塩田武士さんの『存在のすべてを』の話をします。
分厚い本です。
でも、読み終わったあとにいちばん強く残ったのは、事件の真相じゃありませんでした。
ひとりの子どもが、三年間どこにいたのか。
そして、そのことを大人になるまで誰にも話さなかった。
今回は、その子のことを書きます。
内藤亮という人です。
あくまで音羽の勝手な読み方です。正解を書くつもりはありません。
※内容に触れます。未読の方はご注意ください。
いちおう、本の枠だけ。
『存在のすべてを』は2023年に出た塩田武士さんの長編です。
2024年の本屋大賞で三位に入りました。
塩田武士さんというと、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』が有名です。
この人は、実際の事件の周りにいた人たちを書くのがうまい。
犯人でも刑事でもなく、巻き込まれた側です。
今回も、その筆致が効いています。
事件そのものより、そのあとの何十年を書く。
このブログで扱ってきた東野圭吾さんの作品とも、すごく近い場所にあります。
どういう話か
1991年、子どもが二人、同じ日にさらわれます。
片方は、戻ってきません。
もう片方は、三年後にひょっこり帰ってきます。
その子が、内藤亮です。
でも、三年間のことを何も話しませんでした。
どこにいたのか。誰といたのか。
警察にも、家族にも。
そのまま三十年が過ぎます。
二人同時にさらわれて、片方だけが帰ってくる。
この設定が、まず重いです。
帰ってきた側は、それだけで何かを背負うことになります。
なぜ自分だけが、という気持ちは、たぶん消えません。
生き延びた人が抱えるものって、こういうところにあると思います。
しかも、その気持ちは誰にも言えません。
言えば、帰ってこなかった子の家族を傷つけるので。
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三十年後の亮
大人になった亮は、画家になっています。
写実画という分野です。
写真みたいに細かく描く絵。
一枚に何ヶ月もかける世界です。
しかも、本名ではなく別の名前で活動している。
過去を切り離して生きている、ということです。
そこに、当時の事件を追っていた記者が近づいてきます。
絵の世界で名前が売れているというのも、皮肉な話です。
注目される仕事を選んでいる。
隠れたいなら、もっと目立たない仕事があったはずです。
でも、あの人は描くことを選びました。
隠しながら、何かを出したかったんだと思います。
完全に消えたかったわけじゃない。
見つけてほしい気持ちも、どこかにあった気がします。
なぜ、話さなかったのか
ここが、この小説のいちばん大きな問いです。
普通なら、話します。
怖い目に遭ったなら、なおさら。
助けてもらったなら、それも言う。
でも、亮は何も言いませんでした。
わたしは、守るためだったと思っています。
自分をではなく、あの三年間を一緒に過ごした人を。
子どもは、大人が思っているより状況を読んでいます。
言っていいことと、悪いことを、なんとなく察する。
しかも、一度黙ると、そのあと言い出せなくなります。
タイミングを逃すと、話すこと自体が大ごとになるので。
三年が三十年になるのは、そういう積み重ねだと思います。
言わなかった、が、言えなくなった、に変わる瞬間があるんだと思います。

話せば、犯罪になる
話した瞬間に、その人は誘拐犯になります。
どんな理由があっても、法律はそう判断する。
子どもながらに、それがわかっていたんだと思います。
だから、黙るしかなかった。
しかも、黙り続けるということは、自分の三年間も無かったことにするということです。
その時間に何があっても、誰にも言えない。
これ、けっこうな重さです。
自分の人生の一部を、自分で封印する。
しかも、誰にも褒められない。
黙っていることは、外からは何も見えないので。
周りは、思い出したくないんだろうな、と解釈します。
本当は、逆かもしれないのに。
思い出したくないのではなく、大事すぎて渡せない。
そういう黙り方も、あります。
無かったことにされた三年
周りの人にとって、あの三年は空白です。
いなかった時間。
かわいそうな時間。
でも、本人にとっては違ったはずです。
ごはんを食べて、寝て、たぶん笑ったりもした。
生きていた時間です。
それを、まるごと黒く塗られる。
周りに悪気はありません。
つらい思いをしたに違いない、と思うのは自然です。
でも、その決めつけが、本人の口をさらに重くします。
楽しかった、なんて言えるわけがないので。
同情って、ときどき人を黙らせます。
これは、この考察ブログで何度も書いてきたことでもあります。
『流浪の月』の更紗も、同じ場所にいました。
世間の物差しで測られると、本人の実感が消える。
この二作は、並べて読むと面白いと思います。
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だから、絵なんだと思う
亮が写実画を選んだのは、偶然じゃない気がしています。
写実画は、目の前にあるものを、あるとおりに描く絵です。
解釈を入れない。
自分の気持ちも入れない。
ただ、そこにあったことを残す。
言葉で話せない人にとって、これ以上ないやり方だと思うんです。
あの人は、絵の中でだけ本当のことを言っていた。
しかも、絵は説明を求められません。
見た人が、勝手に受け取る。
言葉だと、そうはいきません。
