂は「守りたい」という気持ちを持ちながら、「一緒にいる」ことを選ばなかった。それは弱さなのか、それとも——自分に正直に生きることへの覚悟なのか。

読み終えて、私は思った。愛することと、そばにいることは、同じではないのかもしれない、と。そしてそれを認めるのに、どれほどの痛みが必要か、ということも。

『汝、星のごとく』は、恋愛小説でありながら、男が「夢と愛のあいだでどう生きるか」を問いかけてくる物語だ。答えは出ない。でもその問いを抱えたまま生きていくことの、しんどくて美しい意味を、この本は教えてくれる。

凪良ゆう『汝、星のごとく』(講談社)——2023年本屋大賞受賞作


▼ 音羽チャンネルはこちら(チャンネル登録お願いします!)
https://www.youtube.com/channel/UCFrbhcvlbZ7YQn31F5neoDg

タイトルとURLをコピーしました