必ず、どういう意味かと聞かれる。
言えない人にとって、これはありがたい性質です。
音楽もそうだな、と思いながら読んでいました。
説明しないまま、何かを渡せる手段があるのは、救いだと思います。
わたしが歌を作っているのも、たぶん似た理由です。
時間のかけ方も
写実画は、とにかく時間がかかります。
一枚に何ヶ月も、ときには年単位で向き合う。
普通なら、非効率です。
でも亮にとっては、その時間こそが必要だったんじゃないでしょうか。
誰かをじっと見続ける時間。
あの三年間に、彼がしてもらったことと同じです。
急がずに、じっと見てもらう。
子どもにとって、これ以上のものはあまりありません。
高い物を買ってもらうより、たぶん効きます。
亮が受け取ったのは、そういう時間だったんじゃないでしょうか。

タイトルのこと
『存在のすべてを』。
途中で切れているような題です。
すべてを、何なのか。
描く、なのか。受け止める、なのか。
わたしは、見る、だと思っています。
人の存在をまるごと見る。
事件の被害者としてでも、犯人としてでもなく。
そのままの姿で。
亮が絵でやろうとしていたのは、たぶんそれです。
人を一行で語らない、ということでもあります。
誘拐事件の被害者、という札を貼られたら、その人はずっとそれになる。
でも、人の存在はそんなに薄くありません。
この題は、そこへの反論のように読めます。
記者のこと
この物語を動かすのは、三十年前から事件を追っていた記者です。
この人にも、事情があります。
当時、何もできなかった。
その悔いを引きずったまま、定年が近づいている。
ただ、ここは難しいところです。
記者が真相を掘ると、亮が守ってきたものが壊れます。
正しいことをしているのに、誰かの静かな生活を壊してしまう。
この構図、『白ゆき姫殺人事件』の記事でも書きました。
報道って、いつもこの危うさを持っています。
とはいえ、記者が悪いとも言い切れません。
事実を明らかにすることには、ちゃんと意味があります。
もう一人の子は、帰ってきていないので。
その家族のことを考えれば、掘らないという選択も残酷です。
どちらを取っても、誰かが傷つく。
この小説は、そこを最後まで単純にしません。
救われたと言っていいのか
ここは、はっきりさせておきたいところです。
誘拐は犯罪です。
どんな理由でも、親から子を奪っていい理由にはなりません。
待っていた家族の三年間を考えると、そこは動かせない。
美しい話として読むのは、たぶん違います。
ただ、亮の側に何があったかは、また別の話です。
罪は罪として、受け取ったものは受け取ったものとして。
この二つを混ぜないのが、大事な気がしています。
帰ってきたあとの家族
もうひとつ、あまり語られないところがあります。
帰ってきたあとの、家族の側です。
三年ぶりに子どもが戻ってくる。
うれしいはずなのに、話が通じない。
何があったのか聞いても、答えてくれない。
その状態で、また一緒に暮らしはじめるわけです。
両親からすれば、子どもの中に知らない三年分が入っている。
しかも、そこに別の大人の影がある。
嫉妬に近い感情もあったんじゃないでしょうか。
誰も悪くないのに、家の中がぎくしゃくする。
取り戻したはずなのに、完全には戻らない。
血のつながりの話
この小説が問うているのは、結局そこだと思います。
親子って、何で決まるのか。
産んだかどうかなのか。
一緒に過ごした時間なのか。
『そして、バトンは渡された』や『流浪の月』の記事でも、似たことを書きました。
答えは出ません。
ただ、時間のほうにも重さがあるのは確かです。
三年って、大人には短いです。
でも、子どもの三年は人格が作られる期間です。
あの時期に誰といたかで、人はかなり変わる。
亮の中身の何割かは、たぶんあの三年でできています。
それを無かったことにするのは、自分を半分消すのと同じです。
曲に込めたこと
この物語をもとに作った曲は、亮の視点で書きました。
事件のことは入れていません。
書いたのは、誰にも言えないまま過ごした三十年のほうです。
言いたいのに言えない、じゃなくて、言わないと決めている感じ。
そこを大事にしました。
メロディも、静かなままにしています。
叫ぶ場面がない人なので。
ずっと同じ調子で、でも途中で少しだけ揺れる。
そういう作りにしました。
おわりに
人には、誰にも話していない時間があります。
たいていは、事件でも何でもない、ただの時間です。
でも、その人にとっては大事だったりする。
他人の空白を、勝手に不幸で埋めないこと。
この本を読んで、そう思うようになりました。
2027年2月5日には、映画も公開されます。
西島秀俊さん、広瀬すずさん、監督は瀬々敬久さん。
観る前に原作を読んでおくのがおすすめです。
原作はかなりの長さがあるので、どう削るのかが気になります。
あと、写実画をどう撮るのか。
絵を描く時間の長さは、映像にしにくいはずです。
そこをどう見せるかが、この映画の勝負どころだと思っています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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あらすじをなぞるのではなく、その人が何を感じていたかを想像しながら、歌と文章で書いています。
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